移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

代替現実ゲーム

現実を侵食する「代替現実」ゲーム。これってすごい。

ゲームソフトの宣伝でやってるみたいだけど、そんなケチな事言わずずっと続けたらいいのにね。そのうち現実の一部になる予感がするよ。芝居もこんな形になったら面白いのになあ。まあ、寺山修司の「ノック」とか「人力飛行機ソロモン」でそれは既に実現してるけど、もっと公演日程とか場所とかを広げてできたら面白いのに。全国に役者散らばらして。あ、でも演劇の場合、声優とかじゃなく、マジで普通の人間がやらかすわけだから、虚構と現実の境目が曖昧すぎるか。まあ、それが曖昧になることによって、普通の日常の風景までもが演劇的に見えてくるってのが面白いところではあるんだろうけど。例えばさ、演劇っていうものがある一つの虚構であると仮定するならば、それはまあ乱暴に言えば現実ではない嘘なわけだ。すると例えば、例えばだよ、4人の彼女と同時につきあっているドンファンがいるとしてさ、彼がそれぞれの彼女に「お前だけだよ」っていうことは広義の意味において、演劇と言えるわけじゃん?(その場合のその状態のことを「演じている」って言うでしょ?そういう意味でね。)一般的に言うなら、それは浮気を隠す嘘でしかないよね。とすると、現実に演劇を持ち込もうとするならば、私たちはまずそこのところの線引きをする必要に駆られるわけだ。でもそこに線引きをした時点で最早代替現実とはなり得ないってのもあるけど。うーん難しいところ。そうだ!あらかじめ演劇を発動させる可能性のある相手にチケットを配っておくってのはどうだろうか?それを相手が演劇という記号を受け入れると容認して受け取った場合、その相手は観客となり、渡したほうは演者となる。演劇はいついかなる時に発動するかはわからず、それによって互いの関係は見る・見られるという緊張状態となる。これによって、現実も演劇も同時進行で起こることにはならないだろうか?意味がわからなくなってきた。なってきたけど、ここで一つ更に考えたこと。これによって、演者は人生の失敗を取り返せるってことにはならないだろうか?「あれは、ぶっちゃけ演技でした」という魔法の一言によって。これはもしかして人類の求めてやまない、時間旅行じゃないか?無限のパラレルワールドを展開することで、現実と虚構の表裏をぐるぐる回していき、人生をあらゆる方向へと広げたり縮めたりする。うまくやらないともの凄いどつぼにはまりそうだけど。んで、そんな世の中になった暁には、初めて会う人には名刺ではなく、自分の芝居へのチケット交換でご挨拶。これで、トラブルは未然に回避されたようなもの。ミラクル!

勿論、誕生の日には首からチケットをぶらさげるの。ああ・・・この世はすべて虚構・・・
by moving_sheep | 2004-11-07 01:36 | Trackback