移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び


苦しい夢を見る。息が出来ないからだと思う。普段の悪夢もおそらく、睡眠中に呼吸が止まるからだとか、体は眠っているけど脳だけ覚醒しているから、だとかによるもだと、基本的には考えている。

けれど違和感があるのは、その苦しいとか辛いとかは、自分の命に関わるような夢ではなく、『関係』に関わるような夢だということだ。

つまり僕にとって関係は、命みたいなものなのだと思う。命と命が関わって生まれるモノは、やはり命なのだ。まさに生命なのだ。

例えば男女が関わって生まれる〈こども〉という命みたいに。彼とでも、彼女とでも、関わって生まれた何かは少なくとも自分にとっては〈命〉なのだ。

夢がまさにそうだった。その命の喪失は、彼女と彼が、遥か宇宙の彼方に行くことを選択する夢。何十億光年も先の宇宙へ行く。僕はココに留まる。

果てしなくゼロに近い確率だけれど、いつか再び同じ宇宙で出会えるかもしれない。

でも感じている。
二度と会えないと。

必死に夢の中で「たいしたことではない」と落ち着かせる。「これは情報を整理している電気信号が見せている夢だ」と夢の中で夢を思い、浮上する微睡みの中で「でもひょっとしたら花粉と同じように、世界を舞い漂いやってくる、誰かが飛散させた想粉なのかもしれない」と考える。
いつものように。

数多、世界を可能な限り見る、ことを意識すると結果、己の世界を見なきゃいけないことになる。
これもまたいつものように。

とはいえ目先として書くか、目先として公表するかは別なハナシだ。なるべく己の世界の事は伝えることをやめていた(つもりです…)数日。しかしこの『想粉』は、記して見える形にしておこうと思った。

「なるほど花粉のように想いが飛散するというのはピンとくるし『想粉』はある」なと感じたから。

もっとも舞い漂い届く想いは、花粉より黄砂くらいの大きさのイメージがあるのだけれど…。だから実際のところ『想砂』と呼ぶ方がしっくりくるのだが……。


今日の羊の稽古。
音楽つくり。
練習もした。
新しいと思えるコードで弾く。
ウクレレです。
シンセも久々に弾いたけど。
すごく昭和な歌が出来てビックリした。
「新しくないやん!」


愛川武博


# by moving_sheep | 2026-03-01 22:03 | 目先そうそう | Trackback

電車に乗りながら花粉交響曲を聞いている。
僕もオーケストラの一員だ。

花粉に指揮をされ、ポーレン・シンフォニーを奏でている。何という花粉量なのだ。人が電車に集まり増えるほどに盛り上がっていく。まるでボレロのように。いやボレロは交響曲じゃなく舞曲だけど。

ぐずぐす、ずるずる、くしゅくしゅ、しゃしゅんしゃしゅん、すんすん、ぴしゅんぴしゅん、ずーずー、じゅーんじゅーん、ああ、いよいよみんなが一番降りる駅へ来たよ。
大団円だよ。

ぐずるしゅしゃすぴずじゅっくっしゅん!!

……とはならず、皆さまフッと静かになりましたと…さ。そりゃそうだよね。電車の中で行き場ない花粉が、いや世の花粉たちが、ドアが開くことで少しだけだとしても解放されるのだから…。

そんなこんなを記していたら…。
電車乗り換えました。
第二楽章の始まりです。
帰宅するまで往復、電車乗るの四回か……。
電車、ツライ。
第四楽章までやるのか…………ハッ!
まさに交響曲……。
これぞポーレン・シンフォニー!
…………。
…………。
ふぃん。

花粉交響曲とタイトルをつけたが、ポーレン・シンフォニーって呼び方も良いなと思った朝のこと。
『ポーレン・シンフォニー』



電車に乗っていると外を眺めることが多い。その中で、町を歩いている人々を見るたびに思考することがある。

「ぼくから見えている彼女彼らに、ぼくが成る日があるからこそ、見られているという視点を持とう」

前に空港へ行くモノレールに乗った時や飛行機視点の時にも同じことを書いたけれど、視点を移動する、もしくは同時に持つことをやることがある。感覚的な意味でいえば俯瞰・鳥瞰はもちろん、獣瞰・虫瞰みたいなものを持つということ。

