移動する羊のつぶやきです。

by moving_sheep

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久しぶりに手で脚本を書いた。昔は脚本を手書きで書いていたけれど、確か、「語るのは鼓動」あたりからパソコンで書くようになったのだ。はじめの頃は自分の手で書くものと、パソコンで書くもののギャップに苦しんでいた。何かが違う。違和感がある。と。でも僕の字は汚いし、手で書いたものをわざわざパソコンに打ち直すのも面倒だし、そもそも僕は手で書いている時は、パソコンへの打ち直しは他の人にお願いしていたのだ。まったくもって迷惑な話だ。でも久しぶりに急遽脚本を用意しなくてはならなくなり、手書きで書くこととなった。書いていると、使っていなかった感覚を使っているな、という感じになった。ダイレクトに手から言葉が生まれてくる。さすがに昔ほどのギャップはないけれど、やはり手書きは手書きの良さがある。とはいってもパソコンはパソコンの良さがあるのだが。僕の右手は作家だ。別な生き物だ。今度からこいつのことをラブッチって呼ぼう。でも右手が生きている。そんなことがあるのだろうか?久しぶりの右手の思考を楽しみながら、ふと手のひらで身体の状態を感じとることの出来る女性のことを思い出した。彼女は背中に手のひらをかざして、身体の気の流れを感じているらしい。確か合気道をやっていたはずた。そうして身体の状態を絵に書いてくれる。もっともその絵はニューロンの樹のように、複雑で、繊細で、どうにも解読するのが難しいのだが。しかし彼女はその絵を解読し、見事に身体の状態を言い当てる。「まさにファンタジーだっ!」と愛川は言ったとか言わないとか(その昔、僕はなんでもかんでもファンタジーだっ!と言っていた。日常こそがファンタジーに溢れている、と。そして世界は魔法に溢れている。だって花が咲くんだよ!?なんて美しい魔法だっ)そして気功と言えば昔、気功の先生に身体をグルグルと回らされたことがある。何十人も密集して立っている中で、目を閉じていると、身体がグルグルと回転しはじめるのだ。もうガツンガツンとまわりの人に当たる。先生はまるで粘土でもコネクリまわすように、両手を使って円を描いていた。そしてそれに呼応するように僕の身体は回転してゆく。なんでも、人によって動く人と動かない人の差がかなりあるそうだ。僕はその集団の中でもたぶん一番回っていた。かなりまわりの人間を弾き飛ばしていた。その時、自転する自分を感じ「僕は今、地球と並んだ!僕は自転する惑星だ!愛星と名付けよう!水金地火木土天愛冥。あれ?海は?いや海より深い愛だ」と思ったとか思わなかったとか。面白い感覚だった。操られるのも悪くない(ん?自転じゃないじゃん!)このように手はきっと力を持っている。だから右手が思考して、脚本を書かせるなんてこともあるのだろう。おそらくは。そんなこんなで創作を楽しんでいる。行くぜっ、ラブッチ!いやいや君はオヤスミだよ。僕はパソコンで書くよ。愛川です。

6月2日の稽古の前に、急遽、明日、30日に稽古をします!
久しぶりに作品を作るという稽古ではなく、ワークショップ的な羊のメソッド全開の稽古になると思います。
とはいえ、テキスト稽古もやるつもりですが。

