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短編演劇企画クリスマスパーティー参加作品「砂の歌が聞こえる」終わりました。

ありがとうございました。

本番なんとか辿り着きました。
公開ゲネとは雲泥の差でした。

公開ゲネの二日間はひたすら絶望の中を彷徨いながら、作品を観ていました。
それでも僕らに出来ることは作品のタカミを目指してリアルを積み重ね、あがくことしか出来ないから、ただひたすらに繰り返し繰り返し、反応し、積み重ね、リアルに向き合い続けました。

そうして作品が辿り着き、面白くなった時に思ったのは、もっともっとやれることがある。
もっともっと面白く出来る。
もっともっと素晴らしい素敵な作品になることが出来る。
ということでした。

単純ですがそういうものです。

そこに行かないと見えないものがあるのです。
そこに行かないと知ることができないことがあるのです。
そうしてさらに未来を見つめるのです。

実は楽しかった面白かったと言ってくれる皆様をよそに、思っていたのはそんなことでした。

まだまだ、面白くなる。
さらに役者はやれることがある。
もっと演出がやれることがある。
それはそう思う、という曖昧なものでなく、具体的な様々なアプローチが山のように出てきたということです。
あれもこれも、さらに高く、遠く、深く。

でもとりあえず、「砂の歌が聞こえる」終わります。
それでも僕らは続きます。
それぞれがそれぞれを、行きます。
いつか出逢うことがあるのかどうかはワカラナイですけど、僕らはまた何処かですれ違い、何かを感じるかもしれません。


観に来ていただいた皆様、本当に本当にありがとうございました!!
by moving_sheep | 2010-12-24 19:31 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

加田斎はとても素晴らしい役者である。
魅力的な俳優である。
彼に出会えたことを幸運だと思っている。

でも、不器用である。
なかなか辿り着いてくれない。
辿り着いても、もっとタカミを目指せると思っている。
いや思わせる。

彼の最大の魅力は、加田斎という人間に由来することだ。

あがき、もがき、心と身体と頭を使って生きようとする人間力だ。

何度でも落ちては上を目指し、這い上がり、そして登ってくる男だ。

オカシミとリアルを引き連れて、彼はまさに”表現者”なのだ。


そうして僕らは砂の歌を響かせる
by moving_sheep | 2010-12-23 19:20 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

様々なことが出来る子だ。
歌い、踊り、語り。
歌はもともと歌い手さんだから圧倒的だ。
踊りは小さい頃からやって慣れしたしんでる。
語りは彼女の文学少女的感覚が発動する。
それでも、演劇といのはさらに様々なことを要求してくる。

頭が良いので、理解が早い。
しかし、身体に落としてゆくのがなかなか苦手だ。
心にリアルと身体を連動させるのがどうにも苦手だ。

それでも、素晴らしい集中力で、ぐんぐんと登ってきた。
さらに山の頂に向かって登ってゆく。
それが出来る子だ。

だから期待せずにはいられない。
だから要求せずにはいられない。

もっと上へ。
さらに上へ。
第七感へ。

そのタカミで彼女はいったいどんな歌を、僕らに聞かせてくれるのだろう。


そうして僕らは砂の歌を歌う
by moving_sheep | 2010-12-23 19:12 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

12月22日の公開ゲネにお越しいただいたお客様、本当にありがとうございました!

リリー羊は音楽羊。
(加田斎はコテコテの役者なんです。しかし大学を卒業し、演劇を始めるにあたり、ある劇団の養成所に入れたのは、彼がオーディションで歌った歌のオカゲで受かったという事実は、あまり知られていない。加田斎の「俺達ミュージシャンコンビだぜ」と遠くをみているのも、あながち間違いじゃないのである)

しかし、まだまだ、砂の歌を聴くに至らず。
悔しいが、まだまだ、自分達の音楽を掴めず。
それでも、呼吸を合わせ、心を合わせ、あがいてあがいて目指しています。

一度掴んだ栄光があり、一度掴んだタカミがあり、それを失い落ちてゆく。
それはまさにブルースだ。
悲しいほどに、ブルースだ。
ブルースの不世出の天才、サニーブルーウォルターがこう言っている。

『失って失って失って、失うことで得たことまで失って、それでも残っているものがブルースだ。そして生まれてくる音楽がブルースだ。謳歌しろよ』

そんな彼らをちゃんと観てくれてありがとうございました。

僕らは底から、音楽を生み出す魂のように、もっともっとタカミを目指します。
上へ。
上へ。
ただひたすら上へ。


今日も僕らはひたすらに稽古場で、砂の歌を聞いている
by moving_sheep | 2010-12-23 07:36 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

12月21日の公開ゲネにお越しいただいたお客様、本当にありがとうございました!

