移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

目先物語 「君の空の、月と雲」 作:愛川武博


手紙を読んで少し驚いた。その手紙は昔の友人の遺品にあった、僕宛てに書かれたものだった。
実家の母から電話が来て、高校時代の友人が他界したことを知った。
「通夜があるし、彼のお母さんからあなたに渡したいものがあるみたいだから帰って来なさい」
飛行機代を友人の母親が出すと言ってくれているらしい。
「とりあえず帰ってきなさい。時間あるでしょ?」
確かに時間はある。むしろ有り余るほど、ある。しかし行くとなると、さすがにお金を払って貰う訳にはいかないし、香典もいる。時間はあってもお金は、ない。
「さすがに飛行機代は私が出すから」
母は昔から「友達は大切にしなさい」と何度も言い聞かせるほど義理がたい人で、なかば強制的に実家に帰ることになった。しかし友人だと言っても高校を卒業して以来会っていないし、そもそも友人と呼べるほどの友人ではなかった。もっと言えば、高校の頃の友人で、いまも交流がある人は皆無だ。
果たして僕に友達という『存在』が居るのかも、今ですらはなはだ疑問だ。でも僕は帰った。帰ろうと思えた。一つ、彼との思い出が、強く残っていたからかもしれない。
それは僕にとっては奇妙なことだった。高校一年生の頃だ。放課後、部活にもまだ入っていない時期、帰ろうとしている僕に、彼が声をかけてきて質問をしたのだ。
「ねぇ、きいたんだけど、君は小さい頃、奄美大島に居たんだって?」
「……うん、そうだけど」
「どうりで」
「道理で?どういう意味だろう?」
“道理。道の理。つまりそこには、コトワリがあるってことだ。君には僕のコトワリが見える、そう言っているのか?”
突然名前を呼ばれ、振り返るとすかさず放たれた言葉に、奇妙な違和感と同時に興味がわいていた。しかし次の瞬間には少し不愉快さも生まれる。普通に考えたら容姿の事を言っているに違いない、そう思ったのだ。
“眉毛か?眉毛なのか?ほりの深さか?どこか南国の匂いがするというのか?”
いま思えば、自分の見えていないモノを見ている者への反抗心だったのかもしれない。
僕はこの頃、根拠のない自信に溢れ“なんでも自分は理解することが出来るのだ”というある種の傲慢さを持っていたからだ。
不愉快さか、あるいは傲慢さを感じとったのか、彼は少し口角を上げて笑顔を作ると、いつかテレビで観たような、ジョークを言うアメリカ人みたいに軽く首を傾げて答えた。
「君の空に奄美の月と雲が見えたからさ」
一瞬言っている意味が分からなかった。
“僕の空に、月と雲?”
頭の中で咀嚼しながら、ゆっくりと空を見上げた。空はオレンジと白と水色と薄い雲が、春の夕暮れとして現われていた。彼も同じように見上げながら言った。
「ごめんちょっと意味が分からないよね。でも僕には見えるんだ、たまに」
彼を見る。
「空が?」
彼は僕の瞳をまっすぐに見る。
「そうその人の“空”が。空に映し出された日々が。風景が。日常が」
まるで僕の瞳に映る空を見ているみたいだ。返す言葉が浮かばなかった。嘘を言っているとは思わなかった。おそらくむしろ信じていたのだと思う。ただ考えていたのだ。“どのように見えているのだろう、彼には?”と理解しようとしていた。僕の空に奄美大島で過ごした日々が映る。でもきっと一番は月と雲。そして奄美だと分かる何か……。思考は走り続けている。
彼は思案している僕に、小さな声で言った。
「いつかもし機会があったら、僕も奄美の空を見てみたいな」
僕は軽く息をはきながら答えた。
「何もない島だけど、海と空だけは綺麗だよ。いつかおいでよ」
彼は驚いた顔をした。その驚いた顔に、驚いた。変なことを言ってしまったのだろうか?いや、そもそも変なことを言ったのは彼の方だ、と、思考を修正する。すると彼は嬉しそうに、愉快そうに小さく笑うと、そのまま頷き「また明日」と言って帰っていった。
僕がきょとんとしていたのは言うまでもない。
でも彼とは三年間、同じクラスになることはなく、ほとんど話すこともなく、そのまま卒業し、それ以来会っていない。
飛行機の窓から見る夕暮れは、あの日をまさに思い出す。深く話すことはなかったけれど、目が合うと笑顔で頷く日々を思い出す。秘密の合図みたいに、月と雲の浮かぶ空を思い出す。
空港を降り、市内に向かうバスへ乗って、先ずは実家に行った。シャワーを浴びて喪服に着替えると、バスと路面電車を乗り継ぎながら、教えて貰った彼の実家へと向かった。
家は思ったよりも大きく、旧家であった。
受付を済ませ、棺の中で眠る彼に会った。
綺麗な顔をしている。あの頃と変わっていないように感じるほど、今にも目を開けて、秘密の合図を交わしそうなほど、透き通るように美しかった。
手を合わせ、周りを見ると、見計らったように一人の着物の女性が声をかけてくれた。
「今日はありがとうございます、来てくれて。あの子もきっと喜んでいると思います」
「いえ、このたびは、お悔やみ申し上げます」
「はい。いえ。ずっと覚悟はしていましたから……」
穏やかな顔していた。彼は母親似なのだね。
「あの、よろしければ」と促されるまま、座敷の端、人の居ない方へと案内された。周りは人で溢れていた。飲み食いをしながら、語り合っている。でももう、彼の話しをしている人はいないようだった。昔話に花を咲かせている。ひょっとしたら同じ高校の同期や後輩や先輩もいたのかもしれないが、僕には見知った人を確認できなかった。
促され座布団に座ると、彼女は目の前に正座をして、懐から一通の手紙を出すと、こちらへ差し出しながらこう言った。
「お願いです。読んで、いただけませんか?」
僕は受け取り、封筒に書かれてある自分の名前を確認して、頷いた。
「……拝読させていただきます」

