移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

『分崩の姿勢』~2025年4月11日(金):目先想創


「このまま行けると思っていたスタンスが崩れてしまうには理由があるのだろう」と考えた僕は、ここ二日、思案していた。
(つまり崩れている。もっと言えば〝些細〟なハードルを越えられないでいる。単純にやれば越えられるようなことでも、その一歩が踏み出せない。つまり簡単に言うとやる気がない、ということ…なの…かな…?)

子どもが楽しくてやっていることを「凄いね」や「偉いね」と言う事で、自主的な楽しいが褒賞や義務感に変化してしまい、いつしか楽しさが無くなりやる気が失せてしまう、ことがある。楽しいと嬉しいは違う。ということだ。
子どものハナシだけど、大人だったら今までの経験上で、そのように巧妙にモチベーションを殺される言動や感情に対して、反発が生まれる、こともあるのかな?と考えたのよね。
僕にも似たような事(それなりにバリエーションがあるのよね、大人の方が)を言われた経験があり(むしろ大人になってからの方が多いと感じるのは、どうなのよソレ、というのは置いといて)、経験上、すり替えられたり押し付けられたりかつ求められたりすると、違和感を覚え、不愉快さだとか、反発心が生まれることがあって、それで崩れてしまうのではないか、と思ったワケだ。
あるいは手のひらを返された感覚だとか、それによる復讐心だとか、かもしれない。
逆に、手に入れたスタンスで生み出されるものに、意味のないプレッシャーを感じているのかもしれない。
例えばヒット作を書いた作家やミュージシャンが、他者からの期待で逆に自由に書けなくなる、みたいな感じとか?期待に縛られるのは、自分自身の期待だってあるはずだしね。失望する、される、よりは、最初から動かなければ失望は回避できる、みたいな。もちろん声望(世間でのよい評判)とかも手に入らないのだけれど。自分からもね。
やる気が削がれるのには理由がある。やる気があるのを自覚していたのならば尚更。人はずっとその『やる気』との闘いである、とは思っているし、じっさい闘い、闘うために、原因や理由やルーティンや環境を考えて改善してきた訳だから。そうじゃない人が居るのは知っているけれど、自分は日々、闘いなのである。
どちらにしても何かを感じて『崩れが発動してしまう』ことへの対策が必要だと考えるのでありました。
ま、とりあえず、自分の責任です。誰かのせいにしてはいけません。よ。我。ソコだから。ね。ふむ。スタンス維持、意地でもしなさい、な。

ちなみにタイトルの『分崩』は、分崩離析(君主から人心が離れてしまい、ばらばらになること)という言葉があるのだけれど、分崩だけでは使わないと思う。たぶん。どうかな?けど、なんか、近いのよね。分崩が。
でも敢えて、分崩離析とするのなら、おそらく「一人の王から、一人の民の心が離れた」のである。


愛川武博


by moving_sheep | 2025-04-11 20:40 | 目先そうそう | Trackback