移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

目先物語 「ネジの魂」 作:愛川武博


僕は湾岸線を芝浦方面に向けて車を走らせていた。それは友人からの奇妙なお願いを引き受けたからだった。いやお願いというより依頼だ。

「俺の車に乗ってくれないか?ただ車を走らせてくれるだけでいい。なに、ドライブ気分で好きなところを走ってくれるだけでいいんだ。もちろんたいした金額じゃないけどバイト代もだす。ガソリン代も勿論こちら持ちだ。」

その奇妙なハナシを聞いた瞬間に、僕はたぶん怪訝な顔をしたのだろう、彼は軽く頷くと小さくため息をついて言った。

「うん、そりゃそうだよな。そうなるよな。うん、あるよ。あるんだ。一つだけ条件が、ある。」

「そうだよね。そりゃあるはずだ。ただ車を走らせるなんてバイト、世界中にいるニートの半分が飛びつくようなバイトだ。車のモニター試乗ならいざ知らず。あ、まさか、おいおい、ひょっとしたらアンケートに答えろって言うんじゃないだろうね?自分の愛車の乗り心地のさ。」

僕は軽い笑い声をつけて言葉を返した。しかし彼はそんなことはお構いなしに神妙に言った。

「まさにその通りなんだ。」
「え?」
「いや、誤解しないで欲しいんだけど、アンケートなんてものは用意してない。でもそれに準ずることを、お願いしたい。」
「なんだい?」
「車に乗って、“あれ、これは何か違和感だな”って思ったことがあったら教えて欲しいんだ。」
「違和感?」
「気になったことでもいい。」
「なんだよ、車の調子が悪いのか?」
「悪くない。むしろ完璧なほど整備している。」

そうだった。彼は高専出身のバリバリの機械オタクだった。そんな彼が車の不具合をそのまま放っておくはずがない。しかしむしろ逆に不安になる。僕は念のために聞いた。

「僕に危害が加わるようなことはない?」
「ない。それはない。君が事故を起こさない限りないし、そもそも事故を起こされたら困る。俺の大事な愛車だからな。」
「そりゃそうだ。」
「ただ、走らせて、何か感じることがあればそれを俺に伝えてくれるだけでいい。それだけだ。な、頼むよ。お願いだ。」

なんだかイヤな予感がした。しかし僕の勘はよく外れる。自分の勘というものをあまり信じていない。生来、賭け事に向いていない。先天的に勘が悪いのだから、おそらくこのイヤな予感もきっと外れるだろうと思ったが、一応言ってみた。

「なんかイヤな予感が…」
「大丈夫だ、お前の勘は外れる。」
最後まで言わせてもらえなかった。
「分かった。引き受けるよ。それにその感じじゃ僕がいいんだろう?他の誰かじゃなく。」
「そうだ。お前ほらなんていうか、よく色々な視点で気づくことが得意だから。」
「勘は悪いけどね。」
「それに俺もお前が何か言いたいことがあったら素直に聞くと思うから。」

何があるんだよ、と思ったがそれは口にしないことにした。命に関わるようなことでもないし、どうせ車に乗らない限り何があるかだなんて分からないんだから。そうやって僕は車を走らせていた。北のほうから東を通り、南の湾岸線に出て、西へ向かった。西の南より。どうしても海を見たかったから。ドライブだけを丸1日して良いというのなら、海を見ないのは勿体ない。

車は特に異常はなかった。むしろ快適だと言ったほうが良いだろう。普段の整備が充分されているのがよく分かる。何より内装もシートもハンドルも車内の空気すらも、〈快適〉という環境に見事に改造されている。これはもう完璧な一つの生命体ではないか?と思わせるほどだ。

僕は湘南のほうまで足を伸ばそうと思っていた。その前に少しだけ仮眠をとろうと、湾岸線からレインボーブリッジを渡る前に、埠頭の近くで車を止めた。そしてシートを倒して携帯で1時間のタイマーをかけて、すぐ眠りに落ちた。

