移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

『だからこそ。だからこそ。』~2026年2月2日(月):目先想創


夢を見た。前によく一緒に作品を創っていた女子(仮にタスクちゃんと呼ぼうか)と男子(アキラカくん呼ぼう)と僕と三人で、川と丘と草原を散歩する夢だ。

その前に男子だけの集団で、あれやこれやと話していた。クセの強い一人の男子にちょっと不愉快にもなりながら。そして移動する段階で、ふとアキラカくんがうんこをしてくると言った。突然、現れたのだ。話していたメンバーには居なかったように思う。

トイレはない。アキラカくんはうんこを川べりの何処かでしてくるのだという。僕は彼らしいなと思いながら待つ。そして帰ってきた彼と、いつの間にか合流していたタスクちゃんと三人で散歩へと向かった。

知らない場所だ。
川原。
上流へ向かう左手には丘。
鋼鉄の大きな桟橋。
丘は山のように感じる程に険しい。
草で覆われた川べり。
でも深くない草むらで歩きやすい。
丘の上まで行ける階段は急だ。
危ないので手すりもついている。
緩やかにらせん状に造られた階段。
踊り場もある。
実際登ると、思った以上に高い。
僕らは丘を登り、草原を歩き、丘を下る。
語る。
降りながらいつものように僕は熱く語る。

ふと先を歩いていたアキラカくんに対して違和を感じる。彼のため息。微かな舌打ち。否定拒否の空気が流れたその直後、彼は踊り場の手すりに足をかけて、そのまま丘から飛び降りた。僕は身を乗り出し見下ろすと、彼はゆっくりと先の見えない奈落へと落ちていった。

タスクちゃんは驚いて口を押えているけれど、さもありなんと受け入れている節もある。彼女の在り方は意外だった。僕もドキッとしたが、不思議と受け入れていた。
左様であるならば、ごきげんよう。
そんな思いだったのかもしれない。
道は様々だ。
そうして目が覚めた。

自分の感受力にいくらかの自負を持っている僕は、「ひょっとしたら現実世界で何かあったのかもしれない」と思った。本人じゃなくても象徴として。ただ誰かだとしても、僕から確認を取ることは出来ない。そもそも何をどのように尋ねればいいのだ……。

でもふと気になったので今朝、彼のInstagramは、覗いてみた。自分の持っているアカウントは全然使っていないし、フォローもほとんどしていないけれど(二つだけしている…情報を得るために…)知り合いの動向を覗きに行くことは出来る。

しかし数ヶ月ほど更新していない。だから「彼はまるで関係なく、単なる示唆として見た夢なのかもしれない…」と考えた。そもそも夢で現実世界を判断するなど現実的じゃないのだ。

とはいえ念のため、夕方にもう一度だけ彼のInstagramを見てみたら、まさかの絵の写真が投稿されているではありませんか。それがなんと……驚くことに……まるでうんこみたいな絵だったのです……。ちなみにこれは直喩です。紙に、筆のように描かれている幾つかの図形たち。そのどれもが、あらゆるタイプのうんこの形にそっくりなのです。かなりびっくりした。

「アートはうんこだ」と言ったのは誰だったか……?確かに作品というのは誰かの排泄物であるのかもしれない。しかし肥やしで育てた野菜や果物を、美味しく食することがあるように、自分から出てきた排泄物を養分にして、人が食べられるモノ、栄養のあるモノ美味しいモノを、ツクルのもまた作品だ。そう思う。うむ。ハナシがそれた…かな…。

ちなみに絵は躍動感があって素敵でした。

さて。またいつものように夢に何かの意味を探し、読解しようとして、今回は一つ、ささやかな答えを貰ったように思えた。もっとも更に意味が分からなくなるような偶然だったけれど……。

人生は儚い。
明日には簡単に死ぬ。
だからこそ。だからこそ。

意味もない。
使命もない。
絶えず滅ぶ。
それでも。それでも。

いつだって遅れてやってくるのだから。
後世が意味も使命も滅びも語るのだから。
その時まで。その時まで。
生きる。生きる。

おやすみなさい。
おやすみなさい。


愛川武博


by moving_sheep | 2026-02-02 23:39 | 目先そうそう | Trackback