誰かに見られ、誰かに無視されている。
無視されていることの方が多々ですが。
知らない気づかないのがスタンダードだ。

川原の水の中で世界を眺めるような。
座った視点で街と人々を眺めるような。
見る視点、角度、次元で世界が変わる。

話を戻すと、いま電車の中で書いている僕もまた、周りからすれば携帯(ガラケーだけど)を見ている人であり、今、周りを見渡している傍観者、であるということ。

あらゆる視点を集める。
いや移動する。
『視点収集家の旅』



あーついに目を掻いちゃった。
ダメ。
止まらなくなる。
炎症が炎症を呼ぶ~。
きゅう。
『かく』



小説を書く訓練にはやはり映像プラスだ。
映像を記すスタンスだ。
コレだぜ。
つまり?
映像作品を頭の中で文章化するのだ。

風景・調度品・視点・建造物・衣服・機微・表情を。何よりシーンの切り取りと構成を。移動を。展開を。それには具体と意図が溢れている、いわゆる名作が何よりだが、駄作でもアプローチしてみると財産だね。

そしてここからが重要だ。
訓練したことを全て捨てる。
(つもりで書く…得たモノは消えないから)
自由に好きなように書くのだ。
どんな描き方でもいい。
この破綻、崩壊、壊滅が小説を豊かにする。
映像作品ではなく日常でもいい。
むしろ日常こそ最たるだ。
(目先はまさにその一端)
うむ。
ただ映像プラス、最近はやってなかった。
「やるか……」
そんなことを考えながらミステリーを観た。
結局やらなかった。
おいっ。
一つ面白いミステリーアイデアは浮かんだ。
うむ。
『のんびりと云うなかれ』



今日の稽古。
ツクルをそれぞれ、やる。
(僕のはレジュメ…長い作品だったゆえ…)
そこから各々の作品の目先。
推敲したり直したりしていない始まりを。
読解し、目先し、伝える。
そこから先は、それぞれの先へ。

さらに二月のフリカエリ。
もう二月も終わりなの……。
くぅ。早い。むう。
それにしても目標がクリア出来ぬ。
「これ、毎週、振り返り…して改善や…」
そうなりました。
ぎゃふん。

それにしても花粉が酷い。
眠れるのかが不安なくらい。
きゃっふん。

おやすみなさい。


愛川武博


# by moving_sheep | 2026-02-28 22:31 | 目先そうそう | Trackback

刈り取った豆苗を眺めている。
二回目のやつ。
最初の豆苗は野菜炒めで食べた。
根っこはそのまま窓際に。
もさもさ生えてきた。
つまりある意味自分で育てた豆苗である。
それらをお皿に並べて僕は悩んでいるのだ。
「どうやって食べる……?」

それにしても美しい。
ふかふかじゃないのよ。
鮮やかな緑、いや若竹色……だと薄いから、コバルトグリーンくらいの色味かな…?とか思案しつつ、この彩色美をどのように食するのかをかなり迷っているという訳だが…。

実際の選択肢は少ないように思うの。
美味しく食べるならね。
炒める。蒸す。かな?
でもここはあえて生食で行こうか…と。
思ってはいるが、ちょっとドキドキする。
え?普通?
生、普通かしら…?

しかし火を通した豆苗を食べた記憶しかなく(実際は生食したことがあるのだろうけど、認知をしていないので食べていないに等しいのだ…)、さて、果たして生で食べたらどうなのだろうか?
ニガイんじゃない…?

悩んだ結果、あまりの素敵な色味に思う。
「この鮮やかさをそのまま頂きたい…」
先ずは一口だけ生のまま食べようと思ったが、何もつけない勇気はなく、ごま油に醤油と白ゴマをあえたドレッシングを少量だけ作り、サッとかけた。そしてふわふわをそっと口に入れる。

パーン!!

