移動する羊のつぶやきです。

by moving_sheep

カテゴリ:冬 冬 冬(トリプルウィンター)( 4 )

短編演劇企画クリスマスパーティー参加作品「冬 冬 冬(トリプルウィンター)」終わりました。

ありがとうございました。

シークレット芝居として、演目に書かれてないのですが、実はここで上演したのです。
「夏 夏 夏(トリプルサマー)」の続編として、冬なのに、真夏のお話。
そしてクリスマスにピッタリな設定を元に、コミカルに演じる、余興的ていの物語。

しかし残念なことに本番の時、作品発表の順番を急遽変更され、前の演目のバタバタの中やらなきゃならないという状況になり、彼らは作品を保つことが出来なかった。
余興的ていで始まるけれど、すべてが脚本に書かれていて、実は表現の領域を保ちながら芝居をしなければならいように作っているからだ。

でも僕らは役者だけで何処にでも行けるような覚悟で稽古している。
だから、どんな状態になっても表現の領域にひょいと行き、そこに居なければならないのだ。

二人にとって良い経験になったと思う。

公開ゲネ二日間でお客様の人気を集め、本番で、表現の領域にいることの難しさを知る。

でもきっと僕らはもっともっと面白くなって、必ず皆様のもとに帰ってきます。
そしてこの借りを返します。
返すと思う。
返すんじゃないかな。
ま、ちょっとは長い目で見て。


公開ゲネ二日間、本番と、観に来てくれたお客様、本当に本当にありがとうございました!
by moving_sheep | 2010-12-24 19:07 | 冬 冬 冬(トリプルウィンター) | Trackback | Comments(0)

中根 道治(笑 笑 笑)

面白い男である。
舞台で彼は面白く居ることの出来る男だ。
何かを期待させる。
何か面白いことを言ってくれそうだな、と期待させてくれる。

気を抜くとすぐ、ボヤボヤボヤッキーになってしまう人間だけど、それでも彼が何か面白い芝居を観せてくれるのじゃないかと期待してしまう。

だからよくガッカリするけど、やっぱり笑わせてくれるのを期待している。

そして期待通りの中根道治は、めちゃくちゃ面白い。

だから中根道治、面白さのスイッチを押してくれ。

ポチっとな。


僕らは冬でも真夏のテンション
by moving_sheep | 2010-12-24 18:04 | 冬 冬 冬(トリプルウィンター) | Trackback | Comments(0)
竹内もみに演出した。
「すごく素敵な男性を思い浮かべてそれを表情に乗せてやってみて」

そしてら出てきたのが三船敏郎だった。
なんだ、この侍は?
と思ったら、なんと三船敏郎だったのだ。
好みもさることながら、三船敏郎を出来る女優って・・・。

結局この演技は採用しなかったのだが、圧倒的に面白かった。

ただひたすらに面白かった。

そして思ったのが、なんて素晴らしい女優だろうと。

まだまだ、これからどんな一面を見せてくれるのだろうかと思うと楽しみでしょうがない。
まだまだ女優竹内もみ、これからが楽しみでしょうがない。


僕らは冬でも真夏の魂
by moving_sheep | 2010-12-23 19:23 | 冬 冬 冬(トリプルウィンター) | Trackback | Comments(0)
それは羊ユニット合同ワークショップの三日目だった。
ランブル羊(中根道治×竹内もみ×愛川武博)のテキストを書かなければならなくて、さて、はて、どうしたものかと思い悩もうとした時、ふと思った。ランブル羊っぽく書きゃーいいんじゃね?軽やかに、反応と、日常と、ささやかな非日常と。うんうん、そうだな。
つまり、ほぼ思い悩んでないのだ。
つまり、あっという間に書いた。
つまり、楽に書いた。
(つまり、脚本家として瞬発、全力、楽々、楽しんで書いたのだ)
ああ、楽しかった。

僕は毎回羊ユニットは、新しい劇団を立ち上げるつもりでやっている。
新しい集団で、そこでしか出来ないことをやろうとしている。
移動する羊であって、移動する羊じゃない。
似て、違う場所だ。
違う、似た場所だ。

でも立ち上げ当初は何事も楽しいものだ。
何故なら、あまり知らないからこそ、良いところをまだたくさん見ていられるから。
でも、一緒に何かを続けてゆくことは良いことばかりじゃない。
悪しきも、積み重ねていくワケだから、そりゃー楽しいことばかりじゃない。
だから、一回こっきりのプロデュース集団はある意味、楽なのだ。

