移動する羊 是楽日
2024-03-19T08:49:18+09:00
moving_sheep
移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び
Excite Blog
『心理も物理で、世界を動かす』~2024年3月18日(月):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33722402/
2024-03-18T22:48:00+09:00
2024-03-19T08:49:18+09:00
2024-03-19T08:49:18+09:00
moving_sheep
未分類
色々なことをやった一日に感じたけれど、目先メソッドに起因するような『伝えるべきことがあるかないか』ということが、自分にとっては無為な一日であったか有為な一日であったかを決める、大きな差であるのだと理解した。
そう、今日、ぼくは、無為に過ごしたと実感したのだ。
動いた数ではない、形にした数ではない、数分でもいい、ひょっとしたら数秒でも、しっかりと使って生きてその在り様を認知した瞬間があったのならば、有為な一日になったのかもしれない。
実際は、台無しに感じたり(本当は台無しにもならないし無駄にもならないのにそう思ったり感じたり)することがあると、あっという間にすべてが無為な一日に思えてくる。
ネガティブは強いから、怒涛のように侵食してくる。
有為な瞬間は確かにあったのに消えてゆく。
気づいたのだから、もっと開き、もっと使い、もっと世界と共に創ることへ向かわ、なければならない。
前に言われた。「~しなければならないって言うのはやめて」と。ぼくは返す。「誰かに云っているのではない、自分に云っている」。だれかにそのような言葉はよっぽどのことがない限り日常生活では使わないようにしている。記憶している限りだとない。脚本には書いた。「君は物語を書かなければならないよ」と。でも誰かには言わない。自分には云う。しかし「私の前ではその言葉を使うのをやめて」と言われたので、更に気を使うようにはなった。あるいはそれに準ずる言動があるかもしれないから。
確かに、誰かを変えることを出来ないのは、人生の長い時間を過ごした人々と自分に教わってきた。でもぼくはかえたい。
はたして自分にも云うべき言葉かどうかは分からなくても、これだけは解る。
「物理を無視してはいけない」
心理も物理で、世界を動かす。
だって世界の一部である己を動かすコトワリだから。
己が変われば世界が変わる。
無為に生きたと思っていたぼくの、有為に変えた気づきを記す。伝える。
愛川武博
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『使って使って動いて眠る、そんな羊を目指すのだ』~2024年3月17日(日):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33721343/
2024-03-17T23:15:00+09:00
2024-03-18T09:16:33+09:00
2024-03-18T09:16:33+09:00
moving_sheep
目先そうそう
最高の睡眠って、眠くて眠くてもう起きていられない状態になってからの眠りだよな~と思っている。
視点を変えて言えば、一日、一生懸命に何かをやって眠る睡眠だと、最高に素敵な睡眠になるのではないのか。
遅く起きて、早く眠ると寝つけるまでに時間がかかるように、起きる時間が早くてずっと一生懸命にやって(それが遊びだとしても)、夜の早い段階で眠くなってちょっと明日のことをすませて心置きなく早めに眠る、時間も取る、これが大事だなと思った。
お昼も仮眠程度ならいいよね。
僕は仮眠が必要なタイプだとは思うけど、時には一気に一日を頑張る(心身を使う)方が効率の良い場合もある。
思い出す。
鹿児島で2週間稽古して舞台公演をした日々。
車の運転をしながら役者たちを送り迎えして脚本を書き演出をして役者として舞台に立った時の、健康的に痩せ、快適な睡眠と、充実な日々は素敵であった。
様々色々を使い動き、三食を食べ、しっかり眠る。
大事なこと。
すごく生きている在り方だったのだなと、僕は映画二本を半分眠りながら観ながら、思いました。
そして夜、僕はええ、眠気が無いので困っています。
とほほ。
使って使って動いて眠る、そんな羊を目指すのだ。
愛川武博
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『姿勢と環境のアプローチチェンジ』~2024年3月16日(土):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33720189/
2024-03-16T23:30:00+09:00
2024-03-17T09:31:07+09:00
