移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

目先物語 「金星と悪魔」 作:愛川武博


「ちょっと、扇風機いい?」

後ろから声をかけられ、あわてて振り向むいた。そこには今にも折れそうなほどの細い小さなおじいさんが目を細めて立っていた。

「ごめんなさい。ちょっとボーっと考え事してました。」

謝罪し、場所を譲る僕に彼は、さらに目を細めながら言った。

「かなり難しいこと考えてたみたいだね。」

確かにその通りだ。きっと文章化をしてみても、なんだかややこしくてまとまらなくて伝わりにくいだろう。

「でもたまにはそんな物語もいい。」
物語?
「思考が、物語、なんですか?」
「んにゃ、あんたの佇まいが、かな。でも考え事が佇まいになるのなら、思考は物語だな。だからそのまま生きりゃええんじゃない?あんたの物語だからね。」
言葉に詰まる。
「なんちゃって。」

軽い。なんて軽く重そうなことを喋るおじいちゃんなのだと思いながら、会釈をして、体重計から少し離れた場所にある自分のロッカーを開けようとした。しかし左手につけていたはずのロッカーの鍵がない。やってしまった。どうやら露天風呂の何処かに落としたらしい。外に出るまでは、つけていたのを覚えている。僕は見つかることを願いながら、再び露天風呂に戻った。

ほうぼうを探す。最初の寝風呂。壺風呂。源泉かけながし。塩サウナ。どこにもない。僕は途方に暮れて空を見上げた。月がいつの間にか出ている。金星だと思われる星も煌々としている。困った時の月頼み。困った時だけ金星頼み。僕は心の中で冗談を言った。

〈月か金星かどちらでもいい。僕の鍵を知らないだろうか?これじゃこのままずっと僕は裸のままだ。〉

ふと思いつく。

〈誰かが受付まで届けてくれているかもしれない。行こう。先ずは受付に行ってみよう。……ああ、裸じゃ行けない……。そうだよね。アナウンスがきっとあるよね……。ということは、鍵は見つかっていないのか……。〉

その時、声が響いた。

「大事な鍵は君が持っている。ただ君自身がそれに気がついてないだけさ。」

反射的に振り向く。涼む用の椅子に、長い髪を束ねた男が座っていた。右足を左太ももに乗せている。細い顔。筋肉のついた締まった身体。身長はおそらく190は越えているはずだ。目は異様に大きく、眉は太くて長い。鼻筋は通り、長く厚い。右の口角をあげて微笑んでいるせいか、口はとても大きく見える。

彼が本当に自分に話しかけたのかが分からなくて戸惑っていると、彼は続けて言った。

「君に話しかけた。大丈夫、合っているよ。」

改めて正面から声を聞くと、低いけれど、とてもしっかりと通る声だった。大きな声は出していない。むしろ声は僕にしか届いていないのではないかと思うほど、小さいように思う。

「あの?どうして僕が鍵を探しているのが分かったんですか?」

質問すると、彼はさらにニヤリと笑い、さらに小さく、でも前よりももっと通る声で言った。

「悪魔だからさ。」

頭をガンと打たれたように衝撃の後にくらくらした。彼の言葉はあまりに説得力があり、信じる信じないを通り越し、圧倒的事実として僕には聞こえたからだ。そもそもワードに驚いた。お風呂場で聞く台詞じゃない。僕は考える。事実はその瞬間においては衝撃だったりもするだろう。でも向き合えば、その事実は事実として受け入れられる。ずっとそうしてきたじゃないか。

〈そうだ、僕はいよいよ悪魔に遭遇したのだ。〉

真剣に受け入れることにした。きっと草臥れが過ぎたのだと思う。
「ま、冗談だけど。」
「あれ……。」
「あれ?信じた?」
「…いえ、まさか。いや…でも実は、ちょっと…。」
「ごめんゴメン。ま、悪魔じゃないけど、でも俺はほら『解析屋』だからね、分かっちゃうの。」
「え?ん?……カイセキ屋…?」
「そう解析。解析とは物事を細かく解き開き、理論に基づき『研究』すること、屋。だから研究し形にする者だね。」
だねって言われても、どういう人だか全然分からないのですけど。
「全然分からないんだけどって顔だね。」
解析されている!
「うん解析している。」
ちょちょ、超、能力…。
「超能力者ではないよ。いわゆる一般的な意味の、ね。ただ突出した才能って意味じゃ、超、能力者ではあるね。」
……………。
「お、心を閉ざした。」
「あの……。」
「ん?」
「いったい僕の何を解析しているのですか?」
「なるほど、いい質問でかつもっともな質問だ。解析出来るモノは色々あるよ。肌、瞳の色、もちろん表情、筋肉。でも何より解析しているのは君の髪の毛だ。そうほらこれ。」