僕は何事も明日終わるかもしれないと思っている。

明日には君はいない。

明日には僕はいない。

かもしれない。

それでいいのだ。
その気持が覚悟を生むのだ。
全力を生むのだ。
謙虚さを生むのだ。

でも僕はだからこそ、永遠に共に作り続けるつもりで座組みにいどむ。
そのメンバーでずっと未来を見続ける。
未来を前提に僕はメンバーと作品を作る。

矛盾していると思うかもしれないが、僕は明日終わることを覚悟して、メンバーたちと共に永遠に作り続ける覚悟を、持つ。
でも実際には終わりはやってくる。
終わらないものは少ない。
終わらない、ように見えるモノの中にも、終わりはある。
だからこそ、そこに永遠がある。
瞬間が永遠になる、一瞬がある。
そして、終わる。

生まれ、出会い、終わり、死んで、僕らは再び生まれ出逢う。

そんな僕らの物語は、クロニクルだ。
長い長い積み重ね。
魂の年代記。

始まりはこうだ。


その年のクリスマスは真夏日だった。
正確には23日から26日にかけて摂氏32度前後が続いたのだ。
異常気象。
温暖化。
それだけで語るにはあまりにも異常な天候だった。
何故なら、23日の夜、雪が降った。
一時間ほどだが雪が降る。

夕方に水蒸気がグンと空に昇り雲になった。
チリに水蒸気が集まる。
チリと水蒸気のマリアージュ。
それは水滴になる儀式だ。
その時、地上の気温が一気に3度を下まわり、上空1500mの気温が0度からさらにマイナスに進む。
水滴は地上に降りようとする。
水滴は雲粒を取り込み結晶化し、成長してゆく。
そうして結晶は降りてきた。

雪だ。

クリスマス前だったこともあり、終末論的、噂が飛び交う。

>いや、これはまさに神の啓示だ。
>それは新たな降誕だ。
>怒りだ。
>祝福だ。
>そもそもイエスキリストは気象学的には12月生まれではない。
>記述は物語っている。
>終わる。終わりの伝説の始まりだ。
>色を纏いし魂が、世界の終わりに辿り着く。
>天空の夏、地上の太陽。
>夏生まれってホント?
>キリストはただの人間だ。
>世界は終わらないよ、僕ら人間は終わっても。

その時、彼と彼女はエルサレム展に行くと言っていた。
僕も勿論誘われていた。
おりしも12月23日の夕方。
彼女が「見せたいものがあるの」と言って僕らを誘ったのだ。
僕はその日二回目の水浴びをして、お気に入りのTシャツをベットの下の収納ボックスから取り出して着た。でもどうしてもそのお気に入りが今日の心と合わない。別なシャツを着る。ダメだ。僕は着ては脱ぐを繰り返し、8枚目でやっとしっくりくる。
それは彼から貰った、チリのシャツだった。
”うん。これだ”

その時、予感がした。

予感?
いや、正確には反応。
魂が反応しているのがワカル。

それは失われた感覚だった。

ザワザワして、ドキドキして、僕は何かに反応している。

僕は、その感覚を、発掘しなければならない。

その衝動のまま、家を飛び出す。
歩きながら彼と彼女にメールをした。
エルサレム展に行く前に、発掘しなければならない。
それぞれ違う内容のメールをサッと書いた。
僕は基本的に、同じ内容でも、人に合わせて書くことを変える。
メンドクサイがしょうがない。
性分だ。
送信して、ふと立ち止まった。

何処に行けば、いい?

思いつかない。
でも反応だけはある。
衝動だけはある。
それは確信に近い。

その時、変な話だが僕は、空気が、水蒸気が、一気に上空に上がるのを感じたのだ。
それは雪の始まり。
僕の中の水も同時に天空に昇る。
僕は走り出していた。
瞬間、走り出していた。
僕は行くべき場所を思い出した。

長崎だ。

僕は空港まで行き、一番早い便の航空券を買った。
幸いにも30分後発の便に乗ることが出来た。
そして僕は飛行機の中で、その場所に想いを馳せた。

大野教会。
僕の記憶が間違いじゃなければ、出津教会の巡回教会として1893年(明治26年)にド・ロ神父の設計施工により建立された石積みの建物。近隣で産出される玄武岩が用いられている。創設当時は26世帯あった信徒数も1980年代には15世帯に減少して、現在は年に一度ミサがあげられるのみの教会。

