移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

『落楽の魔と鳥の残存』~2025年3月4日(火):目先想創


悪魔がやってくるのではない。悪魔が語りかけるのではない。のだと気づいた今朝のこと。悪など無いのだ。善が無いように。ただ魔は居るから。聖が居るように。見えないけれど。見えるモノで。だからやってくるのは行動であり語りかけるのは心理である。とするならば、やってくるのは落魔だ。語りかけるのは楽魔だ。堕落魔と快楽魔。時に崩落であり、享楽であり、滑落であり、悦楽だ。ちなみに僕は作魔を待っている。言葉遊びだ。でもある。いる。作ることに熱中させ固執させる魔の来訪を、待っている。

世界を飛んでやってくる思念の鳥、ホトトギス。僕は感受する。世界を。誰かを。でも何度も目覚め、何度も眠れていないと意識する夜中に、朝寝(昨日は朝食を食べてしばらくしてから昼過ぎまで寝ていた…)を長い時間してからまた早寝したので、まるで眠れず眠れていないのだろうと想像しながら、考えたのは「無意識や夢という領域においては、そこに己が長く居ることによって、感受だけではなく、自分自身が会いに行く鳥となることもある、かもしれない」ということだった。
何故ならば僕は朝方(と言っても起きるつもりの4時前で、ほぼ夜中に近かったけれど)夢の中で彼のところへ行って、質問したのだ。彼は答えてくれた。しかし返答は、おそらく自分の望んでいるものではなかった。予想外だという思い、同時に「彼らしい」という思い。本物と対峙したと感じた。だから「……僕は実際に、眠っている彼のところへ、夢という回廊を通って会いに行ったのかもしれない」と考えた、という訳だ。
もっとも僕はただ、己の中にいる『彼』に会っただけなのかもしれないけれど。ね。むしろそっちの方が可能性は高い。それが一般的な夢という情報処理現象だ。
それでも、どこかで、信じている。だって鳥になった己の名残を、右の背中に感じているから。痛み。違和感。筋のズレ。…うん。いや、いやいや、それを「それ、単に寝違えただけ…でしょ?」と言ってしまうには、あまりに残っている夢の残滓なのです、よっ。「いや…だから…寝過ぎなのよソレ…それでスジ違えた…」ああ、まさに、鳥の残存っ。「だから…あぁ………ま…いっか……うん」。うん。


愛川武博


by moving_sheep | 2025-03-04 19:58 | 目先そうそう | Trackback