2024-03-17T09:31:07+09:00
moving_sheep
目先そうそう
サブスクリプションで映画を三本観た。
今日、明日は潔く、純粋なる自分の時間を満喫するのだと決めたから。メリハリかな、と。集中力の無い中、物事がほとんど形にならない時間を過ごすよりは、ちょっと環境やアプローチを変えてみようと思った。
睡眠時間も増やそうと思う。
他のやるべきことや、やりたいことの比率も変える。
「時間をかけないで効率よく」という考え方を変える。
時間をかける。そもそも時間がかかるのだ。むしろゆっくりと向き合うほうが、結果効率が良いような気がしている。
日数をかける。
しっかり一日の中で向き合う数時間を、いやもっと短くてもいいから、その時間だけは有効に集中して使うことに集中する。その時間だけ手にしたら、あとはオマケと考える。遊びだ。いや仕事だけど。とりあえず遊びだと、思うことにする。気楽に。
建設現場を見ているのが好きな僕は、前々から思っている。職人たちは基本的に急いでいない。事故を起こすからというのもあるのだろうし、工期も雨や雪なども含めてゆっくりに設定するから。知人から話しを聞いてもノンビリだなと実感する。
少なくとも相対的にはそうだ。舞台の装置を造る時とか、けっこう集中して一気に造ることになる。場所の確保とか色々(人的なこと演出的な事などなど)で、劇場に入ってからの仕込みにしてもその前の準備にしても急いで造ることが多い。
建設現場だって実際、急いでやれるようなことは急いでやっていたりする。
前々から思っていたことだけれど、やはり「同じように在らなきゃならない」と本当に思っている。
何度も思い、なかなか上手いこと実行できなかったけれど、これからは時間をかけようと思っている。
あるノーベル賞を受賞した科学者が「八割九割はボーっとしている。その時間が大事だ」と言っていたことも、また、思い出し、時間をかけるための姿勢と環境を整えようと思った。
プライベートはすごく大事だと思っている。
たとえば学校とかはむしろ、子ども達だけじゃなく子どもたちの人格形成に携わるような『先生』は特に、プライベートをととても大事にするべきだと思っている。聖職者としてサービス残業を強いられている現状(小中高と先生の知人が多いので実感している僕)は「それはどうだろう?」と強く思っている。少なくとももっと軽減させる方法を取るべきだと。質の高い教育を得るためにはむしろ、必要なことだと考える。
人が人を育てるのだから。
とはいえ仕事と趣味と欲望が一致している人もいるのだから、その限りではないけれど。
努力の方向が大事。
という訳で、頑張っているけれど、結果的には頑張れてないような姿勢と環境を変えてみようと思っている。
イイ加減を探しながら。
今度こそ、今までよりは長い時間、目指す姿勢と環境を保てるように。
楽を大事に。
愛川武博
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『散、散、散~着地なんか必要ないのだ』~2024年3月15日(金):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33718692/
2024-03-15T19:47:00+09:00
2024-03-15T19:47:02+09:00
2024-03-15T19:47:02+09:00
moving_sheep
目先そうそう
今日は『ノート』を幾つか記した。
しかしどうにも誰かに見せられるような内容ではない気がして、そのままお蔵入りになっている。削除してしまったものも結構ある。
ガラケー、スマホ、紙、パソコン、書き留めておくために全部使う。口頭での文字変換は、なかなか使えていない。どれもこれも、いとも簡単に消える。手書きもファイルしてあるけれど、時と場合によってはすぐに捨ててしまう。
デリートすることを簡単にやってしまうクセがついているような気がするけれど、元来、色々、捨てられないタイプ。
はたと。
ここまで書いて「なんてまとまりのない、何を伝えたいのか分からない、書いている今すらもあやふやな文章だ」と感じて削除しようと思ったけれど、今日はあまりにも形にしたものを無かったことにしているので、とりあえず、記したココまでは残しておこう。
ああ、集中力がない。
とにかく、集中力がない。
花粉のせいにしたいくらいに集中力がない。
ついつい集中力の持続の仕方をネット検索するくらいに集中力がない。
さて二行空けて、書いている訳ですが、この空白は〈数行書いては消す〉を4回繰り返したことを表しています。トータルそれなりの量を結果、書いているという。でも消した。着地点が見つからないという。
