移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

『当然心と普通心』~2024年6月17日(月):目先想創


朝、ゴミ出しをして帰ってくると、マンションを掃除してくれている女性にあった。各階の廊下の掃き掃除で、僕の住んでいる階を回っていた。壁面リフォームをしてから見かけるようになった人。前に、毎週水曜日にマンション周りのゴミ拾いをしていた、明らかに依頼されている人とは違う人。その人は挨拶も返してくれなかったから。彼女は週に数回(二回?)ほど、掃き掃除やゴミ拾いをしてくれている。仕事、みたい。お金をもらっているかどうかは分からないけれど、仕事のようにやっている。倉庫の中から掃除道具を色々出しているからね。管理会社に依頼されたのかオーナー関係者かは分からないけれど、やってくれている。ありがたい。彼女といつものように「おはようございます」と言ってすれ違い、すれ違いざまに「お疲れ様です」と呟いた時に『ああ違うな』と思った。僕は“思っているな”と思った。『仕事で掃除してくれているからお疲れ様でいい』と。
仕事をやってくれている人に声をかける時、考えることがある。場合によっては「ありがとうございます」でも、相手をイヤな気持ちにさせることもあると。相手の心持ちや、発信する側から出る尊大さで変わる。それぞれの調子、体調もあるかもしれない。でも『ここはやはり「ありがとう」ではないかな』とすぐ思った。仕事だから掃除をしてくれるのが当たり前で、この〈当前心〉が生み出したものだと思った。お疲れ様は謝意であった。ありがとうと申し訳ない綺麗にしてもらって、である。でも僕は自分の心持ちに対して思った。『ああ、当たり前になって謝意を忘れている』と。思ってしまった。自分に対して。だから次に会った時は伝えよう。「おはようございます。お疲れ様です。いつもありがとうございます」。だって階段や廊下に落ちているゴミを拾って持って帰る頻度が減って「とても助かるな」と思っていたのだから。
そんなことを考えながら朝、出かけた。
たぶん少し疲れているのだろうと思った。
今日の〈違和〉。


昔あまりに「普通は……」と言う役者に「普通はないよ」と言った。彼はその後しっかり役を自分のモノにした。素晴らしかった。しばらくしてから彼に「普通はないと言われたのが心に残っている」と言われて思った。『普通はあるよ』と。実際に僕も使う。使うたびに彼の事を思い出しながら使う。
誰かにとっての普通はある。この視点は大事である。僕は誰かの〈己の普通〉を見て聞いて可能な限り覚えているようにしている。同時に〈自分の普通〉も伝える。「これがスタンダードな思考行動優先です」と。人は自分の普通を大事にしたいからね。大事にしてほしいからね。僕もまた。もちろん〈普通〉が変わることも鑑みながら。
普通を必殺技に使う人。普通はないと返し技みたいに使う人。存在する普通。存在しない普通。普通の強さ。弱さ。普通はないと普通に思ってしまうこと。現実は誰かの、集団の、コミュニティの〈普通〉があるという事実。
普通心が与えてくれる危険と排他と大義と共犯と安心を少しだけ考えた。
ちょっとだけ。
なぜなら今までたくさん考えてきたらね。
つまり普通になっていたからね。


月曜日は、のんびりめで良いと思っている。
どうにもリズムが土日で狂うのですよね。
潔く、調整しながら、調律しながらやることにしている。
だから、今日もまた肯しなのである。


愛川武博


by moving_sheep | 2024-06-17 18:55 | 目先そうそう | Trackback