『恩送り』という言葉がある。
英語で言えば、ペイ・フォワード。
受けた善意を他の人に渡すことで、善意のバトンを渡してゆく概念。
恩送りは、受けた恩を別な誰かに送ること。
もともと恩送りって恩返しの意味だったけれど、新たに恩返しという言葉が生まれて、恩送りの意味を井上ひさしがアレンジして広まって、ペイ・フォワードが恩送りの存在を確立させた。
僕は素敵な考え方だと思う。
でも同時に実感する。もう一つの面。裏面。背中合わせにずっとある現実。
『怨送り』
言葉は強いけれど、あえて言葉遊び的に形にする。ネガティブ連鎖。そのバトン。
いじめられっ子はいじめっ子になりやすい。
虐待を受ければ、いつか虐待をやってしまう恐れをはらむ。
無視をされた人は、無視をするようになる。とはいえ人は全てを受け入れられないから無視をするのはしょうがない。でも家族に無視をされたら、家族には無視をしてもいいとなってしまうかもしれない。大切な人に、大切な思いを無視されたら、いつか大切だと思っていた人を、簡単に無視をしてしまうかもしれない。
実は大切な人だけでも無視をしないようにするのも、ただ単純に人間である以上難しいのかもしれない。そもそも全てを無視しないのは無理なのだから。無視をするということは、必要な事でもあるのだから。
しかし、そんなことでも生まれてしまうかもしれない。連鎖。
果てに生まれた怨を巧妙に送ってしまう。よく見る。聴く。体験する。感じる。
それでも。
恩を送りたい。
温を送りたい。
穏を送りたい。
音を送りたい。それは優しさの音。思いやりの音。楽しい音。喜びの音。尊重の、理解の、友愛の音色。
現実、怨はある。一度も意識化されないままだってある。消えない。怨はバトンされる。
そうして怨はいつしか形を変えて、ないがしろや無視や不寛容や否定拒否という音、音色になってしまう。
だから一つ意識を持って、怨を別なオンに変えられたら、いいな。
誰かが、環境が、運命が変えてくれるならありがたいけど、運、出逢いに頼らず変えるアプローチを些細な一つでもいいから自分で出来たら、ゼロがイチになるかもしれない。
難しいのはかなり実感しているけれど、少しずつ変えていけたらいいな。
そんなことを考えた、今朝。
愛川武博