水道水を浄水にして飲んでいた前の家。
今は浄水しても水が合わないので、ペットボトル水を飲料水やご飯やスープ用に使っているのだけれど、全ての水が合う訳ではない。
むしろ違いが気になる。
10年くらい前から、飲料水はほとんど水しか飲まなくなったのだけれど、そうなると余計に味の違いに敏感になるというか。
違いにはボトリングする時のろ過や殺菌の仕方が、一番大きいのだろうと思っていた。
でも「硬度なのかもしれない」と、気持ち悪くならない水を飲み比べて思った。
殺菌ろ過の方法は、きっとある。でもそれをクリアしたら、硬度(ミネラル)の微妙な違いの好き嫌いが発生しているかもと、実感した。
マイクロプラスチックなども、あるのだろうか?
海にも川にもペットボトルにも存在するという事実がある。でもさすがにそこまでは分からない。けれど、あるのかもしれない。
温度でも変わるよね。
冷えていたりすると味は分かりにくい。カルキ臭は炭酸水にすると冷えていても分かる。むしろ分かるかも。(東京ドライブ観光をした時に、入ったイタリアンの炭酸水がまさにソレだった。)
「水が合う。」
先人たちはよくいったモノである。
合わない水は、飲むべきではない。でも、誰かの好みの水を否定することもない。文化だってそうだ。ただ有害な(そこまででもなくても、調子や体調が悪くなる)水だってあって、製法が創り出す様色な水があって、それが合う合わないだとまた意味が変わる。
水。
体の水。
心の水。
濁水、汚水、純水、渇水、清水、泥水、温水、寒水、真水、海水、淡水、羊水……ああ、僕らはあらゆる水を持っている。
何を飲み、何に触れ、何を巡らせるか。
「水を、思う。」
愛川武博