場所は池袋ではありませぬぅ。
目黒区、学芸大学駅から徒歩15分の公共施設です。

興味のある方は是非、愛川のアドレスに「稽古場参加希望」とタイトルに書いてメールください。
アドレス。
loveriver@di.pdx.ne.jp
by moving_sheep | 2010-05-29 16:33 | 稽古場レポート | Trackback | Comments(0)
僕の前からいなくなってしまった「彼」から手紙が来た。そう、手紙なのだ。メールでも電話でもなく、手紙が来たのだ。僕は優しく丁寧に接しながら残酷なことをする。のだろう。きっと。そうとしか考えられない。あまりにも絶対的なリアルをつきつける。それが事実なのか真実なのか、そんなことは問題じゃない。“リアル”であることが問題なのだ。それが事実と真実を凌駕する。瞬間的な爆発力がすべてを破壊することがあるのだ。僕は何度、そんな瞬間に立ち会ってきたのだろう。そうして人々は心に火山灰を降り積もらせて、何処か遠くへゆくのだ。そんな遠くの「彼」から手紙が来た。僕はなんだかセツナクなった。決して消えることのない痛みが底から、心の深海から浮かび上がってくる。彼は憎んでいた。彼は馬鹿にしていた。彼は決めつけていた。彼は愛していた。彼は届かなかった。彼は自分が分からなくなっていた。彼は許せなかった。世界を。自分を。僕を。そして彼は理解していた。「リアルはただ残酷なんだ」と。去ってゆく人々の問題は、突き詰めるといつも同じ場所に辿り着く。たち現れる“リアル”に絶望するのだ。恐怖するのだ。僕は絶えずそれをツキツケル。「彼」は何処に向かって歩いているのだろうか。僕はそれを知ることはない。決して知ることのない世界を「彼」は歩いてゆく。何故なら二人は違う道を歩くことにしたのだから。いつかまた道が交わることがあるのだろうか?その手紙にはなにげない日常が書かれていた。驚くほどささやかな日常がそこにはあった。でもそこには「止まってしまった時間」がみえかくれする。つまりそこには、限りなく深い苦しみが横たわっていた。ひょっとしたら自分でも気付いていないかもしれない。分からないまま、思いたって僕に筆をはしらせたのかもしれない。あるいはこれは復讐なのかもしれない。あるいは救いを求めているのかもしれない。どちらにせよ、きっと彼はまだ許せないのだ。きっとどうしても許せないのだ。僕は四度、その手紙を読み返した。一度目は涙を流しながら。二度目は絶望しながら。三度目は世界の底をサマヨイながら。四度目はさしこむ光にも似た希望を感じながら。僕は読みおわると手紙を封筒に入れ、送られてきた手紙を(最近はあまりないことだけれど、昔から僕は何故だか手紙をよく貰う。その数々の手紙を)入れているレターケースに「彼」からの手紙をしまった。そうしてカーテンを開け、ドアガラスを開けて空気をいれかえた。風が吹き抜けてゆく。青空が見える。黒猫が屋根を歩いている。ジジジジと何かが降り積もっている音が聞こえる。灰でも降っているのかと思って空を見上げる。勿論、降っているわけがない。ただ、青があるだけだ。僕は「彼」の手紙に書かれていた最後の一文を口に出してみた。「そう最近気づいたんだ。心が心を殺すんだよ。人が人を殺すみたいにさ」僕はふと最近夢でみた、人殺しの感覚を思い出した。僕が人を殺すのだ。それも知らない人ではなく、とても見知った人々を。あまりにも恐怖し、絶望した悪夢だった。リアルは残酷だけれども、だからこそ素晴らしい。それは強さだ。それは美しさだ。それは瞬間たち現れる王国で、そしてリアルを感じている君は王様だ。共有することの出来ない絶対的孤独の中に、痛みも喜びも君だけのものだ。そうして世界の美しさとおぞましさを知る。僕は夜中に一人、ただ、肯定してみた。自分の心も、世界の在り方も、ただ誠実に引き受けてみる。それでいい。それがいい。大切なのは何なのか、気づいたような気がした真夜中だった。そうしてまた歩きだす。愛川です。

次の稽古は6月2日の水曜日の13時ー17時です。

場所は要町和室になります。(いつも池袋周辺で稽古)

稽古は毎週、集まる人に合わせて脚本を書いています。
基礎トレと移動する羊オリジナルメソッド(かなり心と身体を使う)とテキストで作品作り。

興味のある方は是非、愛川のアドレスに「稽古場参加希望」とタイトルに書いてメールください。
アドレス。
loveriver@di.pdx.ne.jp
by moving_sheep | 2010-05-28 17:36 | 稽古場レポート | Trackback | Comments(0)