柏手が鳴り響く。
う…旨い!
美味すぎる!
きゅう。

もぎゅもぎゅもぎゅ。
食べなら考える。
「よく見る、は時間がかかるなぁ…」
よく見てよく考えてから食べようと思ったの。
そしたら、えらく長い思案をしてしまったの。
物語まで考えちゃった。

さらに食べならがふむふむと思うの。
「味わうのは一瞬だなぁ…」
だからよく噛んで食べた。
咀嚼回数アップは課題だし。

時間はかかる。
時間をかける。
似て非なる。
非で似なる。
始まりをどこにするかで変わるのかもね。
だから。
「時間がかかった時こそかけていると思おう」
と思った。
というハナシ。

二回目豆苗はまさに、一週間をかけた美味しさに満ち溢れていたのでありました。

ふむ。
これからの自分も時間をかけますの。
幾年月、日々是、成長。
よろしくお願いいたします。
うむ。よし。
時間をかけて、今夜もしっかり回復だ。
おやすみなさい。


あ、物語は、色の妖精との出会い。
小人の画家のお伽噺。
彼女はささやかに描く。
失われた瞬間を。
想いを。
もっと鮮やかにするために。
気づけない人がほとんどだけど。
でもぼくは出会えた。
色に。
優しさをもって描く姿に。
きみは云う。

「光から色を取り出してわたしは描くの。キャンパスはこの世界にある全て。草花、コップ、空、こころ。これはささやかな気づきの魔法。だってほら、世界はこんなにも色に溢れているんだから」

カラフル。
僕の夢もまたそうでありますように。


愛川武博


# by moving_sheep | 2026-02-27 23:03 | 目先そうそう | Trackback

整理しなければならない数多のモノを眺めながら「さて、これらは本当に必要なものなのだろうか?捨てて良くない?」と考える。

知識やフォーマット、仕事道具や素材など、今は使わなくてもいずれ必要になるものは、ある。だが同時にずっと使わないでいるとサビたり、古くなったり、腐ったり、結局は新しいモノが求められて、残しておいたモノが必要なくなることも多々ある。

とはいえ基本的には捨てられない。
この捨てられないは苦労する。
苦労している。
しかし捨てることで得られるモノがある。
実際、そう考え実行し、得たと思う。
だから今見えている数多の物を、さて。
「どうしよう……?」


世界を見るにあたり『ネット世界』は外せない。
「だからネットを見る!」
べきだとは思う。
「だがしかしネットは捨てるべきではないか?」
とも考える。
情報は大事だ。
だから情報収集はする。
悪くない。
むしろ知識が増える。
思考の幅も広がる。
とはいえ時間も気心も代償として払う。
何故なら余計な〈情報〉も集まるから。
でもこの『余計な』が有益になったりもする。
だから捨てることも出来ない。
それでも……何だろう?
どこか本末転倒な要素を含んでいるというか…。
酷い事をされて「良かった面もある」と云う。
みたいな?感覚に近いの…。
やはりさ、酷い事はされない方がいいもの。
それには関わらない事だもの。
お互いにね。
全て『合う』ワケじゃないからね。
バランスよくやれる人ならいいのかな?
それこそ簡単に捨てられ囚われない人。

そんなことを考えながら物々世界を眺めている。
「さて、すてる?すてるならなにをすてる?」

大きく、取捨選択をする時期なのではないか?


今日の目先タイトル

『異世界があったなら、ソコに余計な物を捨ててしまいたいと思っているけれど、それじゃまるで星新一のショートショートみたいだなと考えて、辿り着いた思考は、結局どこでも誰でも何でもあらゆるものを、いとも簡単に捨てる覚悟がある奴が世界最強になれるのだ、と気がついたので、捨王を再び目指すことにした』