書いては消し、書いては消しが加速しているこの感覚は、ダムでせき止めた水が溢れているのに、排出しなければならないのに、排出口が小さく細くかつ砂利が詰まっている中、水圧で押し出され少し流れてはまた砂利が詰まってしまう、のに似ている。似ていると言っても想像だから、そんなことが起こるのかどうかは知らないのですが。
奇妙な感覚ではある。
新鮮さもある。
ただ、扱い方が分からない。
さて一行空けてあるのはどっちも2回書いて消したからです。2回に留めてやったぜ。してやったぜ。足掻いているぜ。もうここでいいんじゃない?頑張ったんじゃない?内臓も気持ち悪いし、きっと体調も良くないのだ。あとは任せるのだ、明日の自分へ。
着地点が見つからない。
肯
ヨシ
愛川武博
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『ドウライヴ・ドウライフ』~2024年3月14日(木):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33717752/
2024-03-14T22:30:00+09:00
2024-03-15T08:31:41+09:00
2024-03-15T08:31:41+09:00
moving_sheep
目先そうそう
ドライブを久しぶりにした。
もちろん普段から車で買い物へ行ったり、映画を観に行ったりはする。
今回だってやっと車庫証明(引っ越しをしてからだいぶたってたので……)の申請をしに行くことが目的なので、正確にはドライブではないのだけれど、ドライブであったな、と。
息抜きにドライブでも行くか、があり、そのついでに車庫証明の申請もした、という感覚が強い、かな。
実際は「ああ、行かなきゃなんだけど……」からの腰上げだった。
「ドライブついでに、くらいの感覚で行こう」と思考を変えた。
ドライブはただ走るだけのこと。
目的地やルートは決めず(ある程度は決めるけれど)、行く。走る。走らせる。
散歩や登山に似ている。
旅・旅行も自分にとっては同じカテゴリーに入るかも。
決定事項(場所・ルート・日時・日程…)の幅はあるけれど、そのどれもが世界を移動する気持ちがある。日常と非日常を生き、その狭間を行く心持ちがある。世界と共に創る在り方がある。
大事だったのだなと思った。
この感覚が、連動を生む。次の動を創る。面白い。自分の動に影響される。自見自創というより、自動連動。軽い気持ちでいい。スモールマインドでいい。スモールアクションをバトンする。
動の生き行き。
連動の生きる。
どうらいぶ。
どうらいふ。
愛川武博
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『夢想が聴こえる』~2024年3月13日(水):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33716146/
2024-03-13T23:53:00+09:00
2024-03-14T01:11:05+09:00
2024-03-14T01:11:05+09:00
moving_sheep
目先そうそう
高い場所から落ちると、高ければ高いほど、その位置まで戻ることは難しいことなのだなと、散歩しながら実感する。
空は高く、青く、雲一つない。
ちょっと前まではあの空に居たような気がする。遠く、高く、深い、その真ん中に。
底から見上げながら思う。
もっともここはここで居心地の良さがある。それが問題ではあるのだけれど。食材とお酒とハンバーガーのテイクアウトを両手で抱えながら帰宅しているイマココも、悪くないと思ってはいる。
それでもふと、空を見上げる。
思いを馳せる。
「僕らは何処にでも行ける。行こうとさえすれば」
夢想が聴こえる。
過去の誰かが言った理想は、まるで夢のようだ。
そんな僕は家に帰って、かなり、かなり久しぶりに某店のハンバーガーを食しビールを飲んで言った。
「くぅ旨いねぇサイコーだねぇ」
ちなみに後々に気持ち悪くなったのは言うまでもない。とはいえ、言うまでもないのは一部の人にとって、ですが……。ああ、聴こえる「え?きもちわるくなるんでしょ?」と言われる声が……。
そう、僕はあるチェーン店のハンバーガーを食べると気持ち悪くなるのだ。どうしても。合わないらしい。分かっているけど、食べたくなって食べた3、4年ぶりのこと。ああ、やはり合わない。合わないけれど、ついついってあるよね。分かってはいるけど、解っていない、そんなこと。
未だにお腹の中で何かが踊っている。気がする。
食べたあと、しょうがないので、僕もハンバーガーと一緒にしばらく音楽を聴きながら踊っていた。
楽しい時間であった。
ああ、いい加減、あの空に戻りたい……。
愛川武博
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『美しき雨』~2024年3月12日(火):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33714943/