君へ

走る己に雨が降る
遠くの先には太陽が沈みかけていて、でも自分の走っている場所には雨が降る
雨や雪や雹や曇りや晴れや、人生はそんな空の喩えになるけど、大きく見れば向こうが雨でこっちは晴れかもしれなくて
白夜
極夜
オーロラや虹や
星や月や暗黒や
自分の空と君の空
それはまったく違う空
でも同じ月を見るように、何かを共有出来るかもしれない
あるいは月は
本当は
同じじゃないのかもしれない
実存なんてこの世にない
確かなものなんてこの世にはない
それならば自分の空と君の空で、大きな二人の空を創ろう
二人で二人の空を創ろう
君が雨を降らしたら共に濡れよう
君が雨を降らしても僕が風になって雨雲を吹き飛ばそう
君が雨を降らし続けても太陽はここにいるよと乾かし続けよう
もし僕がずぶ濡れになったその時は、笑顔を見せてくれればそれでいい
雨でも雷でも雪でも台風でも、僕はきっとどんな空の下でも生きてゆけるから
だから僕はどんな空の下でも
君が笑顔になるように
君のためにおどけてみせるよ


僕は手紙を最後まで読むと、手紙を封筒に戻し、母親へ返した。
「いえ、この手紙、もし嫌でなければ貰ってやってください、ませんか?」
僕は頷いた。
「ありがとうございます」
おそらくこの手紙を母親は読んでいるのだろう。一度は封をされている。けれど丁寧に剥がされた後があった。この手紙を読んだ母親の気持ちは、いったいどんな心持ちだったのだろうか。計り知ることは出来ない。
息子が綴ったこの文章の内容は、少なくともある類いの特別性を持っているように読める。
それは自分だけでなく、ある一定の人間にある程度伝わるモノであると思う。
「息子は……」
「…はい」
応える自分の声が、なんだか遠くに感じる。
「きっと…」
“きっと?”
その時に母親は優しく微笑んだ。本当に、本当に、まるで菩薩のような柔らかな眼差しで微笑みそして、ゆっくりと丁寧に僕に言った。
「あなたのことをずっとずっと愛していたのね」
息が止まった。
自分は昔から、それこそ高校生の頃から、ずっと息を止めていたかのように思えるほど、長いこと息を止めていた。
「何回も何回も、この手紙を書いては消し書いては破り、書いては何度も読み返し、空をいつも眺めていたわ。ほらあの子、大学入ってからは心臓がだいぶ草臥れていて、あまり外出を出来なくなっていたから。ピアノで音楽を作りながらよく空を見て、何かに思いを馳せてた。不思議ね。あの子は大学に入ってから、走るなんてまるでしてなかったのに……。きっと高校生の頃、走った時に見た景色なのかしら。生きて、伝えることが出来るなら、生きているうちに伝えておけば良かったのに。生きているうちに。あら、あなたには迷惑かもしれないけれど」
声が出なかった。
ただ首を横にふるしか出来なかった。
その時に、奥座敷のほうから親戚らしき人に母親が呼ばれた。彼女は「はい、ただいま」と一言言うと、僕の瞳をまっすぐと見て、真剣な眼差しと微笑みで僕に伝えてくれた。
「今日は来てくれて、本当に、本当にありがとう。またいつかいらしてくださいね」
そして奥座敷の方へと消えていった。
彼女が居なくなって初めて自分が呼吸を止めていたことに気がついた。
小さく何回か深呼吸をして立ち上がり、襖の向こうにある廊下へ出ると、庭先から空に昇る月と、月にかかる雲を見た。
なんて美しいのだろう。
“この月と雲は、君の空の、月と雲かい?”

『二人で二人の空を創ろう』

まるでプロポーズみたいだったよ。でもさ、君の手紙を読んでちょっとね、『伝える』ことについてもっと真剣に考えようと思ったよ。生きているうちに。生きているなら。伝えよう。ううん。伝えたい。たとえ届かないと分かっていても、伝えるために動いてみるよ。そして笑わないで聞いてくれよ。空を見てそんなことを考えていたら、なんだか無性に走りたくなってきた。だから今日は走って帰るよ。きっと、ゆっくりとだけど、ね。君へ。返信。
「何処かの空の下でまた会おう。」

そうして僕は路面電車とバスに乗るのをやめ、二時間をかけ、ゆっくりとほぼ歩きみたいな走りで帰宅した。
遠くの空を目指しながら、僕は僕の空の下をただ、ひたすらに。




Fin


by moving_sheep | 2024-01-10 00:00 | 物語/目先物語 | Trackback