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移動する羊のつぶやきです。


by moving_sheep
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別れと出逢いの季節がやってきた。僕は卒業というキーワードにモロイ。別れというものにユレル。仕事場でベトナムの人と仕事を一時期していたことがある。といっても毎日ではなく週に2回くらいだが。彼は気性の激しい、でも仕事のデキル男であった。仕事がデキルやつに応々にしてあるように、多少傲慢である。独善的である。彼も例にモレズ、そういうタイプだった。と、ここまで書くとまるで彼がハナニツク男のように感じるかもしれないが、意外とアイキョウがあってなんだか憎めない。よく怒って叫んでいるのだが、そんなにイヤな感じはせず、たまにカワイイとさえ思ってしまう。とにかくそんな彼だから、あまりハナシをすることもなかった。そんな彼がある日僕に言った。「アイカワさんオワカレなんです」なんでも結婚をするためにベトナムへ帰郷するのだというのだ。それを聞いて僕は、ムショウに寂しくなった。なんでこんなにハナシもしないし、感情的な人(僕はあまり感情的に仕事をする人は好きではない)なのに、こんなに寂しくなるのだろう。僕はつい、口をついて言ってしまった。「え~?そうなの~?スゴイ寂しいんだけど」と。心から出た言葉だった。そうなのだ。僕はなんだかんだといって彼のことが好きなのだ。彼は僕の気持ちがホンネなのだということに気付いたのだろう。彼は違う職場の人間だったが、その職場でひらいてくれる送別会に僕を誘ってくれた。ほとんど知らない人ばかりの職場に、知らない職場の人が行くというのはイカガなものかと思いながらも、「たぶん大丈夫だと思う」と言ってしまった。なんだか思った以上にワカレが寂しかったのだ。彼は嬉しそうにしていた。「ゼヒ来てよ!」と言う彼はまるで、誰か他の友人の送別会があって、それに人を集める幹事のように見えた。自分ではない他の誰かをソウベツするかのように。でも結局僕は、送別会には行かなかった。どうしても外せない用事がデキてしまい、行けなかったのだ。僕と彼はそれが最期になった。残念ではあったけれど、寂しくはあったけれど、きっと彼は僕のことはそんなには気にはしていないだろうと思っていた。しかししばらくして彼がいた職場に行くことがあり、他の人と仕事をしていたら、その人が送別会のことをハナシてくれた。なんでもベトナムの彼はずっと「アイカワさんがクルからっ」と一晩中言っていたらしい。それを聞いてなんだかセツナクなった。ふと思った。ああ、僕はどんなことがあっても、きっとこれから永遠に逢うことのない彼を、ソウベツするべきだったのだ。さらに思った。どんなに会話がなくても、どんなに国が違っても、気持ちがカヨウことがあるんだと。そして思った。別れというのはやってくる。どんなに心をカヨワセテいてもワカレはやってくるのだと。お互いの人生においてお互いの存在が消えてゆく。残しておけるのは思い出だけだ。そんな季節がやってきた。サヨナラだけが人生さ。それでも、何度でも、出逢いたい。ワカレがやって来ると分かっていても出逢いは素敵なことなんだ。もっともっとたくさんの人に出逢いたい。そしてサヨナラの数を増やしてゆくんだ。サヨナラだけが人生さ。愛川です。

今週の稽古はアリマセン!!
ガーン!

でも何故稽古場情報を書いたかと言うと、とりあえず1ヶ月半ぐらい、稽古場という形の稽古を中止するからであります。
諸事情があり、ちょっと「稽古場」という形はお休みでございます。
でも再開してからは作品を作る稽古をガシガシとして作品を作っていこうと思います。そして地味に発表出来れば良いなと。

ではでは皆様、再開する時にはまた情報を書きます。

是非いらしてください。

にゃー!!
by moving_sheep | 2010-03-26 11:12 | 稽古場レポート | Trackback | Comments(0)
久しぶりに古本屋めぐりをした。あまり新刊は買わない。どうしても読みたい本があって、新刊を買うこともあるけれど、新しくなくても読みたい本はたくさんあるので、よく古本屋に行く。小さい頃は、まだ小説にハマる前(小学六年生くらいまで)は、よく古本屋に行っては昔の漫画を買いあさっていた。手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎(その当時はまだ石ノ森章太郎ではなかった)、横山光輝、永井豪、石川賢、諸星大二郎、白土三平などなど数えあげればキリがない。まるで宝物を発掘するように、たくさんの物語を発見していた。それが小説を読むようになって、さらに物語の深淵へと突き進むようになった。楽しくてしょうがなかった。高校卒業するまでは、お年玉は、ほとんど本を買うのに消えてしまった。小学生の中学年の頃は、よく妹と小説みたいなものも書いていた。好きな漫画を模写したし、漫画らしきものも書いていた。なんだかそんな懐かしい記憶を思い出しながら、古本屋をめぐって十何冊かを購入。今まで読みたかった本、もう一度読み返したい本、読んでみないと分からない未知な本と、とりあえずバラバラなチョイスで購入。しかしオソロシク膨大な物語が溢れているんだなと改めて思った。似ていて、でもまったく違う細分化された、それぞれが「唯一」の物語群。それが複雑に絡み合い、何層にも積み重なり、その領域を広げてゆく。まるで森のようだ。僕は静かに呼吸をしてみる。少ししっとりして、甘い匂いがする。耳をすましてみる。囁きが降ってくる。瞳を閉じてみる。むしろ鮮明にあらゆる風景が現れる。地球のまわる音が聞こえたような気がする。太陽の匂いがしたような気がする。現実よりむしろ鮮やかで、現実よりむしろ現実であるような。古本屋めぐりが終わってからしばらくして、現実の生活で心と身体に傷痕をつける出来事があった。それは心が荒むからこそ、感情を司る脳の、ある部分を傷つけ、五臓六腑を傷つけ、世界と呼応している「魂」を傷つける。そんな時にふと古本屋めぐりのことを思い出し、荒野に少し雨が降る。悲しみをともないながら、でも大地を潤す。僕はもう一度、物語に帰依しなければならないのかもしれない。幼い頃、そうだったように。そこに人生の本筋を見つけていたように。たれていたコウベをあげ、森を見る。太陽を感じる。オゾンの匂いをかぐ。足を裸足にして土を踏みしめ、風を身に受け、耳をすませる。そしたら何処からか音楽が聞こえてくる。僕の中には物語が溢れてくる。そんなふうにならなくてはならない。そんな場所に立たなければならない。心と身体の傷に触れてみる。きっと痛みはいずれ消える。でも何度も思い出すだろう。痛みは消えても、傷痕はなくなることはないのだから。だから何度も見るたびに去来してくる。しかしそれは擬似的体感。いつわりの痛み。でもだからこそ痛みが増してゆくこともある。なぜなら僕は失われてしまったのだから。さて、ひたすらに発掘し続けたあの頃に戻って、僕はもう一度森の中に立たなければならない。そうしなければならない。そう僕は“その場所に立たなくてはならない”のだ。太陽と地球の引力の狭間で。愛川です。

次回の稽古は3月13日の土曜日の13時ー17時です。

場所は東長崎です。(いつも池袋周辺で稽古)

稽古は毎週、集まる人に合わせて脚本を書いています。
基礎トレと移動する羊オリジナルメソッド(かなり心と身体を使う)とテキストで作品作り。

興味のある方は是非、愛川のアドレスに「稽古場参加希望」とタイトルに書いてメールください。
アドレス。
loveriver@di.pdx.ne.jp
by moving_sheep | 2010-03-12 12:24 | 稽古場レポート | Trackback | Comments(0)