2024-03-12T23:43:00+09:00
2024-03-13T06:45:18+09:00
2024-03-13T06:45:18+09:00
moving_sheep
目先そうそう
降りやまない雨は、僕の空では8時頃からずっと続いている。
起床した時点では曇り空。そこからいつの間にか雨空になり、夜まで降り続ける。
家を出て、雨の中を歩くのは大変だけれど、雨の中を歩く楽しさは今日も消えない。
一瞬でも、楽しいがあるのなら、世界を楽しんで生きる命をまだ持っているのだと、思ったりする。
子どもの頃、本当に小さな時から、雨もいい天気だったと記憶が残っているのだから、少なくとも自分はまだ命が溢れていた場所に、些細だとしても居るのだと感じる。
考え。
感じ。
思う。
「思う」と感想で終わらせるスタンスが多いのは、感想や主観の場所に立つことを忘れないため。
簡単に、客観(あくまで時期と時代と集団の思想で構築されている観念の言葉として)の位置へ行けるからこそ、先ずは始まりを忘れないために。
普遍は絶えず個人から始まるから。
法則がある世界に生きて、それでも『例外』がある。今の科学では『例外』を完全に払拭することが難しい世界に生きている。奇妙だね。法則を外れるその例外すらも、いつか解き明かせると信じて研究を続ける人が居て、その境地が楽しみだ。辿り着く。その先。美しき世界。解明された世界。その歩み。美しき歩み。でも今はまだ、僕らは例外が存在する世界に生きている。完璧はない。完全はない。
でも雨は完璧な気がした。
雨は、ただ完璧で完全で、美しかった。
そう、思った。
たとえ明日には、そのように思えなくても今日だけは。
だって僕は不完全だからね。
明日には例外な僕になる。
かもしれない。
完璧で完全な雨に、寒さと冷たさと赦しと癒しを貰った。ような気がした。
愛川武博
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『記している今』~2024年3月11日(月):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33713737/
2024-03-11T23:09:00+09:00
2024-03-12T09:10:52+09:00
2024-03-12T09:10:11+09:00
moving_sheep
目先そうそう
ある種の予感や不安や違和感の正体について考える。
朝の浅い眠りの中で感じた、圧迫され押し潰されそうな閉塞感を伴う不安や強迫観を感じた。その時、薄暗い中に、白いモヤのような何かを見たような気がして、正体が分からないゆえのソレを忌避する気持ち心持ちが生まれる。曖昧で漠然なナニモノかへの感知。
起床しても『違和』は消えることはなかった。
そこで「さて」と、具体的な事案を後々に確認することがある僕は、正体を考える。
そうなるとやはり『感受力』のことをどうしても考えてしまう。
感受の発動、しかしそれは未来を預言するかのような感受力ではなく、起こったこと、起こっていること、見えないだけで物理に近い領域にあるモノへの感受でしかないということ。
そもそも僕は勘が悪い。物理を無視して感情や先入観に任せると的外れになることも自覚している。
だから例えば恋愛相談的な立場で、上手くやれたことはほとんどないと記憶している。
情報がないといけない訳だけれど、勘のいい人は僕とは違う情報を感受していたり持っていたりするのだろうな、と思っている。
つまり色々わからない。しかし見えないけれど発動している物理なら、比較的、わかる。無意識なら、まだ理解しやすい。データを(個人的ではあっても)持っているから。さてさて。
ということで、この感覚は、未来や自分に対してではなく、世界に起こっている何かを感受しているのかもしれないな、と朝から思う。
隣かもしれないし、正体のないモノ、知人やもっと大きな何か、かもしれない。
現象への反応。
とりあえず、先ずは今日という特別になった日の、様々色々へ、祈る。祈った。
何を感受したかは、ひょっとしたら未来がいつか教えてくれるかもしれないから、自分は今を、生きるしかないと、何度も顔を上げる。
同時に考える。思う。
「感受しない力」「無視の選択」「受け流す術」「距離を持つこと」
生きるために必要な感受力が、逆に自分を殺すことにも、なる。
でもまだ僕は大丈夫。
こうやって記すことが出来ている今。
その、コト。
愛川武博
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『花粉襲来』~2024年3月10日(日):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33712772/
2024-03-10T23:08:00+09:00
2024-03-11T12:09:21+09:00
