『円環を抜け、螺旋をゆく』~2023年11月20日(月):目先想創
『たられば、を語らない』
その大事さについて考える。
たられば、を思考するのは意味があるとは思う。反省であり、検証であり、次に活かすための資料に、することが出来るから。しかし反省検証の範疇が、いつの間にか〈たられば後悔〉になってしまうのも、否めない。それは繰り返す時間。周回する思考。少なくとも自分は、たられば思考については、しっかりラインを引かないといけないと考える朝。
自転車で走る。
『人は痛みや苦しみに対しての対策を長い年月をかけてそれなりに創ってきたけれど、快楽に対しての対抗策をあまり持っていない。』
そんな言葉を思い出す。
苦痛や苦しみから逃れるために人々は、数多を創る。頼る。信じる。
踊り・歌・演劇・信仰・薬・悪口・陰口・共犯・物語………ああ、あまた。
同時にそれは快楽になる。
依存する。
快楽に対する対策を持っていない僕らは、逃れることは難しい。
「泥棒と不倫は治らない」と云った彼女の言葉もまさに、快楽には抗えないことの一例を無意識に語ったものなのであろうな、と思ったりする。
同時に快楽だったものが苦痛を生む。
軋み、のたうち、吐き、転げ、ときに自分を殺す(気づかなくても)。
快楽を生きる者。
苦痛を生きる者。
右往左往。
上往下往。
それならいっそ円往。
360°を往々する。
円々往々。
それは苦痛を逃れ快楽を探す、円環の道。
だからこそ。
円環を抜け、どこかへ向かう螺旋に成りたい。
僕はずっと昔から夢想する。
その場所に立つ己を。
この世界の理の先。
理外。
いや理先。
それは利先。
快楽を超えた場所。
愛川武博