砂の歌が聞こえるは、なんだか不思議な作品です。
ミュージシャンコンビの(加田斎が言っているだけですが。どうなの?にゃんちきん加田様?lenaさんはそうだけど。君の稽古場で歌うラップと言ったら。でも意外とそのラップのファンがいるのがガクガクブルブル。いや確かにある意味、ある領域だ。その)中島玲奈と加田斎のなんとも言えない世界観。

lenaさんは役者歴が長くないので、なかなか大変です。でも公開ゲネにはしっかり覚悟を(たとえばそれは音楽をやっている人たちにしか出せない積み重ねと瞬間の美学と覚悟を)ちゃんと持ってきました。勿論まだまだなんです。それでもそこに、表現の領域に居ようとする集中は、何事にもカエガタイ。

そしてにゃんちきん加田斎はいつもどおりにあがいております。
彼の最大の才能は、そこかもしれません。
落ちそうになっても、落ちない。
たとえ落ちても上がってくる。
いやむしろ落ちてこそ加田斎だ。
そう落ちてその底で、センチメンタル耽美を語るがいいさ。

公開ゲネを観に来てくれた、皆様、本当にありがとうございました!
支えられて、僕らはまだまだ先に行きます。


今日も僕らはひたすらに稽古場で、砂の歌を聞いている
by moving_sheep | 2010-12-22 12:34 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

リリー羊

lenaさんこと中島玲奈が移動する羊の存在を知ったのは、移動する羊の公演を観たからではない。

作品を観る前に、劇団やぶさかの海老原あいさんが移動する羊のブログを紹介してくれて読んでくれていたらしい。
それを劇団やぶさかの『犬神』を観て、打ち上げに顔を出した時に聞いた。

その後「世界が終わらなかったかわりに僕らは終わった」を観に来てくれた。

そして稽古場に参加したいと言ってくれた。

羊の稽古は基礎訓練とミッシングウォークと作品作り(発表に向かうのが一番良いが、まずは作品を作るという純粋な作業)を三本柱にしている。

作品を作る作業が一番モチベーションが上がり、演劇の意味を知ることが出来るからだ。
だからここ最近はワンフレーズテキスト(ミッシングウォークをベースに表現を移動しながら作品モドキを演じるためのモノ)から、完成脚本に近いテキストをなるべく用意するようにしている。

だから羊ユニット合同ワークショップ3日目が終わったあとに、聞いた。
「作品発表する?」

このようにしてリリー羊は始動した。

幸いなことに加田斎が役者復帰をするキッカケにもなったということだ。

10ヶ月のブランクの末、役者として成長して帰ってきた加田斎、と中島玲奈。
この二人で出来ることを、この二人でしか語れない物語を僕は作りださなくてはならない。
絶対的イメージで相対的に。
中島玲奈の期待はプレッシャーであり、それ以上に力になった。

そんな二人の物語の始まりはこうだ。



萩尾隆人が唯一、仕事で人間を撮った写真がかなり話題になった。
いやそれは問題なったと言ったほうが良いのか。
それは彼の大学時代の恩師の教授が監修していた雑誌『プラトン』の表紙を頼まれたからだ。
科学系の雑誌には珍しく、35万部を発行するかなりの固定読者を持つ雑誌だった。
その雑誌の表紙には有名な写真家を起用したり、人気画家に依頼した作品を表紙に使ったりして、それが一つのウリにもなっていた。
勿論内容も素晴らしく科学的専門性だけに留まらず、精神世界や芸術世界の科学との“共演”をコンセプトにしていた。

その雑誌に写真家、萩尾隆人の写真が載るというだけでも話題だったのだが、風景や建物といったモノしか撮っていなかった彼が“人間”を撮ったらしいという噂が掲載前から広がっていた。