人間そのものが物語

役者が何処に行っても、表現者としてそこに「存在する」ことを大切にしながら、日々稽古を重ねていた。
ミッシング・ウォークという、移動する羊の独特なメソッドを使って、様々な表現を移動しながら、その移動先で「高み」を目指してゆく。

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by moving_sheep | 2010-05-27 17:03 | aikawa takehiro | Trackback | Comments(0)
ミッシングウォークとは移動する羊のオリジナルメソッドで、簡単に説明すると、五感を使い、六感を感じながら歩き、様々な表現を移動する稽古です。

稽古なのですが、五感をすべて使って表現の領域にいようとしているので、臨場感を伴いながら作品のように見えます。

物語が見えます。

人間が見えます。

僕らは演劇としてやっているのですが、時としてダンスに思われます。
それはそれで構わないのです。
でも、演劇である、と思っています。

基本的に身体とか心とか頭は、使わないと使えないものなので、すべて使うようにします。

日常の五感を使い、六感を使い、そのすべてをコントロールしようとして、初めてコントロール不能な第七感が立ち現れると思っています。


第七感は演劇で言うとこの「表現の領域」なのではないかな、と思います。

それは「感動」だったり、「興奮」だったり、「奇跡」だったり、「人間」だったり、まあ、色々なものに形を変えるものでもあるのかもしれません。

ひょっとすると「表現の領域」なんてものではなく、日常に帰依するものかもしれません。

どちらにせよ、そこには「日常」も、「稽古」も、「本番」も、すべてあるのですから。

そのすべてに行けるのですから。

なので、ミッシングウォークの稽古はとても疲れます。
心も身体も頭もヘトヘトになります。
でも、この稽古、役者の本質がよく分かります。
苦手なことも、得意なことも、無意識も、意識も、本当によく分かります。

