移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

目先物語 「ガジュマルの森」 作:愛川武博 


運転免許を持っていない彼女に、自転車が車両であることを伝え、簡単に最低限のルールを教えて僕らは池袋から高田馬場へサイクリングに出かけた。

意外だったが、自転車に乗るのは小学生以来だそうだ。自転車を使うような環境にはなく、大学進学で東京に上京してからも徒歩と電車移動で済んだ。

確かに必要はない。地上にも地下にも鉄道が走っているし、いざって時は歩けばいい。都心であればそれほどの距離はない。でも僕は電車に極力乗りたくなく、自転車で移動することに憧れを持つようになった。一緒に作品を創っていた三つ上の俳優が、自転車で都内のほとんどの場所を移動していたからだ。

ふと思い立ち、池袋で自転車を購入し、西口公園の地下にある駐輪場を借りて置いた。活動のほとんどが池袋であったからだ。

その日の朝、突然、当時住んでいた千葉方面から、長い時間をかけて都内へ自転車で向かうと思い立つ。翌日の予定がなく、どれほど疲れても問題ないだろうと推測し、草臥れ帰れなくなったらどこかのビジネスホテルにでも泊まればいいと考えたのだ。6時間近くをかけて池袋に辿り着き、稽古場へと向かった。しかし集まるはずのメンバーのほとんどが予定外の問題が発生し、集まるはずの4人は来られず、結局彼女と二人になった。もちろん稽古にならない。さて、どうするかと思案していた。一つ、彼女が受け持っている生徒たちのために、童話を書きたいと言っていたことを思い出した。小学1年生を受け持っていた彼女の、作品の相談と打ち合わせをしようと思いついた瞬間、彼女が言った。

「蒼さん、サイクリングに行きましょう。世界と一緒に創る稽古へ行きましょう。あ、何か童話のヒントも貰えるかも。うん。そしてラーメン食べましょう。高田馬場に行きましょう。聖地。ラーメンの聖地へ行きましょう。自転車もう一つあるでしょう?駅前にある自転車、貸してくださいよ。」

思い付きと行動力には定評のある(僕の中で、だけれど)彼女の力強い言葉に引っ張られ、二人でサイクリングに出かけた。その時の僕はスマートフォンを持っておらず、折り畳みの携帯、いわゆるガラケーしか持っていなかったので、彼女が最初にスマートフォンで道順を調べた。僕に伝える。イメージする。それほど難しくない。迷っても、それはそれで楽しい。時間はたっぷりあるのだから。僕らは町を走る。当たり前のことだけれど、たくさんの種類の建物が建っていて、いくつかの土地で工事が行われ、庭先の植物、街路樹、神社がいくつかある。都市整備の決まりで、ある程度の区画ごとに必ず作らなければならないたくさんの大小様々な公園もある。

しかし彼女の言った『世界と一緒に創りましょうよ。』の言葉のおかげで、そのどれもが興味深く、その全てにそれぞれの物語を感じることが出来た。

町街は物語の宝庫だ。

縦列で僕の後ろを追いかけてくる彼女。子どものように見たそのままを真っ直ぐに報告する。町街の風景の中の、たくさんの物語を楽しんでいるようだった。背中で熱を感じる。彼女のワクワクが伝わる。同じ気持ちで走っている。魂が聴こえてくる。

自転車をこぎながら、天気のよい春の中を走るのはとても楽しい。ペダルを踏む力は、町に溢れている物語感じれば感じるほど増していった。背中から感じるワクワクもまた、自転車をこぐ力に変わってゆく。

「黄色と白の花だ。」
「大きな公園だね。」
「面白い形の家、どんな人が住んでるのかな?」
聴こえてくる町の風景は、そのまま彼女が触れた色だ。物語だ。たまに音楽だ。
「ふふ~ん♪ふふ~ん♪」

ちなみに何を歌っているかはあまり分からなかったけれど、おそらく8曲は違う歌を歌っていたはずだ。僕は背中から聴こえてくる道案内と色と物語と音楽を楽しみながら長い、長い坂道をくだりはじめた。風が吹き抜ける。さすがに怖いのか、ささやかな叫び声が聞こえたので僕はブレーキをかけながら坂道をおりる。彼女もブレーキをかける。その時に小さな何かに気づく声が聞こえた。

「あ……。」

その「あ」は小さくても、遠くまで届きそうな「あ」だった。声に気がついてはいたけれど、ブレーキをかけながらとはいえ坂道をそれなりのスピードで走っていたので、僕はそのまま坂道の下までおりる。道は丁字路になっていて、正面には氷川神社があった。頭の中にあった地図だと、左折をした方が良かったので、車に注意しながら左に曲がり、氷川神社の入口がある三差路の鳥居の前で自転車を止めて後ろに話しかけた。

