移動する羊 是楽日

kohitsuji.exblog.jp

移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

『こころとからだのありかたをもって、しせいとする』~2024年4月19日(金):目先想創


脳が疲れる理由の一つに、情報の過剰摂取がある、らしい。
スマホの普及によって、同時タスク処理(ながら)によって、脳が草臥れる。
本を読むと、ストレス発散になるらしい。
でも読めない人もいるし、娯楽じゃなく勉強だと思うと、それもまた情報になってしまうのかな、と思ったりする。
とはいえ、スマホとかの情報過剰摂取は、基本的には娯楽だと思うし、タスク同時も音楽聴きながらだと娯楽だし、それがいつの間にかストレスに変わるとしても、ストレスになるのか発散になるのかは紙一重だ。
そもそも人は観る、読む、体験すると、疲れる。
娯楽はつまり疲れる。
向き合えば向き合う程、疲れる。
疲れになるかならないか、ストレスになるかならないかは、能動か受動かで大きく変わるように思う。
能動の方が疲れとストレスは減る。
でも能動だったものが受動に変わることなんて、しょっちゅうだ。
逆に受動だったものが能動に変わることがある。
僕は役者に(そして役者として自分に)「始まりの動を創りなさい」と伝える。
お客様に始まりの動を貰うのではなく、始まりの動を与える、それが仕事であると。
観に来ているから能動である、とは限らない。
先ずは作品に対して受動スタンスであるお客様に、役者の動で、能動にさせてゆくことが必要だと。
もっともその能動スタンスは、相手にとって必ずしも良いものばかりではないけど。
これは日常でも頻繁にあることで、能動と受動は、あっという間に反転する。
例えば接客業でのこと。僕は客立場でも、よく始まりの動を創る。
相手が不愛想でも、笑顔で踏み込めば変わることがあるから(もちろん変わらない人も多いけど)、自分から動くことが、それなりにある。
スタンスを変えることがある。
そうすると連動する。お互い、ポジティブな気持ちになりやすい。笑顔になるからね。楽しくなるからね。
ただ、やはり「始まりはお金を払ってもらう方からやったほうが良いとは思うけど」と思うけど。過剰を求めているのではなく、不愉快にならない最低限の『始まりの動』は持っていた方が良いと。
実際のシーンは多岐にわたるけれど、お互いの文化を楽しみつつだと、能動連動になりやすい。
ストレスレス(フリー)とストレスフルは、紙一重で、簡単にひっくり返る。

昔ほど相手の目を見ないようにしているのは、しょっちゅう「目を見て話すよね」と言われ続けたのもあるけれど、情報を受け手らないようにしているから。
情報を与えないようにしているから。
町中でも、相手を“見ない”ことが多くなってしまった。
見ているけれど、いざって時は見ない。下を向いてしまう。
まるでコミュ障な陰キャないじめられっ子的な感じで、見なくなった。
昔はよく「なに見てんだよ」的な絡まれ方をした。その本人を見てなくても、言われたりするくらいに『見る力』があったのだと、思う。
「目力がある」と、とてもよく言われる。相対評価なので自覚がないけれど、これだけ言われるのだから、あるのだろう。
見ているけれど、見なくなったことがすっかり板についてしまった僕は、今日、女性とすれ違って下を向いた。
でもすぐに顔を上げた。
背筋を伸ばした。
最近はクセを無くそうとして、いる。
情報に傷つくこと(一瞬の邂逅でも、強く刻んでしまう傾向が強いから)
イヤな気持ちになること(逆に素敵なモノを得る機会が減ることを知っていても)
見る力で相手と瞬間でも関わってしまうこと(刻みと得ると与える)
それらからの逃避だと分かっていて、それでもいいのだけれど、やはりカッコ悪いと思ってしまうから。
もう一度、真っ直ぐでありたいなと思っているから。
誰も自分を見ていない。
自分の、自身への評価だ。
だから背筋を伸ばして、顔を上げる。
何より、心の在り方を考える。
向き合い方、もだけど、強度を持つこと。
強さとしなやかさを持って、情報を摂取すること。

こころとからだのありかたをもって、しせいとする。


愛川武博


by moving_sheep | 2024-04-19 22:06 | 目先そうそう | Trackback