〈サードマン〉
危機的状況になった時に現れる、自分を助けてくれる人間。もう一人の『自分』だと言われている。姿かたちは人それぞれ。本人であったり、友人であったり、おじいちゃん、おばあちゃん、まったく知らない人間、時には人間以外の存在と多岐にわたる。現れ、生きるヒントを与えてくれたり、実際に助けてくれたり、背中をおしてくれたり、してくれる。
Third Man現象と呼ばれる。
我丸くんと再会したのは、最寄り駅から一駅の、市の中心駅の改札を出て歩き始めた時だった。
かなり前のこと、一度だけ一緒にバイトをしただけの知人。いや、知人と言って良いかすらも分からない関係だ。しかし僕の中では少なくとも忘れられない知人の一人だった。その彼に、まさかレンタルショップにDVDを借りに行く途中で会うとは思わなかった。
僕には住む家がない時期があった。友人や恋人の家を転々とし、時に野宿をして過ごしていた。さすがにこのままでは良くないと、春から秋にかけての家無し子日々を終わらせるべく、なんとかしてアパートを借りた。その時にお金がまるでなくなり、運送会社の配送振り分けの深夜バイトをしたのだ。どうしても次の日にお金が必要で、急遽やることにした日雇いの仕事だった。
そこで彼に会ったのだ。彼はだいぶ年下で人なつっこく、まるで犬のようだった。名前はそう、我丸。
ガマル。
珍しい名前だ。名字なのかファーストネームなのかは聞かなかった。聞けなかった。その彼に、まさかこんなに時間がたってからまた会えるとは思わなかった。
何より彼が僕のことが覚えていることも、自分が彼のことを覚えていることにも驚きを隠せなかった。
「あれ?あ……お久しぶりです!覚えてます!?」
「あ……あれ…我丸くん?」
お互い一瞬で思い出した。
「そうっす、ガマルっすよ」
そのまま彼は、まるで普段から二人で会ったときはいつもそうしていたかのように「お茶、行きましょうか」と言った。僕はなんの違和感もなく「行こうか」と口にしたのは、不思議とそれほど驚くことではなかった。
初めて会ったときに“それなりの場所で出逢っていたら、あるいは、僕らは親友になっていたのかもしれない”そう思ったからだ。
歳は離れていたし、一つを除いて趣味も興味もまったく違ったけれど、お互いがお互いにとって良い方向へと一緒に向かえる、そんな『違い』に思えた。
何より彼は興味深いハナシを幾つか僕に話してくれた。その当時の自分には、彼の考え方や知識は魅力的で、尊敬の念を抱いたのを覚えている。
「引っ越ししたんだね、ソラミさん」
「え?」
初めて会った時と同じように、僕にコーヒーを渡しながら言った。その時と違って、缶ではなくカップに入っているコーヒーだけれど。
休憩中にずっと星空を見ていたら、暖かいコーヒー缶を二つ持って、僕に声をかけてくれたのだ。「ソラミさん」と。懐かしい。自分のことを言っていると分かるまで、しばらく時間がかかったものだ。
「明らかに、近所に買い物にいってきまーす、な、感じ?」
トレーから自分のコーヒーを取り置き、座りながら言った。
「ああ、そうだね……うん」
僕は自分のよれよれのTシャツに、だるだるのタイパンツを見ざるをえなかった。そしてあごに手を当て、伸びた髭をなでた。
「だってほらあの当時、まるで逆の、西のほうに住んでたじゃん」
よく覚えているね。
「君だって、実家に帰るって言ってたじゃないか」
「よく覚えてるね~」
「ほら、確か……」
そこまで言って、次の言葉を言いよどんだ。彼は福島出身だった。僕の心持ちを察したのか、彼はなんでもなさそうに言った。
「向こうに居てもなかなか変わらない生活だったからね。また心機一転、リスタート」
「それじゃ最近?」
「二年半前ぐらいかな。ソラミさんは?」
「いや僕も二年半前くらいにね、引っ越した」
「そりゃまたスゴい」
何がスゴいのやら。彼はやはりそんな心持ちを察したのかのように、そのまま話し続けた。
「いやさ。同じタイミングなのもそだけどさ、あの時にソラミさん、『今度会う時はきっと、お互いの何かがシンクロした時だね。いつか来るんじゃないかな。君とはそんな再会をしそうだよ』って言って笑ってたから」