どれくらい眠っただろう?タイマーはまだ鳴っていなかったからよく分からないけれど、2、30分ほどで、僕は遠くに聞こえる声で目が覚めた。どうやら車の外で誰かが話をしているらしい。シートを戻し、目をこすりながら周りを見た。しかし車の周りには誰も居なかった。むしろ人の気配などまるでしなかった。おそらく夢か、自分の寝言で目が覚めたのだろう。たまにそういうことがある。

「…聴こえるんだね。」

息を飲む音ともにそんな言葉が聞こえた。もう一度周りを見渡す。誰も居ない。寝起きだからか視野もぼんやりして、まるでカスミがかかっているみたいだ。…いや違う。これは実際にカスミがかっているのだ。手で軽く空気を動かす。かすかに細かい霧が手に触る感覚。

「やっと聴こえる人間が乗ってくれた。」

どうやらカスミが話しているようだ。僕は会話を試みる。任せろ、最近じゃすっかりこんな奇妙な現象には慣れっこだ。そう思いながら少し口の中は乾いていたけど。

「君はいったい誰だい?」
「うん、そうそう、そうやって聞いて貰えるのが醍醐味だよね。僕はカスミさ。」
そのままだった~!心の中で驚愕しながらのツッコミをいれ、一呼吸おいてさらに聞いた。
「なぜカスミが喋れるのだろう?そしていったい何故この車に居るのだろう?」
「まずカスミは喋れるものさ。」
答えになっていない…。
「そしてこの車に居るのは、僕がこの車自体だからさ。」
なるほど、謎は解けた。解けた?いや解けていない。僕はもう一つ聞いた。
「君はいまだって自分のことをカスミだって言ったじゃないか?変じゃないかい?カスミなのに車だなんて。」
「あ、確かに。バレた。」

ウソつかれた~!いったいどっちが本当だ?カスミ?車?次の言葉を待つ。息を殺す。その気配にカスミは一つ息を吐いて(と感じた。実際には吐いていないけれど一呼吸あったあと)倍音のような響きで言った。

「僕は魂を持った一本のネジなんだ。」
どっちもウソだった~!
「ちょっと他の部品に振動を与えてラジエターからささやかに霧を出してもらってね、演出演出、なかなかでしょ?」
僕は無視して一番疑問に思った聞きたいことを聞いた。
「ネジが魂を持つのかい?」
「むしろネジは魂を持ちやすいんだ。人間だって螺旋で出来てるだろ?」
うん?あ、遺伝子、DNAのことか。
「僕は数千億分の一の確率で生まれた螺旋の魂さ。」
カッコいいこといいまする、ね。
「カッコいいだろう?」
なに!?全然カッコよくありません!
「でも僕はもうすぐ死ぬんだけれどね。」
え?
「僕は魂としては純粋すぎるんだ。」
魂として純粋すぎる?
「だから、条件が揃わないと長生きできない。ひょっとしたら僕みたいな魂を、人間は愛と呼ぶのかもしれない。いや、うん、愛さ。」
愛?
「僕はさ、この車を愛してる。この車を所有している人を愛してる。車が感じる風も、車と会話する彼も、僕の声が届かない彼も。」
それでも君は愛している?
「それでも僕は愛してるんだ。だって僕は螺旋の愛、純粋なる魂だから。」
その君が死ぬ。
「そして僕はもうすぐ死ぬ。」
そして君の声は届かない。
「僕は届かない。」
ネジの言葉を聞いて僕は、しばらく沈黙した後に、ずっと考えていた思いをやっと言葉にした。口にせずにはいられなかった。やはり伝えたいと思った。
「かわりにあいつに届けてあげるよ。」
ネジは少し微笑んだ、ように感じた。そして言った。
「言っても伝わらないと、思う。」
「そんなことは伝えてみないと分からない。彼にとって車は大事だし、車の部品一つ一つにも愛情と情熱を持って接している。」