そう言って人差し指と親指を合わせた右手を上げた。指の間に一本の髪の毛がある。多分、ある。あまり見えない。本当にあるかしら?ぐっと顔を近づけてみた。

「あるよ、そう君の髪だ。いま当てた様々はメンタリストが使う技を応用したに過ぎない。行動を見れば分かる。解析できる。受け答えもそうだ。つまりある程度の予想の範疇で、かつ君は俺にコントロールされていたってワケだ。しかしこれは違う。この髪の毛からの解析は俺の専売特許だからね。」
「あなたの専売特許……?」
「そうだ覚えときな。髪は語るぜ。」
「髪が語る……。」
「ああ。その内容があまりに面白かったので声をかけちまった。」
「内容。例えば僕の思考?」
「例えば、君の絶望。つまりは君の希望。あるいは恋心。それこそ事実の意味を知る勇気。それでも揺れる思いの丈。いとおしいゆえの嫌悪感。事実という刃で殺しても殺しても何度でも生まれてくる君の希望。」
「希望二回言ってますよ。」
「それぐらいってことさ。君は本当に好きなんだね~。」
「何がですか…。」
「ん~。」
「言葉を選ばなくてもいいですよ。」
「いや、選ぼう。そしてかつ本質を言おう。」
「はい。お願いします。」
「それは〝物語〟だ。」
「……え?」
「君は物語に恋をしている。いや愛していると言っていい。僕の言っていること…分かるかい?」
「たぶん…いえ、きっと分かると思います。」
「うん。」

彼は最高に素敵な笑顔をした。眩しい。まるで金星みたいに眩しい。僕はあまりの眩しさに両手で両目を一度覆ってから、冷静に真面目に可能な限り真顔になって神妙に尋ねた。

「それで。」
「なんだい?」
「僕の探している鍵も解析してもらえますか?説明してもらえますか?まるで意味深だ。僕自身が持っているなんて。」
「実はそれが一番簡単に解析できたんだ。」
そう言うと彼は僕の足元を指差した。見ると僕の右足の足首に、ロッカーの鍵がとめてある。
「あ…。」
「そういうものさ。大切なモノの答えは、大抵自分が持っている。ただそれに気がつかないだけだよ。」
彼は軽くウィンクした。
……かっこいい。
そして立ち上がり、僕の肩を軽く叩いて言った。
「何か困ったことがあったなら、土曜日の夜にこの銭湯にくればいい。大抵俺はいる。」
「あの、なんで僕に…。」
「人を好きになるのに時間は必要ない。もっとも理由があるけどね。短い時間だけれど、俺はお前の髪の毛に在るたくさんのリアルと会話した。人はな、向き合った数だ。そしてお前は俺に会った時から全力で向き合った、だろ?」

確かに。自分の悪いクセだ。相手の中にあるモノを先ずは簡単に信じる。そして裏切る姿を見る。でも裏切るのは僕に対してじゃない、相手の中にあった本当や本物や本音を、相手自身が己を裏切って嘘にする。虚にする。そして自分が自分自身を裏切っていることに気がつかない。僕はただそれに巻き込まれるだけだ。巻き込まれ、苦しくなる。

「それでいいじゃないか、お前の生き方だ。それがお前の…」
「…物語?」
「いいね。」

彼はそれだけ言うと軽く右手をあげて、そのまま更衣室へと消えていった。
僕は金星を見上げる。
心の中で呟いた。

〈僕はどうやら素敵な悪魔に出逢ったみたいだ。〉


Fin


by moving_sheep | 2026-04-22 00:00 | 物語/目先物語 | Trackback