思い出した。忘れていた。そうだ僕はまさにそんなことを言っていた。
「予言の?なんかみたいな。ね、スゴい」
「予言?……あるいは、詐欺みたいなモノ…でもあるんじゃないかな?」
「どいう事?」
「いくつかの石を投げておいて、何かに当たったら、それだけとりだし、ほら私の投げた石はまさに当たりましたよ、的な?」
うまい喩えじゃなかった。伝えられていない、気がする。しかし彼はまるでマジックの種明かしを聞いたかのような、気づきと驚きの入り交じった奇妙な顔をした。そして神妙な面持ちで聞き返した。
「そんなつもりで言ったのか、どうか……そうなの?」
「まさか。僕は本当にそう思って言ったんだよ。ただ、そう受け取るような人もいるかな、と思ってね……」
僕の語る未来への言葉はなかなか信じてもらえない。後々に、そうなったとしても、僕の見えていた先はもう、儚く消えている。
「良かった、良かったり~」
破顔する彼の子どもみたいな表情は、今でも僕に勇気をくれる。
「ちなみに今日ですら、また次会う時はそんな再会をしそうな気がするよ?」
頷きながら言うと、彼は声を出して大笑いした。お腹を震わせ、体をくねらせ、頭をふる。そんなに可笑しなことを言ったつもりはないけれど、喜んでいるならヨシとしよう。
周りに迷惑がかからないよう、ぐっと笑いを抑えながら、しばらく笑い続けたかと思ったら、笑いをかみ殺したまま言った。
「それじゃこのまま連絡先は教え合わずに、次の…シンクロ?それを待つことにしましょうよ」
シンクロというより、むしろ引力みたいだけれどね。お互いがお互いを引き寄せる。そういう時がまた、あるかもしれない。いや、きっとある。
“偶然という名の元に、君と僕はきっと再び出逢うだろう”
心の中でほとんど願いに近い予言を呟きながら、彼に言った。
「いいよ。また会える日まで待つよ。僕は昔から君が語るハナシが好きなんだ。次回作を待つ心持ちだと思うと、待つのもむしろ楽しみだ」
「スター・ウォーズ!」
「そうそう、それ」
二人で唯一の共通項、スター・ウォーズのことで盛り上がったことを思い出す。
「そうか、嬉しいなソレ。あ、じゃあ、こんなハナシ、知ってます?」
そう言って彼は、まるで読んだ小説を語るかのように『Third Man』の話をした。
哀しみと喜びの入り交じったような(少なくとも僕にはそう見えた)表情で、サードマンのハナシを語ったのだ。
我丸くんが『Third Man』について話している時に、僕はある予感のような思考が頭をよぎった。
“彼はひょっとしたら似たような経験をしたのではないのか?”
無論、根拠などなく、ただ彼がサードマン現象なる、自分の今まで蓄積した情報が出現して、自分自身に働きかけ、己を助けてくれるという現象を話してくれた時に、ふと、思ったのだ。
サードマン現象はいわゆる走馬灯のようなモノじゃないだろうかと僕は考えた。
死の危険を本当に感じた時に、生き抜こうとして、生きてきた中で得た様々な情報を引っ張りだす現象。その現象を彼自身が経験したことがあるのではないかと。
何故なら彼はこう言ったのだ。
「もしそんな奴が現れたら、俺なら疑うね。俺が俺を疑う。まずさ、そん時に、そんなに生きたかったのかな?俺」
経験したかのように自分に問いかける。しかし彼はだいたいにおいて独特なしゃべり方をする。〈サードマンに会ったのではないか?〉という印象を受けたのは、実際は彼自身から発せられる別な情報も感受していたのかもしれない。
「……ねぇソラミさん?」
「なに?」
「そんなもう一人の自分に会って、助けられて、その人は幸せなのかな?」
言っている意味が分からない。言葉の意味は分かる。ただ、あまりに〈その人〉の情報が少なすぎてピンとこないのだ。そう思った。でもきっと違う。いまならわかる。その時の僕には〈その人〉の物語を引き受けるほどの余裕と優しさと想像力と、何より愛がなかったのだ。そう思う。
分からない僕は、頭の中で反芻した。
ソノヒトハシアワセナノカ?