何故なら、ミッシングウォークは人間の歩きだからです。

人間そのものの歩きだからです。


歩くことは、生きることだ。
by moving_sheep | 2010-05-27 17:02 | メソッド【ミッシングウォーク】 | Trackback | Comments(0)
彼は僕の瞳をまっすぐに見つめながらこう言った。「君は恋をしてるね」僕は一瞬言っている意味が分からなかった。「恋をしている?」口に出してみたが、その意味をとらえることが、どうにも出来なかった。まるでそれは空気中に書かれた文字みたいに。ユラユラと揺れて、それが文字であることは分かるのだが、どうにも読むことが出来ない様なのである。つまり僕は虚空を見つめていた。彼はそんな僕の虚ろであろう瞳をさらに強く見つめ、鼻を人差し指で触りながらこう言った。「いや正確には恋をしてそれを封印した、と言ったほうが良いかな」「僕は、恋を、封印した?」「風邪をひいて腸が炎症をおこすように、恋をした人の瞳には、シルシが刻まれるんだよ。僕にはそれが分かるんだ。それはささやかながら、刻まれる聖痕みたいなものだ」「腸炎のあとのように、恋をしたキズ?」「勿論、信じられないのは分かるよ。もし僕が君なら、そんな話は信じない。瞳に刻まれる、想い、なんてものが分かるなんてことはさ」「つまり僕は、恋をして、それを封印したけれど、恋をまだ、しているかもしれない、ということに、なる?」「つまり、そういうことになる」「それはいつくらいの話なんだろう?」「ここ2ヶ月。長くて5ヶ月。半年と言いたい所だが、半年はない。あるいは何週間前」「最近ですね」「あるいは昨日かもしれない」「僕が、恋をした」彼はさらに深く僕の瞳を見る。そして左手で額にかかったひと房の髪を、優しくうしろに流して、一瞬ゆっくりとマバタキをした。それがあまりにも美しいマバタキだったので、僕は何故だかそのマバタキが、とても意味のあるメッセージのように感じられた。たった一度の重要なサイン。彼から僕に送られた一度しか送ることの出来ないサイン。勿論意味なんて分からないけど。ちなみにそれを裏付けるように、それから彼は僕と別れるまで、マバタキをたった一度もしなかった。たった一度もだ。「どうだい。何か思い当たることはあるかい」僕は考える。彼の瞳を見ながら考える。彼の瞳から目がはなせない。まるで、その瞳に答が書かれているかのような気がして、注意深く探している。でも思い出せない。オカシイ。かりに恋をしたのなら、きっと覚えているはずだ。なにしろ恋なのだから。心が動いたのだから。いや、まてよ。必ずしも、そんなことはないのではないか?恋に気付かないことだって、確かにある。そんな人をよく見る。あとになって、あれが恋だったなんて気付くことはザラにあるような気がしてきた。なるほど、そうなると厄介だ。僕に自覚症状がないのなら、自らの恋を発見するのはとても難しい。「ヒントをあげよう」彼は優しく目を細めた。「ヒント?そんなものがあるのですか?それにあるとしてそれを何故あなたが知っているのですか?」「世界は鮮やかなんだよ」「鮮やか?」「そう。世界はあらゆる色で溢れてる」「ごめんなさい。言っている意味が分からないんですが」「つまりシルシも例にモレずということさ」「すみません。やはり分からない」「その聖痕は無色じゃないんだよ」「無色じゃない?つまり僕の恋の刻印には色がついている」思考が加速する。「つまりその色の表している意味が、あなたには分かる。ということ、ですね?」「まさにその通り」「それで僕の恋の色はどんな色なんですか?」「桜色だね」「桜色。ピンクってことですね」「そう。淡いピンクだ。その色は大抵、『夢』の領域によく現れる色だ」「夢の領域?」「どうだい。心あたりはあるかい」そんなヒントで思い出すことなんかない。「あっ!」思い出した!そうだ。そうなのだ。僕は夢を見たのだ。夢を。ある女性が出てきた夢だ。「その彼女は突然出てきたのです。自然に当たり前のように僕の側にいて、僕と旅をしている。ただそれだけのことなんだけれど」「でも君は、恋をしたんだね」「確かに目が覚めたら、ドキドキしていた。あきらかに彼女のことをイトオシイと思っていた。僕はこんなことは久しぶりだったんです」「こんなこと?」「夢を見て恋をすることが」「あるいは夢を見て、恋に気付くことが?」「あるいは」でも僕はその気持ちを半日で“なかったこと”にしてしまった。今思うと怖かったのかもしれない。確かに封印したのかもしれない。懐かしい感覚に、身を任せるのが怖かったのかもしれない。その感覚はまさに“若さ”だったのだ。僕は一瞬で若者になり、そして瞳にシルシを刻んだ。「なるほど若さか。素晴らしいことだよ。君はまた、手に入れたんだよ。なくしてしまったはずの何かをね」彼はそう言うと優しく微笑んだ。この人はやることなすこと、いつも優しい。そして、そろそろ行くよと言うと伝票を持って立ち上がった。払いますよと言う僕の言葉を優しく手で止めた。スッっ僕の目の前に出された手のひらの真ん中には、ホクロが一つあった。それが妙に気になった。さっきから何故、こんな細部が気になるのだろう。マバタキ。髪をはらう仕草。ホクロ。そのホクロはまるで、イエスキリストのハリツケにされた時の傷痕のように見えた。すべてを許すシルシだ。そう、それは聖痕だった。僕はありがとうとサヨナラを言って、彼と別れた。やはり彼のうしろ姿は優しさに溢れていた。僕はきっと久しぶりに恋をしたのだろう。たぶん。そうして夢を見て、封印した。おそらくは。僕は彼と別れたあと、1時間ばかり思案し、店を出て、すっかり暗くなった空を見上げた。そこには月が浮かんでいた。半分の月。妙に鮮やかに見えた。そしてなんだか月は桜色に見えた。『世界は鮮やかなんだよ』確かにそうかもしれない。そうして僕は家路についた。そうして眠りについた。そうしてひたすらに色々な夢を見続けている。とても鮮やかでリアルな夢を。愛川です。

