移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

『愛は勝つとは言えないけれど、愛はとても大切なんだ』~2023年6月23日(金):目先想創


昨日、朝によろしくない予感があったけれど出かけた。

だから気をつけて帰ろうと思った僕は、幾つかの気になる出来事に遭遇した。


先ずは、雨。

車で移動した朝と、夕方帰ろうとした時にだけ降った雨。


帰宅に向かって車を走らせてすぐ、救急車が停まり、警察官が黄色のテープを貼り通行止めにしているのに遭遇する。

テープの向こうには、民家の前で消防車やパトカーが停まっている。

火事な様子はないみたいだけど……?

ぐるっと周回して、大通りに出られる道を探して分かったことだけど、どうやら道路を町内のある区画をすべて封鎖している。

(結果、かなり細い道をぐるぐるしてしまった)


黄色い中央線のある片側一車線の道路を走っていると、緑ナンバー(事業車)のトラックがその道を走り慣れたように、後ろをピタリとついてくる。

どのように急いでも、あまり大差なく県道へ出られる抜け道で、生活道路にほぼなっているような道なので、制限速度を守っていた。

すると右折したい車が左路地に、自分の車がゆっくりと止まれるほどの前から停車していいた。

対向車も遠くにいるし、後ろは繋がっているし、どうせ前は先の方で渋滞するし、よきタイミングだと譲るために停車した。

しかし後ろのトラックはクラクションを鳴らし、対向車が来ないことをいいことに、追い越しをする。

違反である。

何より譲られた車が出てきたら危ない。

まあ、クラクションで動かなかったけれど。

その後、僕はそのトラックの後ろを、県道に出るまで、踏切を渡っても信号を越えても、長いこと後ろをずっと走っていた。

だって前は詰まっているし、車が左右から進入することも少ない道だし、順番が変わっただけで、ずっと一緒になるのは、まあ、あることだよね。

県道に出る交差点で長くつかまるので、15分以上。

つまり違反をしてまで急いでも、変わらない

ほんの少しの時間、譲るために使っても、あまり変わらない。

(県道に出ても、結局、混んでいるからその先も急ぎようがない)

僕はのんびりと帰った。


雨は家に着いたらピタッと止んだ。

あら。


僕は思う。

「人生が終わるほどではないけれど、予感は当たっていたのかもしれないな」

と。

悪し運とまでは言わないけれど、ひょっとしたら危ういのかもしれない運。

運は出逢い。

つまり運というのは生きていれば、絶えず、必ず、ある。

運はある。

ツキもある。

そしてツキは引力だから、自分か周りかそれこそ家族か(生まれながらの運とツキはだからあって)いかにして大きな(強い)ツキを手にするか。

とにかく運はいつもそばにいる。

ようは自分にとっての『良し運』か『悪し運』かの違いである。

そう思っている。


帰宅し、雨や事故(事件?)や他者の苛立ちに出逢い、引っ張られるのはイヤなので、気分転換に散歩がてら買い物に出かけようと思った。

雨は止んでいるし。


そうして外に出ると、いつの間にか、ぽつりぽつりと降っている。

しかし出歩けない程じゃない。

傘はささないつもりだったので、そのまま出かける。

買い物を済ませ店から出てくると、雨が前より降っていた。

楽しくなった。

雨に打たれるのが、心地いい。

酸性雨なのだろうけど……。

これは楽しいなと、ウキウキと雨世界を遠回りして移動する。

小中学生の頃、雨の中を濡れながら歩くのが好きだった。

その感覚を思い出す。

初夏の雨は、いい。


僕は雨が降っているのを知って、出かけるのをやめようかと思ったけれど、やめようと思う事を止めた。

拒否否定するのではなく、楽しむ方にアプローチを変えた。

むしろ引き受けた。

濡れることにした。

もちろん予報では夜に向けて雨になり、今日には雨が止む予報だったから、雨が降るのはまさにその通りなのだけれど、悪し運だと思えるこの雨との出逢いを、僕は楽しもうと決めたのだ。

そしてとても楽しい時間になった。



今朝、僕は幾つかの素敵だと思えるような出逢いの感覚を得る。

ささやかなモノ、だけれど。

昨日と違う、という、確信。

運は同じようなモノに偏る傾向があるように、思う。

エビデンスがあるかどうかは解らないけれど、そういうデータも幾つか見たことがある。

でも何より実感がある。


だから昨日と今日ではただ偏りが違うのだ、と思うつつ、同時にやはり生かし方、生かされ方を大事にした結果なのだろうな、と思ったりする。

生かすために、楽しめる方法を探したゆえのバトンだと、思う。


予感は行動しないと結果がでず、予感に従った時(つまり昨日で言えば、出逢いに行くのをやめた時)に、悪し運に当たったかどうか解らないから、予感に従ったらどうだったかは判断つかない。

少なくとも運、つまり出逢いは減るのは事実だ。

もっとも〈出逢い〉は、インドアでも可能な時代だけど。

ネット。

映像作品。

本。

音楽。

これもまた出逢い。

でも予感に従ったら、予感をいいことに、その『インドアな出逢い』もせずにダラケたとはいますが。

性格的に。

ゆえにいつもより運は増える。

出かけるは、出あいにいく、だから。


良し悪しが増えたとて、運はたくさん手にした方がやはり良くて。

だからこそ「大事なのは出逢ったモノとの向き合い方、生かし方なんだ」と。

改め思うのでありました。




昨日の雨に打たれてからずっと、心で唱えられ、鳴り響いている言葉。

「ルールがある。法がある。守るべきことでもあり、変えるべきモノもある。でもこれだけは言える。この世に善悪はない。悪も正義もない。だからこそ、何より愛がとても大切なんだ」



愛川武博



by moving_sheep | 2023-06-23 15:45 | 目先そうそう | Trackback