2024-03-11T12:09:21+09:00
moving_sheep
目先そうそう
花粉襲来を感じている。
頭が重い。ヤバシ。これはいよいよもって本格的に襲われている。グゥ。音が出るぜ。こんなんじゃ楽しく過ごせないじゃないか。薬があまり効かなくなっているけど、飲む。ちょっと良くなるくらいでも嬉しい。頭が重いし鼻水も多少でてくる。フィン。鳴いちゃうぜ。
愛川武博
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『だけ、ちょっと』~2024年3月9日(土):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33711632/
2024-03-09T23:17:00+09:00
2024-03-10T13:18:45+09:00
2024-03-10T13:18:45+09:00
moving_sheep
目先そうそう
みかん〈不知火〉は、一か月半ほど寝かすことによって甘みが増し美味しくなるので、一月にもぎ取った『一つ果実』を熟成させていた。
いよいよもって、その不知火を食した。
旨い。本当に美味しい。買ったみかんでは味わえない美味しさが、ある。
『BLUE GIANT』を観た。音楽の聴こえる漫画の映画化。最高でした。素晴らしい。ジャズ、素敵。原作が大好きで、逆に自分の中で最高の演奏イメージがあるので、映画はがっかりするかもしれないと思って観なかった。結果、サブスクで今回観ることに。劇場で観なかったことを後悔するくらいに素晴らしく、大画面と大音量で観たかった。次は映画館へ。ピアノやドラムやテナーサックスをやりたくなるね~。楽器って、音楽って、素敵。
「ちょっと」の力を鑑みる。
「~だけ」は力を貰った。とりあえず行動するには有効だった。「~する、だけ」で動きだしたりする。慣れて効果がなくなるのは、薬でもサプリでもあることだから、次は違う言葉、思考を。「ちょっと~」を考える。腰を軽くする始まりの思考を言葉から。
スモールステップの合言葉。
「~をちょっとする」
そして合わせて一つに始まり一歩。
「ちょっと~するだけ」で、動き出せるといいなと思う。
愛川武博
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『マルだけでも違うのだ』~2024年3月8日(金):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33709910/
2024-03-08T19:19:00+09:00
2024-03-12T09:09:19+09:00
2024-03-08T19:19:01+09:00
moving_sheep
目先そうそう
『マルハラ』なるものがある。前々から知っていたけど、今日きいて改めて色々と思う。文章の終わりに『。』をつけると冷淡、怖い、威圧的、突き放されている、と感じるのだそうだが、なるほど、そう思うこともあるのかもしれないなと思う。
前に稽古場でスケジュールテキストをグループLINEで送った際、「この感じだと~は12時ですか?」的なことがある俳優から送られてきて、色々準備をしていたので、とりあえず時間だけ「10時」と簡潔に返信だけしたら、個人的に彼からLINEがきて「変換されて正確に見られないです」画像が送られてきて「こういうふうに読めません」と来た。だから時間を確認したのだ、ということなのだと思う。急いで変更して送り直した。
後日、「怒ってたし」的なことを笑いながら話してくれて~きっとずっと不愉快な思いをしていたのだろう~僕は「全然、怒っていない。朝の時間で準備していたし、とりあえず早い方が良いかなと思って、時間だけ伝えたのだけど」と伝えた。
他の人にも確認したら、「機嫌が悪かったのかしら?と思った」と一人、女性。ちなみに「別に怒っているとは思わなかった。そんなことで怒る人じゃないし」的な女性、一人。あとの人は何も言わなかった。
確かに、そんなことで怒らない。怒る案件でもない。そもそも僕はどちらかというと我慢強い方だと思う。しかし同時に他の人より我慢するタイプでもある。それは、あまり、よろしくない。ことが多い。小出しに解消できるなら、それが何よりだ。さておき。
たった一言の「10時」で、そんなに怒っていると思い不愉快になるとは微塵も思ってなかった僕は、とても勉強になった。とりあえず「10時です」と「です」だけでもつければ違ったのだろうと思った。……違ったのかな?どうだろう……。
確認をして「そうかあれは怒っているように感じるのか、気をつけます」と皆に伝えた。
前提が違うのもあると思う。
相手への認知度合いや関わった時間もあると思う。
経験的なものかもしれない。