公演が無事に終わり、また稽古場が再開します!とはいえ、作品作りをベースにやってゆく稽古場になっていくと思いますが。やっぱり本番が一番上達への近道だ。

次回の稽古は5月26日水曜日の9時ー12時です。
場所は南池袋です。(いつも池袋周辺で稽古)

稽古は毎週、集まる人に合わせて脚本を書いています。
基礎トレと移動する羊オリジナルメソッド(かなり心と身体を使う)とテキストで作品作り。

興味のある方は是非、愛川のアドレスに「稽古場参加希望」とタイトルに書いてメールください。
アドレス。
loveriver@di.pdx.ne.jp
by moving_sheep | 2010-05-24 16:41 | 稽古場レポート | Trackback | Comments(0)
なんとか無事に移動する羊、稽古場公演「それでも僕らは荒野を歩く」終わりました!

ご来場していただいた皆様、本当に、本当に、ありがとうございました!

14日のトオシに人をよんで、観てもらって、感想を聞いて、僕はたぶん生まれて初めて、絶対的評価を得たいと思った。絶対的評価。それはなにはさておき、この作品を楽しみ、堪能し、世界観にシンクロし、この作品を圧倒的に好きになって欲しいということ。僕は別にそんなに絶対的評価を欲しいと思わない。勿論、評価をしてもらえることもあるけれど、嬉しいけれど、そんなに気にならない。好きな人もいれば、嫌いな人もいる。そして好きでも、嫌いでも、その程度は様々だし、それでいいと思う。でも僕は、初めて絶対的に評価してくれる人が欲しいと思った。何故だろう?自信があったのかもしれない。でも僕がやっているのは演劇であって、小説ではない。そこには演じる役者がいる。一緒に作るスタッフがいる。僕一人ではたどり着けない。何故なら演劇は集団の芸術だからだ。必ずしも、作品を役者が体現できるとは限らない。スタッフと意思疎通が出来ないかもしれない。だからとても難しいことだけれども、でも僕は絶対的評価が初めて欲しいと思った。目指すし、あがくけれども、たどり着かないかもしれないと、思っていた。でも、最後の本番が終わったあとに、絶対的評価はやってきた。あっさりと自然に現れた。彼女は作品の持っているものを、熱く語っていた。役者の素晴らしさを熱く語っていた。彼女にとって、作品は明日へ進むためのキッカケになったようだった(たとえささやかであったとしても)作品が僕らの手を離れて、一人で歩きはじめた。勿論、作品を発表した時点で、もう僕らの手を離れているんだけど。

とりあえずは、たどり着けたのだろうか。

でも、僕の中の旅は終わらないし、それでも、僕らは、荒野を歩く。

本当に本当にありがとうございました!
by moving_sheep | 2010-05-17 21:09 | それでも僕らは荒野を歩く | Trackback | Comments(0)
彼女は絶対的な無邪気さゆえに、とてもとても残酷だ。その残酷さはきっと強さなのだろう。その強さはきっと美しさなのだろう。その美しさはまさに、美也。彼女を現している。無邪気に笑いながら。

そして彼女は、荒野を歩く。
by moving_sheep | 2010-05-16 08:58 | それでも僕らは荒野を歩く | Trackback | Comments(0)
彼は絶望と恐怖の中で作品を作り続けた。そしてひたすら高みを目指す。高く、遠く、深く。そこからたち現れる表現を目指して。