そしてその雑誌が発売されると、あっという間に書店から雑誌が消えた。

でもそれはコアな『プラトン』読者でなく、萩尾隆人のファンでもなく、写真に目をとめた、まるで雑誌に興味のないごく一般の人々によるものだった。むしろ『プラトン』読者はその号を手にすることが出来ないものさえ、いた。

その写真には一人の少年が写っていた。

少年が荒野の中で、何かの動物を生のまま食べながら、ふと何かを上空に確認したように空を見ている。

その少年の透きとおった瞳。
まるで笑っているかのように見える口元。
鮮やかな血がかすかについてる。
でも表情は泣いているようにも見えるし不敵に笑っているようにも見える。

後ろには果てしない、荒野。

美しくて、おぞましい。

圧倒的に魂を揺さぶる写真だった。
そして噂が広まった。
その少年が食べている肉は、“人間の子供”では、ない、のか?
そんな噂がとびかった。
確かに子供の指にも見えないモノが足元には写っていた。

ネット上で噂が広まり、メディアにも取り上げられ、バッシングにあい、そして彼の写真集は爆発的に売れた。

もともと一部のファンには圧倒的人気があった写真家だったが、彼の才能はこの掲載を機に、広く一般的に認められるようになった。

そして人々は彼がまた“人間”を撮ってくれること望んだ。
しかし彼はそれ以降二度と人間の写真を撮ることはなかった。

その彼が“死んだ”という噂が流れた。
自殺をしたという噂。

理由があった。
その写真の掲載を機に、売れっ子になった彼がある時期から次々に仕事を断っていた。
そして決まっていた膨大な仕事を、驚異的なスピードで終わらせたのだ。
それもいままで以上に、素晴らしい仕事だった。
まるで、飛ぶ鳥があとを濁さないように。

そうして、それから彼は音信不通になった。

家族も親友も誰一人として彼の行方を知る者はいない。

そうして彼がこの世界からいなくなって数ヵ月後、彼は伝説になった。
それは彼が行方不明になり噂が流れ始めた10ヶ月後。彼の写真。最後の仕事。樹海の先に高くそびえたつ神々しい山の写真が表紙に飾られている『プラトン』だった。その雑誌で、萩尾隆人のまるで走り書きのような一つの言葉が書かれた手記を、恩師である大学教授が、自分のコラムに発表したことで、完成した。
その手記にはこう書かれていた。

『進化の先に行きます』

まるで生命が受胎し、ゆっくりと母親の胎内で進化をとげ、人間になってゆくように、まさにその10ヶ月をかけて彼は、世界にあらゆる憶測や想像を与えながら伝説になった。

それが始まりだった。


『砂の歌が聞こえる』

まさに始まりはココからなのだ。
例えでもなく、前提でもなく、ここから物語は始まる。



今日も僕らはひたすらに稽古場で、砂の歌を聞いている
by moving_sheep | 2010-12-21 23:21 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

昨日、朝昼にリリー羊勇貴羊(個人練習ってことです)、夜に妄想羊を稽古した。
朝昼はほぼ砂の歌の稽古をしていたので、竹中勇貴には『砂の歌が聞こえる』を見学するということで、心の稽古をしてもらう。
(つもりで愛川ひっそりとリリー二人に演出しながら心の中で竹中勇貴に語りかけるのだが)

その中で演出されるリリー羊砂の歌の二人。
加田斎は移動する羊のメンバーなので、きっと一番移動する羊の世界観を認識している。
していると思う。
しているはず。
しているといいな。
ま、一応覚悟はしておこう。

僕らは様々な表現を移動するので、色々出来ることはとても重要だ。
でも彼は決して器用な役者ではない。

動きは面白く身体が動くけどダンスは踊れない。

歌はウマイけど、歌は上手くない。

めちゃくちゃカッコイイのに全然スタイリッシュじゃない。

そう、加田斎は、役者としてとてもとても他の追随をユルサナイほどの巧さを持っているけれど、決して器用ではない男だ。
いやむしろ不器用だ。

それでも俳優としての圧倒的魅力を持っている。

表現者としての覚悟を持っている。

彼が言葉を発すると、背後にある膨大な物語が動きだす。
想いが動きだす。
そしてなんだかオカシイ。
笑えて笑えて、セツナイ。
重くて軽くて、やっぱり重い。
変人に見える。
天才に見える。
ロッカーに見える。
オタクに見える。
ダンディに見える。
博識に見える。
にゃんちきんって言う。
靴下に穴があいてる。
靴にも穴があいてる。
服もほぼ貰い物だ。
寡黙で雄弁だ。
可笑しく真面目だ。
世界から孤立する。