「生きられる、それだけで素晴らしく幸せなことじゃないだろうか?とりあえず多くの人にとってはそうだよね?」
彼は少しだけビックリした顔をして呟いた。
「やけに一般的なことを言うんだね」
自分は今、泣きそうな顔をしているのだろうな、と思った。実際はおそらく微笑んでいた。ただ黙り、微笑み、心の中で呟いていた。
“最近、生きていて、少し苦労しているのでね。幸せ?あるいは、向き合わないでいさせてほしい、の、かもしれない”
「たまには」
“え?”
「たまには一般的なことを言ってバランスを取りたくなるのかもしれませんが、ソラミさんらしくない」
まるで僕の心が分かるみたいじゃないか?頭の中でカチンと音がなった。血液の中を得体のしれないものが駆け巡る。熱い、太陽のようなエネルギー。なるほど。これは憤りだ。僕は自分に対して激しく怒っていた。そして心の底から思った。
“君とはきっと、出逢い方さえ違ったら、本当に親友になれたと思う”
体を巡る血は、眠っていた力を呼び起こす。思いになる。言葉が生まれる。伝えようとする。そして伝えた。
「生きるのはシンドイ。シンドイのを知っているから一般的な幸せがどれほど大切なのかを知っているんだ。いいかい、一般的なことの始まりはいつも個人だ。それさえ忘れなければ、大切なことを忘れない。僕らは生きなきゃならない。生きて生きて生きて、そうして…」
僕は躊躇した。
己の心持ちを言うのか?
傲慢ではないのか?
彼はそんな俊巡の僕に確認をとった。
「そうして?」
意を決する。
「死ななくてはならない」
彼の呼吸が止まった、気がした。
「なるほど。変なハナシだね」
彼は僕の瞳を真っ直ぐに見ると、とても優しい笑顔で微笑みさらに言った。
「明日交通事故にあって終わるかもしれなくても、“生きろう”ってことだ」
そしてケラケラ笑った。
ずっと笑った。
彼があまりに愉しそうにずっと笑うものだから、なんだか可笑しくて僕も笑った。
ずっと二人で、お互いを指さし合いながら笑った。
僕らは本当に親友になれたと思う。
出逢う場所が違ったら。
一週間後、僕はもう一度彼と再会する。
四日後、偶然、新聞に書かれてある彼の死亡事故の記事をみて、福島の親戚によってささやかに行われた通夜に、何とか参加することが出来た、夜のことだ。
両親と妹と弟は三年前に他界していて、父親と母親の血縁者もみな他界していた。しかし血は繋がってはいないが、母親方の遠い親戚が、かわいそうだからと式を取り仕切ってくれることになったらしい。
再会の時、彼は棺の中で微笑んでいた。
我丸は名字だった。
彼は集中豪雨で水かさがました川に、流され溺れかけた少年を助けたあと、そのまま力尽きて海まで流されたらしい。
“笑っている”
ひょっとしたら葬儀の人がそうしてくれたのだろうか?
でも僕は思った。
彼は、生きて生きて生きろうとして、だから笑顔で逝けたのじゃないのだろうか?そうであってほしい。きっとそうだ。きっと生きた。生きろう、とした。
「やあ久しぶり。と言っても一週間ぶりだけど。やけに君らしい表情じゃないか。偶然なんだ、君の記事を見たのは。“今日は新聞を読まなければならない”そう思った。これはシンクロかい?…いや……引力かな。君が僕を引き寄せた。……ねぇ一つ告白をしていいかな?」
彼は答えない。
僕は言った。
「うん、ありがとう。驚くなよ。僕は、君と、親友になれるとずっと思ってたんだよ」
彼はずっと微笑んでいる。
僕も笑顔を返した。
言った。
「いつか、また会おう」
Fin