その時に僕は、ネジがもう一つ深くねじ込まれるような音を聞いた。胸が締め付けられるような音だった。その音のあと、30秒ほどの静寂の中、ネジは優しく語り出した。

「確かにそうやって愛情と情熱をかけてくれる。本物だと思う。本当だと感じる。でも彼にとって車は大事だけれど、車は彼の中心じゃない。車は彼の中に埋蔵されている大切なものを呼び起こすためのものであって、彼にはもっと大切な生活がある。その生活のためには、その愛情をかけたものをきっと捨てることが出来るんだ。そしてそれは仕方のないことなんだよ。人はそうやって生きてゆく。でも僕は違う。」

僕には彼の言っていることの半分も、分からないのだろうと感じていた。難しい、じゃなく、あまりに深い愛の響きが、その言葉の中に溢れていたから。その深さを僕は知らない。だから何も言えなかった。黙っている僕に、ネジはまるで楽しそうに話しかけた。

「ねぇ、僕の声を聞ける人。」
「なんだい?」
「お願いがあるんだ、聞いてくれる?」
「お願いによる。」
「簡単、でもとても難しい。」
「なんだろう?ナゾナゾみたいだけれど…。……言ってみて。」
「うん。あのさ、これから僕は死ぬけれど、君だけでも良いから僕を覚えていてくれないかい?」
「え?」
「覚えていて欲しんだ。」
「……それだけ?」
「そう。」
「……確かに、簡単で難しい。」
「でしょ?」
「うん。」
「…どうかな?」
「……ワカッタ。覚えておくよ。死ぬまで、ずっと、覚えてる。」
「ありがとう。ねぇ。」
「なんだい?」
「生きるって、愛するってことなんだね。そして愛するって素晴らしい。」

僕はその時にぽろぽろと涙がこぼれた。ぽろぽろとぽろぽろと。ただぽろぽろと。そしてネジに言った。

「そうだね、君はまさに生きてるよ。」
何も答えは返ってこない。
「ねぇネジくん?」
答えない。
「ネジくん?」

静寂が優しく感じた。僕はその時、もう彼がこの世には居ないことを知った。それでも。それでもどうしても伝えたかったから、僕はネジに最後に言った。もう聞こえないことは分かっていても。

「ねぇ、もし今度どこかでまた会うことがあったなら、その時は友達になってくれないか、ネジくん?」

それから僕は、海沿いにずっと車を走らせた。夕日と夜の狭間を走った。そうして夜が深くなる前に高速に乗り、友達の家がある北へと向かった。友達は車を返す時に案の定、「どうだった?」と聞いたが僕は「別段特に変わった感じはなかったよ」と伝えた。彼は少し納得していない様子だったが、僕の続けて言った言葉に納得したようだった。

「大丈夫、素晴らしい良い車だよ。相変わらず腕がいい。何があったかは知らないけれど、これからはきっと大丈夫だよ。」

彼は「ありがとう」と言うと、安心したからかなのか、嬉しそうに笑顔で話す。

「良かった。実はこの車、かなり良い値段で買ってくれる買い手がいてさ。もちろんその金額以上にお金と手間暇をかけたんだけど。何よりとても大事な車だから。スゴくスゴく悩んだんだけど、俺ももうすぐ結婚するし、まあいいかなって。譲るならちゃんと譲りたいし、なるべく不安要素はなくしたくてさ。いやなんか気になることがあって。本当にちょっと引っ掛かるくらいの。でも良かった、安心したよ。」

僕の中でかすかにネジが閉まる音がする、ような気がした。きっと錯覚だろう。僕は人間で僕の中にはネジはないから。でもひょっとしたら心の中に生きているネジくんの、愛が鳴いた音だったのかもしれない。

覚えているよ。
僕はずっと君のことを覚えている。
僕が死ぬその時まで。
ネジくん。


Fin


by moving_sheep | 2026-05-06 00:00 | 物語/目先物語 | Trackback