僕は一度、教授の考古学の学会が長崎でおこなわれた時に、一緒に長崎に連れて行ってもらったのだ。その時、僕は教授に頼まれた資料集めが思いの他早く終わって、時間を作ることが出来た。せっかく長崎に来たのだから、何処か素敵な教会を巡りたいなと思ったのだ。
できれば、そんな大きくない教会がいい。
それで、案内所に書かれてあった長崎市下大野町にある教会に行くことにしたのだ。
それが大野教会だ。
僕はバスにのってそこまで行った。
バスから見える海がとても綺麗だ。
僕は近くのバス停で降り(もっともそこから結構歩くのだが)、そして国道202号を右に折れ、細い道を上り、左側の一段高い場所にあるはずの、こじんまりとした石積みの建物を目指す。
少し息をきらして辿り着いた場所は、手前に畑の広がる長閑な場所だった。
一見すると民家のようにも見えるが、鬼瓦にあたる部分に築かれた赤い十字や、目の前に立つマリア像などから教会であることがわかる。
ささやか教会だ。
僕が来たかったのはこういう教会だった。
ピッタリだ。
僕は一人ゆっくりと教会の周りをまわる。
そして一周して、戻ったら、マリア像の前に一人の腰の曲がった老婆がいた。
彼女はまるで何かの力を貰うように、瞳を閉じてマリア像に触れていた。
きっと、彼女の毎日の日課になっているのだろう。
しばらくして彼女は目を開けて、高いマリア像を見上げてから、僕を見た。
僕は声をかける。

「こんにちは。いい天気ですね」
『うんうん。そうだね。観光かい?』
「いえ、仕事で。でも、ちょっと時間できたので、フラッと」
『珍しいね。こんなとこまで』
「素敵ですね。来て良かった」
『それは嬉しいね。若い人はあまりいない町だからね』
「いつも祈っているんですか?」
『うんうん。そうだね。マリア様に触っているとね、なんだろうね。うんうん。気付かされるんだよ』
「キヅカサレル?」
『そうさ。自分を、自分が知らなかった自分を、自分に気付かせてくれるんだよ。うんうん。オカシイだろう?この歳になってもまだ、知らない自分がいるんだよ』
「知らない、自分」
『そうさ。そしてそれに気付くと、思うのさ』
「何を、ですか?」
『まだまだ、やりたいことがある』
「まだ、やりたい、こと」
『まだまだ、これからだってね』
「これから」
『92になっても、そう思う』
「そんなものなんですか?」
『お前さんも、ここまで来れば、ワカル』
「そこまで?」
『いつか、行くものだ』
「僕は、そこまで、行けるのだろうか?」
『どうだい。騙されたと思って触ってみるかい?』
「え?」
『何かを発掘できるかもしれないよ』
「発掘・・・」
『どうだい?』
「はい。それじゃ・・・」
『うん。おいで』
「・・・いえ」
『うんうん。どうした?』
「やめときます」
『ん?何故だい?」
「いつか、困ったときに」
『困った時?」
「はい。もし自分の意味を発掘しなければならない時に。でもそれが上手くいかなくて困った時に。その時に来ようと思います。それまでは出来ることならばこの日常で、探してみます。自分の力で自分の意味を発掘しようと思います」
『自分の、意味?』
「はい。意味を」
『うんうん。若さとはそういうものだね』
「そうですか、ね?」
『若ささ。いいね。素晴らしい』
「ありがとうございます」
『でもね。ひとつ言っておくよ。このマリア様はキッカケを与えてくれるだけさ。結局は自分で自分を発掘しているんだよ。それを忘れないでおくれ。そしてもしキッカケがない時は、ここの来てキッカケを貰えば、いい。そして気付けばいい』
「はい」
『待っているよ』

そして僕は再び長崎に降り立つ。
僕はレンタカーを借りて国道202号線を目指す。
山あいの教会を目指す。
マリアを目指す。
僕の、母。
僕の、意味。

僕はそこで自分を発掘する。


トリプルウィンター「冬に真夏がやってくる」からの抜粋2。


ランブル羊、いつ「冬 冬 冬(トリプルウィンター)」やるんだってハナシですが。

なにはさておき僕らは稽古してるし。


僕らは冬の真夏は始まったばかりだ。
by moving_sheep | 2010-12-20 08:38 | 冬 冬 冬(トリプルウィンター) | Trackback | Comments(0)