愛川武博


# by moving_sheep | 2026-02-26 22:57 | 目先そうそう | Trackback

⑤ずつう
夕方からめちゃくちゃ頭が痛い。
かなり痛い。
世界を強く見て感じたからかもしれない。
……違うか。気庄か……。
おそらく低気の影響を受けている。
それだけなら…いいけど…。
どちらにしても開くと、大変だ。
『目先は一日の数分でいい』
目先メソッドをそのように設定した。
その意味を知った。気がする。
頭痛い。
耳を塞いで温めて、だいぶ良くなったけど…。
ゆえに瞬間世界ノートをそのままに。
伝えることをお許しください。
頭が痛いのです。
眠ろう。
「明日、ちゃんと目覚められるといいなぁ」
ここ数年、本当によく思う。
だからもっと日々をしっかり生きたい…。
なかなか本気になれないけれど。ね。
おやすみなさい。


④ていへんすう
人々を観察しながら「やはり変えられないところと、変えられるところの違いを認知して、判断基準にしてから、変えられるところを変える行動が必要だよな~」と考える。

数学の定数と変数を例えに出す人がいる。確かに定数は定数なのだから、変数で勝負しないと先に進めないよね。錬金術で金を造ろうとして長年研究して届かないみたいな。

自分も変えられるところを変えようと思いつつ、変えられないことが変わる世界を夢想する。「いやいやそういうとこはダメよ」と改めて考えても、物語作品を創る時に、変えられない物理が変わる世界線を生み出したり(あまりしないけど)して、それが面白かったりする訳だから、やはり定数を変数に変えてやろうとする力は魅力的だよねと、距離を持ちながら我が事のように考える。

人間観察タイム。
見る。観る。視る。
まさに人は十人七色だ。
(四割くらいは一緒になる、ほどに、同じ志向が一定数いると感じているので、僕にしてみると十人十色ではない、うえに、定数は状況環境教育で変わる七色だと考えている。)


③ちきん
昨夜揚げた手羽チキン(骨を先に取ってある最近お気に入りのやり方ガブリちきん)を眺めながら、糖化した茶色がまるで悪魔に見えてきた。これを『知っている悪魔』と呼ぼう。いや『知っている天使』でもあるけれど。朝からたっぷり油は重いかもしれないが、美味いのは知っている天使と悪魔(2本ある)と向き合いながら、僕は今、闘っている。食べる?食べない?


②あめ
ぶるぶるマシーン(上に立っているだけで痩せるかも、と思って買ったは良いけれど全然痩せない振動マシーン)に乗りながら、強めに降っている外を見ている。

駅へ向かう小道を、駅へ、線路沿いに傘をさしながら歩く人々。真横のガジュマルたちのお陰で、まるで森から街を見おろしているみたい。

いつもの線路を走る電車の中の人々は、曇った窓のせいで影だけだ。いつも「あちら側から僕が見えるだろうな」と思いながら車内を眺めているけれど、だいたいみんなスマホを見ている。

自分は電車に乗ると、半分くらいは窓の外を眺めていたりする(立つ座る位置で変わる)ので、不思議に感じたりもする。見るべきものはスマホから先の、もっと広い世界なのだろう。確かに魅力的だからね。とはいえ、電車にもよるけれど、ごくたまに出合う線路沿いの住人たちは、時にネットの中よりも動かされる、日常で非日常な醍醐味でもある。と僕は思ってしまう。

おお。出勤が増える時間だ。ぶるぶるを降りてベランダに出て、雨が連れてくる空気と匂いを味わう。透明な花や紺花がやはり多いけれど、カラフルな花をその頭上に咲かせて歩く人々のお陰で、僕の心にも花が咲く。ただ、ちょっとだけだけど、吹き込む雨のせいで濡れる。そしてお陰様で、少し心が清らかにもなるのだ。

いやはや。
お陰とせいでを繰り返す。ね。
それが人生か。

でも実はずっと「お陰だ」と本当は思っているのだけど。あえてね、思いの解釈(言葉)を変えてみたかったの。世界目先を始めた僕には、全てがお陰になってくる。
ただこれだけは今、事実。
「のんびり世界を見たせいで時間がなくなった急げ~」


すぎる
世界の一部である自分ではなく、世界を五官、六感で目先する基本に帰るべきであると昨夜から考えている。ゆえの行動。その形。


愛川武博


# by moving_sheep | 2026-02-25 21:05 | 目先そうそう | Trackback