同時に、受け取った側がそもそも持っている〈実感〉〈感覚〉〈思考〉〈感情〉ゆえに、「私がそのようで在るのだから、相手の方にもきっと『ある』はずだ」、と意識、無意識にでも受け取った側が思ってしまうのでは?とも思ったりする。
人には想像力もある。経験もある。体調もある。傾向もある。矜持もあるし、文化もある。
それらによって受け取り方はまるで変わる。
でもやはり一番の問題は、文字で伝えるというのは、どんなに尽くしても言葉(口頭)よりも伝えるのは御しがたいということ。
伝える難しさ、たるや。文字でも言葉(口頭)でも。とくに文字。
昔から何度もメールで失敗している。とても多い。大事なことは直接が良いとは、思う。本当にそう思っている。直接が無理な場合は言葉(文字)を尽くす。幾度も推敲する。
文章では届かないことは分かっているけれど、同時に文章じゃなきゃ伝わらないことがあるようにも思う。人の生身の感情や思考が邪魔をすることがある。何度も読めるし。何度も読めるから、時間がたって意味が変わることも多々あるけど、ね。あげ足も取られちゃうし、とれちゃう。良いものが悪いものへ、悪いものが良いものへ、自分一つの心持ちで変わる。
だからなのか、絵文字とかスタンプとか、素晴らしいなと思っている。嫌がる知人もいたけれど、解るけど、摩擦係数は減る。減る、くらいだけど、でも効果は大きいなと思う。容易に嘘もつけるのだろうけど。
そういえば「絵文字使わないと、気持ちがないんだなって思う」と言っていた知人女性がいた。僕は当時、使う方がよろしくないかなと思っていたので、改めた。人によるのである、本当に。
相手を知るのって、大事。
認知して、誠実に素直に伝えることが、誰かと何かを創るためにはとても大事なのだと思う。そこに思いやりがあったら、なお、いいよね。
一人だけじゃ無理なのだけれど。
(逆に言えば、それをやらないという事は、創る気がない場所に居るという事なのだろう。)
余談な個人的には、創るためには『時間をかける』『余裕を持つ』『準備力』等々~というカテゴリー案件が「結局は何より大事なの」と実感している。
これはむしろ先ずは一人で頑張りなさい、始まりを創りなさいってハナシだよね。
頑張れ、我
愛川武博
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『気の発見』~2024年3月7日(木):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33708675/
2024-03-07T18:59:00+09:00
2024-03-07T18:59:44+09:00
2024-03-07T18:59:44+09:00
moving_sheep
目先そうそう
驚愕の、もう3月だってことの気づき。
毎年思う「新年過ぎてからの早い日々だよ3月だ」あるある。
花粉症がそれほど酷くない、今年は少ないかもしれない、なんて思っていたけれど、引っ越しをした場所が、畑や果樹園が多い地域だから、アスファルトじゃなく土が多い分、今までより花粉症が酷くないのかもしれないと気がついた、今朝の我。
あり得る。
ヨーグルト(腸内環境調え)と、眼と鼻の周りのワセリン塗りを試そうと思っていたけれど、こりゃこのまま桜が咲くかも?
桜咲く時期には、少し落ち着く。花粉。
とりあえずこのまま落ち着いていてほしい我の花粉症。
鼻水をたらしながら願う僕。
どっぷりその世界にはまると消費になるけど、ちょっと触れるくらいなら吸収・栄養・始動になることに気がついたお昼過ぎの、僕。
加減は難しいけど、良い塩梅の関り方、というか接し方、というか食べ方、というか向き合う方を手にしたら、しっかり蓄積なり財産なり貯蓄なり連動なりに成る可能性は高くなるのだと、思う。
腑に落ちる。合点がいく。
コレ、使い勝手がありそうだ、す。
愛川武博
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『古語は新しい』~2024年3月6日(水):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33706596/
2024-03-06T19:51:00+09:00
2024-03-06T19:51:02+09:00
2024-03-06T19:51:02+09:00
moving_sheep
目先そうそう
幾層にもある夢を潜っているのか、登っているのか、遠くへ歩いているのか、って思うくらいの新しい感覚を得るってすごいね、夢って。
体調というのは、なんとも御しがたい。
「ぎょしがたい」って扱いにくい、うまく扱えない、思い通りのコントロールが難しいって意味なのだけど、「難しい」と言うより「御しがたい」って云う方が『挑戦しているけれど難しい』感じがする。前向きな感じ。かな?かも。そう思った。
古来の言葉の良さを再確認している最近の僕。
使って行こう。
これからは、もっと。
もっとも「御しがたい」は古語ではないのか………?