「どうしたの?」
「え?何がですか?」
「ほら、坂をくだってすぐ〝あ〟って言ったじゃない。」
「私、言ってました?」
「言ってたけど…。」
「いえ、〝あ〟って言うようなことはあったんですけど、言ったのは無意識だったんだと思います。私、口に出してたんですね……。そうか。なるほど……。」
あまりに神妙に自分の中で咀嚼している姿に、触れてはいけない空気を感じた。
「え?なになに何。何があったんですか…?ちょっと怖いんですけど。」

大きな瞳(実際は目が大きいのだけれど、彼女の瞳は他の人より大きく見える眼球)をさらに開示して言った。まるで子どもに優しく言い聞かせるように。

「怖くないですよ。ただ立派なガジュマルの樹があったんです。知ってます、ガジュマル?」
「知ってるも何も、僕は奄美大島出身ですよ?知らないワケがないでしょ。」
「そうでした。」

笑い声はケタケタと彼女の周りにオノマトペを描く。漫画みたいだなと思いながら、彼女の彼女らしさに呆れた。喜びを伴って。

「もう君はホントウに君だね。」
「前に言ってましたね。ガジュマルの樹によく登って、秘密基地も造ったりもしたって。」
「僕はずっと野山を駆け回っていたからね。でも本当にあったの?ガジュマルが立派だってことは、それなりの大きさだよね?僕は東京で見たことないけど。そもそもそんなに大きく育たないんじゃない?鉢植えとかでよく売ってはいるけど。」
「とても大きくて立派なガジュマルでしたよ。」
「そうか…。」

ガジュマルは熱帯植物で、根っこが地上から出て複雑に絡まりあい、更にたくさんのヒゲのような根っこである気根を葉っぱの部分から垂らしてくる。ガジュマルの樹にはケンムンっていう妖精が住んでいると言われていて、ケンムンは魚の目玉が大好きだ。沖縄ではキジムナーと呼ばれている妖怪だ。そして〈幸福の樹〉と言われている。小さな鉢植えとして園芸コーナーでよく販売されていた。

彼女が見たのが本当にガジュマルの樹ならば、島にあるのと変わらないくらいの大きさだってことになる。僕は考えをまとめて、続けて言った。

「それはどんな場所に植えてあったのだろう?」
「それは、それなりに広い庭の真ん中に一本だけ植えてありました。」
「へぇ素敵だね。」
「そしてその樹の上のほうに少年が座っていました。坊主頭に青色のTシャツにデニムの短パンをはいていました。目も合いましたよ?」
「坂道のくだりの一瞬で?なんだろう?なんだかとても象徴的だね……。」
「ショウチョウテキ?」

まるで言葉の意味が分からない外国人が、音だけを真似するかのように繰り返した。

「うん。ガジュマルの樹にはケンムンっていう精霊?が棲んでいるって言われてる。沖縄だとキジムナーって云うんだけど、君が見た樹の上に居る少年は、なんだかそんなケンムンみたいだなって思ったんだ。」
「……本物かも。」
「まさか。」
「言われてみれば、なんだかちょっと不思議な感じがした少年だったし…うん、あれは本物ですねっ。うん。」

眩しい。真っ直ぐな瞳が眩しい。僕はあまりの眩しさに両手で両目を一度覆ってから、冷静に真面目に可能な限り真顔になって神妙に返した。

「とりあえず帰りに僕も見てみようかな……。」
「そうしてください、見てください~。だって本物のケンムンかもですよ?」
「帰りはさすがに居ないでしょ。」
「樹を見るだけでも必見ですよ~。」

彼女はそう言うと得意気で不敵な笑顔をしてみせた。自分の見つけた物語がさも素敵でしょうと言わんばかりに。確かに、素敵だ。いいものを見つけたじゃないか。やるね。なかなかやるね。僕は心の中で突っ込んだ。それが顔に出たのだろうか、彼女は僕をみると「あれ?なんで」って顔をしながら質問した。

「ん?どうしてそんなに嬉しそうに笑ってるんですか?」

笑っている?ああ、そうか僕は笑顔になっているのか。気づかなかった。

「ひょっとして馬鹿にしてます?変なこと言ってるって。私は、変なこと、言ってませんからね。」

いったいどんな琴線に触れたのかは分からないけれど、語調が強くなる彼女を見て、今度はハッキリと自覚しながら笑って言った。

「いや、うん、愉しそうだなって思ってさ。君は、物語と出逢って、とても楽しそうだ。うん。よし、じゃあ行こう、ラーメンを食べに。行こう、聖地に。」

彼女は「なんだ?なんだ?どういうことなんだ?」と言いながら走り出す僕の後を追いかけてきた。そのまま川を渡り、商店街を抜けたらもう高田馬場の駅前だった。

僕たちは早稲田通りを中野方面に向かい、駅から5分ほど歩いた場所にある味噌ラーメン屋で味噌ラーメンを食べてからまた池袋に向かった。

坂下で、先端が三角になっている長い板に、坂の名前が書いてあるのを発見した。登る人には坂の名称が分かるようにしてあるのだ。細長い板には〈七曲がり坂〉と書いてあった。
僕らは期待しながら坂を登る。果たして少年は居るだろうか?坂の上のほうにある、ガジュマルの樹が植えてある家を探した。しかし少年どころかガジュマルの樹のある家自体がなかった。似たような家すらもなかった。

