電車に乗りながら花粉交響曲を聞いている。
僕もオーケストラの一員だ。
花粉に指揮をされ、ポーレン・シンフォニーを奏でている。何という花粉量なのだ。人が電車に集まり増えるほどに盛り上がっていく。まるでボレロのように。いやボレロは交響曲じゃなく舞曲だけど。
ぐずぐす、ずるずる、くしゅくしゅ、しゃしゅんしゃしゅん、すんすん、ぴしゅんぴしゅん、ずーずー、じゅーんじゅーん、ああ、いよいよみんなが一番降りる駅へ来たよ。
大団円だよ。
ぐずるしゅしゃすぴずじゅっくっしゅん!!
……とはならず、皆さまフッと静かになりましたと…さ。そりゃそうだよね。電車の中で行き場ない花粉が、いや世の花粉たちが、ドアが開くことで少しだけだとしても解放されるのだから…。
そんなこんなを記していたら…。
電車乗り換えました。
第二楽章の始まりです。
帰宅するまで往復、電車乗るの四回か……。
電車、ツライ。
第四楽章までやるのか…………ハッ!
まさに交響曲……。
これぞポーレン・シンフォニー!
…………。
…………。
ふぃん。
花粉交響曲とタイトルをつけたが、ポーレン・シンフォニーって呼び方も良いなと思った朝のこと。
『ポーレン・シンフォニー』
電車に乗っていると外を眺めることが多い。その中で、町を歩いている人々を見るたびに思考することがある。
「ぼくから見えている彼女彼らに、ぼくが成る日があるからこそ、見られているという視点を持とう」
前に空港へ行くモノレールに乗った時や飛行機視点の時にも同じことを書いたけれど、視点を移動する、もしくは同時に持つことをやることがある。感覚的な意味でいえば俯瞰・鳥瞰はもちろん、獣瞰・虫瞰みたいなものを持つということ。
誰かに見られ、誰かに無視されている。
無視されていることの方が多々ですが。
知らない気づかないのがスタンダードだ。
川原の水の中で世界を眺めるような。
座った視点で街と人々を眺めるような。
見る視点、角度、次元で世界が変わる。
話を戻すと、いま電車の中で書いている僕もまた、周りからすれば携帯(ガラケーだけど)を見ている人であり、今、周りを見渡している傍観者、であるということ。
あらゆる視点を集める。
いや移動する。
『視点収集家の旅』
あーついに目を掻いちゃった。
ダメ。
止まらなくなる。
炎症が炎症を呼ぶ~。
きゅう。
『かく』
小説を書く訓練にはやはり映像プラスだ。
映像を記すスタンスだ。
コレだぜ。
つまり?
映像作品を頭の中で文章化するのだ。
風景・調度品・視点・建造物・衣服・機微・表情を。何よりシーンの切り取りと構成を。移動を。展開を。それには具体と意図が溢れている、いわゆる名作が何よりだが、駄作でもアプローチしてみると財産だね。
そしてここからが重要だ。
訓練したことを全て捨てる。
(つもりで書く…得たモノは消えないから)
自由に好きなように書くのだ。
どんな描き方でもいい。
この破綻、崩壊、壊滅が小説を豊かにする。
映像作品ではなく日常でもいい。
むしろ日常こそ最たるだ。
(目先はまさにその一端)
うむ。
ただ映像プラス、最近はやってなかった。
「やるか……」
そんなことを考えながらミステリーを観た。
結局やらなかった。
おいっ。
一つ面白いミステリーアイデアは浮かんだ。
うむ。
『のんびりと云うなかれ』
今日の稽古。
ツクルをそれぞれ、やる。
(僕のはレジュメ…長い作品だったゆえ…)
そこから各々の作品の目先。
推敲したり直したりしていない始まりを。
読解し、目先し、伝える。
そこから先は、それぞれの先へ。
さらに二月のフリカエリ。
もう二月も終わりなの……。
くぅ。早い。むう。
それにしても目標がクリア出来ぬ。
「これ、毎週、振り返り…して改善や…」
そうなりました。
ぎゃふん。
それにしても花粉が酷い。
眠れるのかが不安なくらい。
きゃっふん。
おやすみなさい。
愛川武博