彼は孤独の味を知り、変な踊りを踊りながら、にゃんちきんと世界に向けて叫んでいる。

様々な突きつけられるリアルと演出を積み重ねながら、彼はひたすら上へと層を重ねてゆく。
その重ねた高い高い大地の上から、彼は世界を見ている。
そしてささやかに、ありふれた言葉を語る。
そのありふれたささやかな言葉は世界に響き、僕らの日常に、やはりささやかに降り積もる。

でもそれは確実に僕らに辿り着く、想いだ。
物語だ。
魂だ。

そんな稽古が終わり、夜に稽古場を変えて妄想羊の稽古をした。

そして竹中勇貴にささやかな変化があった。
でもそれは決定的な差だ。
僕はその変化の意味をなんとなく遠くのほうから聞いた。
「今日の稽古見学は参考にならなかった?加田さんとか?」

そして彼は言った。

「加田さんのようにブレないで舞台に居るのは、とても大切なんだなって思った。ブレずに、でも移動をし続けること」

それは表現の領域にいようとする覚悟だ。
移動して移動した先でタカミを目指す、楽をしない、使う力だ。
第六感を使い、作品に向かう謙虚さだ。

そのようにして僕らはナインティナインティを積み重ね、作品を作り続けている。



今日も僕らはひたすらに稽古場で、砂の歌を聞いている
by moving_sheep | 2010-12-19 10:57 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

昨日金曜日はリリー羊の稽古だったので、愛川武博と加田斎は先に集まってlenaさんの到着を待っていた。

彼女は仕事が終わって稽古場に向かっている。

昔、移動する羊にいた女優さんもそうだったのだけれど、仕事終わってからの稽古はモードがなかなか演劇に戻らなくて(いや人によっては逆だろうか?つまり演劇モードに“行けなくて”か?それは何処が自分の居場所かによるのだろう。どちらにせよモードの移行は)大変なのだ。

彼女は音楽がフルサトの人だ。
でも劇団やぶさかに今秋、役者として入団した。
中島玲奈が本名になる。
lenaは音楽活動名義だ。
リリールゥ(lily-ru)という三人組バンドをやっている。

だから創作活動という共通点において、比較的、仕事から芝居作りには移動しやすいみたいだけれど、それでも休日の彼女とは、いつもちょっと違う。

しょうがないのだ。

移動先が音楽ならいざしらず、そもそも今までそんなに役者をやってきたワケではないのだから。

しかし今日は様子が違った。
役に向かう感じが、なんだか良い、のだ。

何故だかワカラナイ。
僕は思う。
あるいは覚悟を少し、手に入れたのかもしれないと。
それで稽古終わったあとに「今日は良かったね」と言ったら彼女がこう返した。

「私、めちゃくちゃ疲れてるんですよ。あまり寝ていないですし。バタバタしたし。どうしてだろう?前にあいさんにも“良かったよ”と言われた時は、めちゃくちゃ疲れている時だったんです」

ちなみに“あいさん”とは僕、愛川のことではありません。
あいはアイでも海老原あい様のあいでございます。
海老原あいさんは今年の春からずっと、移動する羊の音響オペをやってくれている劇団やぶさかの作・演出・主宰なのだ。(感謝!)

何故だろう?