「おかしいですね。ハッキリしっかり見たんですけど……。」と彼女は言った。「でも実際はない。」と僕が返す。「怖い!幽霊屋敷!?」と小さく叫ぶ彼女に対して「いやいや君自身が〝怖い〟ことになってたりしない?」と可能な限り低い声で伝えた。
「ん?どういうことです?」
「だってほら、ないモノを見たんですからね。幻視、幻覚ってことかもしれないよ?」
「本物でしたよ?」
「でも、実際にはないよね、家も樹も。」
「なるほど……それ……きっと現れたり消えたりする不可思議屋敷ですよ!」
そう言うとさっきまで怖がっていたのにケラケラと笑いだした。いったい何が可笑しいのか分からないけど、こんな天気の良い日に笑わないのはもったいないし、笑えばもっと春を楽しめるのだと彼女は知っているみたいに笑っている。
「なるほど、そうか。じゃあ、不可思議屋敷がどうして君にだけ見えたのかを検証だね。」
「え?」
「え?…だってきっと理由があるでしょう?」
「いえいえいえ、そういう意味の『え?』じゃなくて。」
「どういう意味なの?」
「えーと……信じるんですか?」
「え?まさかウソついたの?」
「本当に見ましたよ!」
「なら見えた理由があるはずだよ。」
「……ふーん。」
「ん?なに?なになになに。」
「ふーんふーんふーん。」

そう言いながら彼女は、今度はゆっくり愉しそうになりながらまた不敵な顔をした。しかしよく不敵になる人だ。その不敵は、ゆっくりと自信のようなモノに変わり、彼女は坂の下に広がる豊島区と新宿区と中野区の境目を見ながら満面の笑顔で言った。

「ねぇ。私の中に生まれた、確信にも似たこの現象への解釈、ううん物語を聴いてもらえますか?」
「え?はい。聴きましょう。場合によっては、君の童話のヒントになるかもしれないしね。」
「ありがとうございます。」
「それはどんな物語?」
「少年の物語。」
「ガジュマルの樹の?」
「はい。見えないだけで、本当はソコにいる少年とガジュマルの物語。」
「面白そうだね。」
「そしてあなたの物語。」
「…え?僕の物語?」
「はい。少年はおそらくあなたです。あなたの中にずっと昔から居る少年とガジュマルの樹。私が見たのはきっとあなたなんですよ。」
「少年が、僕?」
「よく思い出したら、希望と絶望と期待と失望とリアリストとロマンチストが同時に様々、色々、つまり様色に溢れている坊主頭の少年でした。」
「そんなにメンドクサイ感じなんですか自分!?」
「はい。」

即答し、そしてまたケラケラと笑った。言った。

「ねぇ。あなたは何処にでも行けるんですよ?だって心の中にたくさんを持ってるじゃないですか。そりゃ足りないこともたくさんだけれど、同じくらい、ううんそれ以上にたくさんの色や音楽や踊りや物語を持ってるじゃないですか。行った先でまた、それはどんどん増えてくる。いつまでガジュマルの根っこに縛られてるんですか。樹から降りてくるべきですよ。だってほら、大好きなガジュマルの樹だって、あなたの中に在るんですから。あなたは持っているんだから。持ってゆけばいいんです。私が見たのは、あなたが囚われているガジュマルの樹です。これはあなたの中の〈幸福の樹〉を、物語を、たくさんの人に渡す旅立ちの物語です。少年!」
「……はい。」

青年を通り越して中年にさしかかっていると思ったけど、僕は呼ばれたままに応えた。

「死ぬまで生きよう。」
「…え?」
「あれ?変ですね。変だな。よく分からないですね。でも、そういうことなんです。んーと、えーと………。」
「……ありがとう。」
「え?」
「素敵な物語だと思う。」
「あら?こちらこそありがとうございます。」
「……ねぇ。」
「なんですか?」
「僕はもう一度、自分の中にあるガジュマルの樹を、本気で育ててみようと思う。」
「昔に造った秘密基地のガジュマルの樹じゃなくて?」
「うん。秘密基地から降りて。自分の脚で旅した先で。新しい場所で。新しい〈幸福の樹〉を。たくさんの樹を。そしてそれをいつの日か、世界中のたくさんの人たちに渡してゆきたいと思う。」
「素敵ですね。」

頷き、僕は坂の上から町を見た。たくさんの色、音楽、物語が溢れている。想いの根が拡がっている。様々な気持ちが町街を創る。気根。まるでガジュマルの森みたいだ。それは自分の中にも溢れている。

僕は振り向くと、同じように町を眺めている彼女に言った。
「行こうか。帰りは先頭を走る?」
やっぱり彼女は得意技の『不敵な笑顔』で無敵に返す。
「任せてください。」
空は青く、蒼く、そして何より広かった。


Fin


by moving_sheep | 2026-04-29 00:00 | 物語/目先物語 | Trackback