2025年 05月 27日
『具抽性に目覚めました』~2025年5月27日(火):目先想創
久しぶりに朝から図書館へ行った。仕事は、やりません。そういう日です。
「今日は夕方まで(閉館20時まではちょっと…ね…長い…だからこそ集中して……)書くのだ!」というワケです。
久しぶりにカートバーさんにも会え「良かった元気そうで何よりです」と嬉しくなり、「知らない司書さんが増えているわ…」なんてちょっと驚き、「しまった。朝、眠くならないようにと思って飲んだ珈琲が多すぎた…逆に、気持ち悪くて集中できない…」と焦ったりしながら、「先ずは書いてみよう」と執筆中の作品の続きを書いたのです。
いや、楽しい。いいね。流石、幾つもの行った図書館の中から選んだ図書館なだけあって、快適です。
人が少ない(夏は増えるけど…)。
パソコンブースが個席(逆に無意識が出やすいのか、隣の無意識が聴こえてくることは多々あるけど…)。
何より家から近い(そのために引っ越したからね)。
でもね。書いていると、もうね『筋トレやランニングを休んでいたけど、久しぶりに復帰して何とか頑張って動いています』みたいな感じです。
つまりまるで気力集中力が続かない。すぐに休みたくなる。書いて「いいねぇ」なんてなって満足しちゃう。「イカン!」と再度一文を書く。イイ感じになって「このまま」って思いながらも、ヒュンと一息つきたいがやってくる。だから叫んだ。
「書力が落ちてる!ハゲみなさい!頭髪並みに!」
あ、もちろん心の中で、です。はい。でも叫んでみて気がついたことがある。白黒つけない曖昧だからこその意識、というか、〆切観念から生まれるバランスの良い心身感覚、というか、そんな思考。
それは「ここまで、ここまで。先ずはここまで。あそこまで。出来れば簡単なデッサンでもいいからソレまで。ソコまで行ければ、アレまで行って……。あれで、これで、そこから、ここへ」という指示語的な思考でした。
抽象的なのに具体的で、具体があるけど抽象になる感じで。でも一言で言えば、具体的な抽象なの。
コレ思った。「これ、いいな」って。
曖昧さと明確さのバランスが?
そもそも僕は接続詞と指示語が大好きだ。書く物はほとんどソレと言っても過言じゃないくらい好きだ。あ…過言ですね…。流石にマズイからね…。でも戸田奈津子先生がミッションインポッシブル・ファイナルレコニングで、敵AIである〈エンティティ〉のことを〈ソレ〉と字幕で訳すくらいには指示語が好きだ。
でも一応、好きだからこそ使う時は気をつけるようにしている。正確には推敲の時にかなり手を入れる。だってほら無意識でどんどん使っちゃうから。
とはいえ「少なくしたぜ。バランスとったぜ」なんて思ってしばらくたってから読むと、想像以上に多くてガッカリしたりする。役者にも言われる。分かっているだけに「ふぃぃん」となる。だが、こう言う。「うん。あえて」と。笑顔で。そして後々、こっそりと修正したりする。何食わぬ顔して、ね。
さて。ようは具体抽象の同時発動は、戯曲性(動かされる心…とする)を生む、ということである。
戯曲とは演劇の脚本・台本。
戯曲性はその演劇を内包する性質。
演劇には様々色々(物語・音・色・衣・食・建築・感情・思想……等々)が含まれる。つまり人々を動かす〈動〉がある。
だから僕にとって戯曲性とは『様色に動かされる心』であるのだ。
その戯曲性が自分の中に生まれる感覚。
僕はこれを『具抽性』と名付けました!
「でた~好きだね~そうやって造語作るの~」
「…………」
「ね~?」
「うん。あえて?」
「でもさ…そういう事だったら別に〈抽具〉でもいいんじゃない?」
「否。抽象的な具体ではなく、具体的な抽象だから。全然違う。だから具抽です!」
「…………ふーん」
「あ、今、メンドクサイっと思ったね。思ったでしょう。めんどくさいって!」
「思ってないよ」
「いや、思ったね。めんどくさいって思ったね。絶対思った。思ったに違いない。思ったはずだ。お主って大儀なりって思ったはずだ!」
「なんで古語……」
「でしょ!そうでしょう!そうに決まってる!」
「…………」
「なにっ?」
「……………メンドクサイ」
というワケで、こんな感じで、そんなふうに、励んでいこうかなって、そう思いました。
はい。
おやすみなさい。
愛川武博
by moving_sheep
| 2025-05-27 19:50
| 目先そうそう
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