ひとつの答えに近い記憶。

それはその昔、移動する羊がまだ集団になっていなかった頃のこと。

加田斎と金野潤と南壮彦で長時間、ミッシングウォークをひたすらにやったことがある。
それはそれは使えるものを全部使い、全力を出し疲れ果てる加田斎と金野潤。
(南壮彦はまだまだ元気だった)
身体も動かない。
心もヘトヘト。
しかしそこから二人の役者としての佇まいは異常に輝きを増す。
一つ一つの動き、表情、心の在り方、そのすべてが圧倒的存在感をもってたち現れた。
僕はその時に、この二人は素晴らしい俳優なんだなと思った。
謙虚に、真剣に、覚悟を持ってあがき、身体や頭や心を使い果たし、そして最後に残っているのはただひたすらに魂だ。

あるいは中島玲奈は、仕事や音楽活動やプライベートや脚本読解作業で、様々なものを使い、削られたのかもしれない。
余計なものを削り、衣を剥ぎ、彼女の魂を裸にしたのかもしれない。
そして魂で読解し、魂で反応し、魂で表現をする。

あるいは、あるのかもしれない。

彼女にはやるべきことが残っている。
いっぱい課題がある。
まだまだ届かない。
さらにリアルを。
もっとリアルを。
ひたすらに積み重ねを。

でも中島玲奈に、期待せずにはいられない。

魂が反応している表現を、期待せずにはいられない。

そして魂の物語を、期待せずにはいられない。

時間のない中で出来うるすべてを。

僕らはただただ、積み重ねる、のだ。



今日も僕らはひたすらに稽古場で、砂の歌を聞いている
by moving_sheep | 2010-12-18 06:03 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

リリー羊稽古の今日は、『世界が終わらなかったかわりに僕らは終わった』でタケケと共演した羊ユニット「太陽の羊」のヨーコがトオシ(最初から最後まで止めずに演じる)を観に来てくれた。

ヨーコは本番も公開ゲネもどうしても観れないので、これが最初で最後になる。
(昨日は妄想収集家のトオシを観にきてくれた)
一昨日その内容のメールをメンバー全員にメールしたらlenaさんからの返信メールに、ヨーコの名前を呼ぶ長い声が書かれてあった。
それは叫び。
でもあるいは?歌。
そう、それはひょっとしたら彼女にとって歌だったのかもしれない。
そう思うほど長い呼び声。
呼び、叫び、いつしかそれが歌になり、そして彼女は砂の歌を歌った、のかもしれない。
それは一瞬だけ世界にコダマする。

そうトオシの前に思いながら、僕はlenaさんとヨーコを待っていた。
そして思っていた。

少しでも届くといいなー。

そうしてトオシが始まり、加田斎が世界を語り始めて「砂の歌が聞こえる」の初めてのお客様を迎えた発表が始まった。

そして終わった。

感想は不思議なものだった。

覚悟も足りなければ、想いも移動もリアルも足りないのに、なんだか面白い、ということだった。

こりゃーもっともっと稽古して、もっともっと二人がタカミを目指せれば、もっともっと面白くなるんだろうなーと、アタリマエにアタリマエのことを思った。でもそういう風にアタリマエな状態の作品を、僕らは初めから普通に手に入れている。
これはリリー羊ゆえ。

lenaと加田斎と愛川武博の、誰一人として欠けては手に入れられなかった僕らだけの作品。

だからこそ思う。

もっと覚悟を。
もっと想いを。
もっとリアルを。

ヨーコが観にきてくれて本当に良かった。
ありがとう。
さらに目指そうと自然に思わせてくれる愛をありがとう。

目指すよ。


今日もひたすらに僕らは稽古場で、砂の歌を聴いている
by moving_sheep | 2010-12-15 23:57 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)

3人の友人の女の子から、立て続けに報告があった。
「子供を授かりました」
僕は嬉しくなって叫ぶ。
言葉では言い尽くせない想いを文字にして、祝福する。
でもどんなに祝福や祈りの言葉を伝えても、僕のこの気持ちは伝えきれない。

その友人の女の子の中の一人に、刹那の物語、瞬間の音楽、移動する王国をトモに作り上げた女性がいた。

僕は彼女の明るく素敵な笑顔に、何度力を貰ったのだろうか。彼女の前向きな元気は、僕をひたすらに創作活動に向かわせてくれた。彼女がいるだけで、僕は作品を作る力を手に入れた。『僕らは何処にでも行けるぞ』そう本気で思わせた。そうして僕らは一緒に作品を作り、それを上演し、僕らの心に大切な物語を刻んだ。願わくば、観てくれた人々の人生の欠片になることを願って。そしてそれは少しだけ実現した。