そして彼は、荒野を歩く。
by moving_sheep | 2010-05-16 08:50 | それでも僕らは荒野を歩く | Trackback | Comments(0)
みやちゃんが異常に明るくなってきた。もともと明るいのだけれど、さらに明るくなってきた。異常なほどのテンションであり、明るさであり、無邪気さだ。いやむしろ、作品作りはかなり大変な状況になってきている。大変というか、死ととなり合わせな感じなくらい生命に触れあって作っている。もうほとんど魂で動いている。ジュンジュンは先日のトオシの、後半のある時点から、芝居がなんだか明るくなった。なにかのヒューズがとんだか?と思うくらいの変化だ。ひょっとしたら本人は気付いてないかもしれないが。ランナーズハイとでも言うのだろうか?過酷な状況の中で、二人がさらに遠くへ行くために、アドレナリン全開で走っている。実は、今日の夜のトオシに、公開ゲネも本番も観に来られない人が顔を出す。どうしてもどうしても来られなくて、どうしてもどうしても観たいのなら、トオシでも観て貰うのも構わないと思い、観てもらうことにした。今回は映像も残さないし、限定的な組み合わせだし、レアではある。しかし、あくまでもトオシだし、ゲネよりもさらに状態はよくないわけだが、そんな理由で観てもらうことにした。急遽決まったのだけれど。もし、誰か、どうしてもどうしてもという方がいらっしゃれば、愛川まで連絡ください。作品としては本公演なみのボリュームだし、思い入れもあるし、こだわってもいる。莫大な情報量の中で、二人は本当に頑張っている。作品としては2、3ヶ月コンスタントに稽古をやらなくてはならないくらいの脚本だ。それをこの短い時間の中でやらなければならない。音響と役者しかいないが、作品は劇場公開に負けないくらいにしたいと思っている。いやむしろ、まさに移動する羊だ。役者が何処に行っても表現者としてそこに“在る”ことが大切なのだから。とりあえず、ただ、ひたすらに、アガク。なにはさておき、アガク。もっと高く。もっと遠く。もっと深く。そしてそれに反比例するかのように二人は明るくなってゆく。まるで太陽の下、真剣に遊びまわっている子供のように。

あと2日(厳密に言えばあと1日。公開ゲネが初日だと思っているから)

そんなこんなで、今日も稽古は続いてゆく。
by moving_sheep | 2010-05-14 06:16 | それでも僕らは荒野を歩く | Trackback | Comments(0)

まどろみの王国

なんとか第六感まで使いながら演出をして、ささやかな短い睡眠につく頃に、ただ祈る。目が覚めたら役者二人が作品の高みに届きますように、と。ただ祈る。全力で台詞を放ちながら、人間を生きようとアガキ続けるジュンジュンはまるで、祈り続ける僧侶のようだ。そして役の人物の経験を手にいれようと、作品の奥まで物語を歩んでゆくみやちゃんは、まさに祈りを稽古場で歌っている。前回のミッシングウォーク公演の時に観に来てくれた女優さんに「祈っているだけじゃダメだよね」と言われたことがある。まったくその通りだと思う。祈るくらいなら、ひたすらあがいているほうが良い。そんなことは自明のことだ。それでも祈るだけしか出来ない時がある。僕は短い睡眠時間で、やってくるまどろみの中、悪夢にうなされ、ただ祈る。どうか辿り着いてほしいと。作品が届くかどうかは舞台に立った役者しだいだ。と思っている。どんなに瞬間、稽古場で素晴らしい表現がたち現れても、皆様に観てもらう時に表現出来ないと意味がない。どんなに見事に演出と役者が噛み合っても、ちょっとしたことでズレてしまえば、台無しになってしまうこともある。紙一重は決定的な差になる、ことがある。心を使い、身体を使い、頭を使い、あとに残っているのは祈りだけだ。僕はまどろみの王国で、その瞬間だけ祈りを唱える。リアルを。もっとリアルを。とりあえず二人は祈る時間すらないほどに、作品の高みに向かって走っているけれど。祈るのは僕だけで構わない。ああ。そして今日も、僕らの物語は終わらない。


そんなこんなで、今日も稽古は続いてゆく。
by moving_sheep | 2010-05-13 05:27 | それでも僕らは荒野を歩く | Trackback | Comments(0)