2025年 03月 16日
『有と無の国』~2025年3月16日(日):目先想創
断ち切られたモノを取り戻す、というのは本当に大変である。
たとえばやる気とかを断ち切られると、そのままやる気が死んでしまい、その死体が無意識に沈み込んでいく。死が、無意識に広がっていく。その状態が増えると、やる気のコントロールが難しい、ということになる。
その現象について、パソコンの前でウトウトしながらボンヤリと考えて、一つ、視点が生まれた。それは有と無の勢力構造だ。
意識ではやる気を起こそうとする。やる気もあるは、ある。だからそのまま動けるならばいいけれど、やる気がなかなか行動にならないことを鑑みた時に、〈無意識〉の範疇を〈意識〉することが重要なのではないか、と、考えたのだ。それはつまり〈有〉意識で〈無〉意識を開拓するようなもの。
何度も書いているように、無意識が強い人と関わり、その人を観察すると、圧倒的無意識が意識に見える、ことがあるのだけれど、本人が無意識だから自覚がないので、本人は記憶にない。クセに近い。有意識が好きなモノと無意識が好きなモノが違ったりする。その現象を思い出しながら、今回の事を検証して思ったのだ。
「日々でも、時期でも、生来としても、有と無の勢力図が存在するのではないか」と。
つまりやる気があるのにやる気にならないのは、ずっと『やる気がない』という無意識勢力に負けている状態であるということ。別な視点でいえば、心象という世界で、無意識国が領土を拡大していたことに有意識国が気づかなかったのである。
そうするとやる気を起こしても、やる気は有国に広がってはいるけれど、領土を拡大している無国の「なぜ、やる気をださなければならないのだ、そんな必要など、もう、ない」という〈死〉が溢れてしまって、心象世界においては無国の影響力が多大となる、という訳だ。
有と無が連動しているなら最高だよね。居る、そういう人。そして有が強い人も居る。無を無視できる人も居る。無が前面に出ている人も居る。子どもとか?
遥か昔、バンドをやっていた時に、活動を始めてしばらくして「やるけれど、本気でやるつもりはない。だから俺らを踏み台にしていいよ」とベースに言われた時、あっという間にやる気が死んだ。別にバンドでビッグになろうと思っていた訳でもなかったし、本気じゃなくても彼はむしろ、しっかり準備してキチンとやる人だったけれど、その言葉で何かが切れてしまって、結局僕のやる気で動いていたバンドはそのまま自然消滅した。
あれはまさに無意識に広がった死が優勢で、有意識が負けていた。そのことに気づかなかったのだろうなと、今回の視点で、思う。
というわけで「有と無の勢力図を広げ、把握し理解し、もっと意識的に無意識へアプローチする方が良いのではないか」と思った次第でありまする。
ちなみに無意識に一番アプローチ出来て、かつ、力を持っているモノは他者である。と思う。見えない背中の姿形を教えてくれるのは、自分以外のナニモノかだ。合っているか合っていないか、信じられるかどうかは、さておき。そういう意味では、鏡とか、映像とか、いいよね。録音でもいいかもしれない。自分が外に居ること。自分を外から見ること。大事。客観。外側からの影響。たとえば、誰かが書いて貼った張り紙の言葉でも、キッカケになったりするような。
つまり午後のまどろみの中でふと思ったことを今、こうやって記し形にすることが、一つ無意識に向き合ったことが、まさに有国領土拡大への先陣、のつもりなのだ。
とはいえ、意識もすっかり死んでいるので、今日はおそらく有国の復興は無理なのですが。もう15時だし。そろそろ夕食時間(早っ)だし。我は亡国の有国なのだ。だから2時間もかけてこの文章を書いているのだ……。
でもね。心象世界の有国の中には、たくさんの州も省も県も都も府も郡も市も町も村もあるので、その中のどれかがいつか決起するでしょう。領土を拡大するでしょう。それを待つしかないでしょう。今日やりたかった事へのやる気を。ね。うむ。生む有無。
……今日中にあると…いいなぁ………。
うむ。うむうむ。
愛川武博
by moving_sheep
| 2025-03-16 15:14
| 目先そうそう
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