始まりは居酒屋の、ささやかな会話だった。

「作品のタイトルや集団名を決めるの苦手なんだよ~」

僕が言うと彼女は、ニコニコしながら言う。

『愛川さんの想う何かでいいんですよ。何か思っていることや、感じたことや、大切な今までの日常や。ううん愛川さんはひたすら演劇を続けているから、きっと演劇的人生の、ささやかな想いで。そんなアタリマエのことでいいんですよ』

僕と彼女の会話を聞きながら、加田斎はひたすらにビールを飲んでニャンチキンとブツブツ言っている。

「うん。でも。苦手だなー」
『考えてみてくだい」
「時間かかるかも」
『待ちます』
「にゃんちきん」


彼女と加田斎は実際ずっと、ギリギリまで黙って僕の脚本を信じて待っていてくれた。どんなに遅くなっても、笑顔でひたすらに待ってくれた。

「あっ」

僕はふと思い出す。

『なんでしょう?』
「昔から僕が言っている言葉があって」
『うん。なんですか?』
「いや、でも、たいしたことじゃないんだけど」
『いいんですよ』
「ちょっと変だよ」
『大丈夫です』
「うん」
『はい!』
「はい。それはゾクであってゾクじゃなくて」
『謎かけですね』
「僕で」
『愛川さんで』
「やっぱ変だよ?」
『きっと大丈夫』
「自分で言ってただけだから」
『それでいいんです』
「そうかな?」
『それが、いいんです』
「うんワカッタ。笑わないでね」
『笑わないよ~』
「にゃにゃにゃ、にゃんちきん」
「うん。その言葉は・・」
『なんです?』

「移動する羊」

そうして彼女はそれを聞いて嬉しそうに、すごくニコニコしながら、こう言った。

『素敵じゃないですか』

このようにして僕らは鹿児島に渡り、二週間かけて『移動する羊』というタイトルの作品を作り、そのままそのタイトルを集団名にひっさげて『演劇集団・移動する羊』を立ちあげる。
もっとも彼女は、その作品を一緒に作ったあと、就職して、結婚して、演劇からは離れるのだけれど。
たった三人のささやかなスタート。
でも、確実に僕らにとって大切なスタート。
その「始まり」はまるで世界に響く祈りのようだった。
届け、届け、と。
僕らの物語が届けと。

彼女は母になる。

まるで子供のように無邪気で、まるで聖母のように優しくて、彼女は一瞬逃げ出したとしても、すぐに今までより強くなって帰ってくる。どんなに涙を流しても、その涙の意味を力に変える。

そんな彼女が、母になる。

僕はひたすらに嬉しくて、嬉しくて。
人前で泣かないと決めたのに、僕はメールを読んで、人ごみの中で涙を流す。
そんな僕の横を、彼女の思い出が通りすぎてゆく。
たくさんの彼女が僕の横を通りすぎてゆく。
僕は何度も振り返る。
そして彼女を確認したら、僕はゆっくり前を向く。
そうして僕は上を見上げる。

君の中に生まれた生命は、長い長い時間をかけて君に会いに来たんだ。地球が生まれたその時から、たぶんきっと、君に会いにくるためだけに長い旅をしてきた。君に出逢うためにその生命は、進化の過程を羊水の海で歩んでる。そこにあるのは46億年の夢だ。祝福の音楽だ。ささやかな祈りの歩きだ。
君はきっと素敵なお母さんになる。

でもどれほどの想いや文字を重ね、祝福や祈りの言葉を伝えても、僕のこの想いは伝えきれない。きっと僕の気持ちは、彼女にはほんの少ししか届かないだろう。
でもそれでいい。
それがいい。
僕のこの想いは僕だけのものだ。

『愛川さんの想う何かでいいんですよ。ささやかな想いで。アタリマエのことで』

僕はそうして笑顔になる。

だから僕はこの想いを頼りに物語を作ろう。
彼女のために物語を作ろう。

それは僕の、ささやかな祈りの物語だ。




公演やります!『砂の歌が聞こえる』
by moving_sheep | 2010-12-15 16:06 | 砂の歌が聞こえる | Trackback | Comments(0)