一般的に使われなくなった言葉でも、むしろピタリと「表しているな~」という言葉になったりするから、日本人の感覚を持っているのだなと思ったりする。もしくは先人たちってすごいわねと思ったりもする。言葉だけじゃなくても、たくさんある。
過去はいつでも新しくなる。することが出来る。過去を生かす。その姿勢。在り方。機会。スモールステップ。
古語。
いとをかし。
愛川武博
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『夢が創る』~2024年3月5日(火):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33705477/
2024-03-05T19:47:00+09:00
2024-03-05T19:47:29+09:00
2024-03-05T19:47:29+09:00
moving_sheep
目先そうそう
気づいたこと。
短い睡眠時間では、様々色々な夢を見て、それこそ啓示的なものから日常をベースにしたものなどカラフルである。しかし長い睡眠時間を取っていると、どんどん非日常感は削がれて、日常に近い現実的な夢を見ることが多くなる。
ということ。
それで考えた仮説。
一次夢と二次夢があるのではないか?
一事あるいは二事といった方がいいかな。
毎日の情報処理を脳がする。整理する。しかしある程度のラインを超えた時に、その整理は、一つ形を変えるのではないか?
ミュージシャンが夢で曲を創るように、作家が夢をベースに物語を書くように、夢が創る領域が(時間・質などなど条件が)あるのではないか、という仮説。
夢が創り出す構造を解き明かしたら、人間の脳がAIの能力すらも引き上げるかもしれない。あるいは人間の脳をAI化すること(?)が出来るかもしれない。夢物語の話ではなく、現実的に。なんて考えたりする。もっとも現代ではスタンダードな視点なのかもしれないけれど、腑に落ちたという。
高速化する情報処理では『非現実的な夢を構築』し、低速化した情報処理は『現実的に近い夢を構築』する。
少なくとも僕は、日々、かなりの情報を取るクセがある(それこそ街へ出たらかなりの人を見て感じて感受する)ので、とても合点がいく。
ちなみにどちらも魅力的である。
人によっては情報を取る能力も、姿勢も、無意識も様々だし、脳の使い方も色々だし、睡眠の取り方、記憶もそれぞれであるので判断は難しいだろうけれど、ピンときたという。
主観も感想も、大事なデータの一つだ。始まりだ。
誰かが発想した見えた感じた考えた主観、感想、合点を証明することで、文化文明科学が発展してきたことも、また。
そしてその主観や感想が集まって、おおきな集団の意思ともなる。
集団の思考。
実際それを『時代』と呼んだりする。
と思うのだよね。
僕は夢を物語にする。
歌も曲も、よく夢の中で創る。
「夢を見たよ~♪島の夢を~♪なんだか悲しい島の夢を~♪」
目が覚めて、夢をそのままに歌ったことを思い出す。その歌が、せつなくて良い歌だと言ってくれた人を。ちなみに自分ではあまり再現できない。夢から覚めてすぐに、僕がつい口ずさんだ歌を聞いた、彼女が歌う歌の方が断然に良い。確かにせつなさのある、ある種の良さがあった。
夢を形にするのは楽しい時間である。
でも何より夢は楽しい。
どんな悪夢でも、ね。
生きているうちは。
足掻いているうちは。
愛川武博
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『心の一次産』~2024年3月4日(月):目先想創
http://kohitsuji.exblog.jp/33704986/
2024-03-04T20:56:00+09:00
2024-03-05T11:59:44+09:00
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moving_sheep
目先そうそう
映画『アーガイル』鑑賞。マシュー・ヴォーン監督節、炸裂。最高。楽しい。
夕方、帰宅して図書館で文芸誌をいくつか読んでいたら、ふと腑に落ちた感覚があった。
僕は自分の創る作品が、誰かの心の栄養になってくれるならと思っていたけれど、そうか娯楽(例えば芸術作品と言われているモノも含めて、誰かにとっての娯楽)は、心の第一次産業なのだなと思った。
農業・林業・水産業の第一次産業。
製造一般の第二次産業。
その他の第三次産業。
僕のやっていることは、区分で言えば第三次産業だけれど、感覚で言えば心の第一次産業。
だから創られるものは消費され、時に広く知られないままに朽ち、数多生まれ、日々を豊かにし、大事にされ、無駄にされ軽んじられ、それでも必要とされるもの。
僕は、僕らは心の食物を育てていた。社会や倫理や何より個人を守るべきために必要な家の材料を育てていた。生きるために必要なたんぱく質のような力、命、生命エネルギーを世界から捕まえ育てていた。
第一次産業に携わる在り方なのだ。
とても腑に落ちた。
大事にもっとこの感覚を確かなモノとして掴んでいこう。
そう思った。
個人的でとても大きな意味を持つような感覚。視点。思考。在り方。行き方。生き方。
心の第一次産業者で在るということ。
愛川武博
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