物語 「月と生きる」 作:たけけ
目がさめると翔は、たくさんの星が自分の上にあることに気がつきました。
森の中にぽっかりと空いた小さな草原の真ん中で、つかれはてて、ねむってしまったことを思い出しました。
“そうだ。ぼくはお父さんときのうからキャンプにきて、ウサギを見つけて追いかけたら、道にまよってしまったんだ。”
まわりを見ると、くらい森の中で、風にふかれて木々がゆれていました。
ブルッと急にさむ気がして、翔は体をギュッとだきしめました。
そしてつぶやきました。
「このまま、さむさで死んじゃうかもしれない。夏なのに、どうしてこんなにもさむいのだろう。」
その自分の声はまるで、大きなスピーカーで音楽を流しているみたいに、森の中いっぱいに広がりました。
ひびく自分の声にびっくりして、翔はまたいっそう体をだきしめたのです。
その時です。
声にこたえるように、やさしいやわらかな声がひびいたのです。
ピョウォウワーン。
ピョウォウワーン。
翔は森じゅうにひびくそのなき声に顔を上げて空を見ました。
まるで声が空からふってくるように感じたからです。
見上げた空には大きな少し欠けた月が昇っています。
おもわず、ついつい小さくつぶやいていました。
「だれなの?」
だれも答えません。
もう一度、今度はもっと大きな声で言いました。
「だれ?だれかいるの?」
ピョウォウワーン。
「いるんだね、だれか。ぼくはお父さんとはぐれて、森の中でマイゴになっちゃったんだ。どうしたら帰れるか教えて。」
しずかです。
虫の声や、葉っぱのゆれる音しか聞こえてはきませんでした。
「そうだよね。だれもいないよね。どうしよう。おなかもすいて、とてもさむい。このまま死んじゃうのかな、ぼく。」
翔は自分が話していることに気がついていませんでした。
だれもいないけど、きっと話さないとどうにかなってしまうと思っていたのでしょう。
翔はなきつかれて眠って、もうなみだも出ないと思っていましたが、またポロポロとなみだが出てきました。
〈鳴いても、どうにもなりはしないよ?〉
とつぜんでした。
声です。
頭の中で声が聞こえてきたのです。
「だれ?」
やはりだれも何も答えません。
翔はむしろだれも答えないことがこわくなって、今度は頭の中で強く思いました。
“だれ?”
〈私は野ウサギだよ。〉
“ウサギ?”
〈そう、この森の中の小さな草原の岩の下に家を作って、長いこと生きている小さなウサギさ。ここはたくさんのウサギが集まる場所なんだ。〉
“ウサギがしゃべるの?”
〈しゃべるさ。でも本当はしゃべっていないけどね。頭の中で、思いを形にして、君に投げかけているんだ。〉
「そうか、そうだね。うん、ぼくも頭の中で話している。」
その言葉には、ウサギは答えませんでした。
あわててまた頭の中で話しました。
“頭で思って伝えているよ、ぼくも。”
〈そうさ。ふつうは生き物は本当はそれが出来るものさ。〉
翔はそれを聞いてびっくりしました。
さも頭の中で話すことが当たり前のように言ったからです。
“ねぇ、こんなこと初めてだけど、この森ではふつうのことなの?”
〈いや、私以外のほとんどの動物は、頭の中で話すことは出来ないんだ。〉
「え?」
〈昔はどんな動物たちにも出来たことだったらしい。昔、私に話しかけてきたオオカミが教えてくれた。でも、その当たり前は消えてしまったんだ。〉
“オオカミに?食べられなかったの?”
〈食べられなかった。どうしてかって?彼はずっと旅をしていたんだ。肉を食べずに生きていく生き方をさがして。〉
“オオカミが肉を食べないなんてきっとムリだよ?”
〈そうだね。私もそう思う。でも彼はそれでもその生き方をさがすために旅をつづけていたよ。〉
“そのオオカミは見つけることが出来たかな?”
〈どうだろう?でも私は見つけられたと思いたい。〉
そう言いながらも、頭にひびくウサギの声は、どこかさびしそうでした。
“そうか。うん、そうだね。お父さんが言ってたもの。ゆめは、思いがんばっていればかなうって。ねぇ君はなんて名前なの?ぼくは翔っていうんだ。”
〈私はツキさ。ツキって名前なんだ。〉
“ツキ?あの空にいる丸い月と同じ名前だ”
〈そうか、君たちはあの空にうかぶ船を、ツキとよぶんだね?〉
“船?”
〈そう。我々ウサギは死んだら、あの空にうかぶ船に乗るって言われているんだ。〉
“月船だ”
〈ツキフネ。うんステキな名前だ。そして君の名前は翔か。うん、名前っていうのは、本当にどれもステキなかがやきをもっている。君も。もちろん私も。〉
“うん。ねぇ、ツキさん、お願いがあるんだ。ぼく、道にまよったんだ。お父さんがいる場所まで帰りたいんだ。たすけてほしいんだ。”
ツキは何も答えませんでした。
しずかな時間がすぎていきます。
翔はずっとまっていたけれど、がまんが出来ずもう一度聞いてみました。
“ねぇ、ツキさん、帰り道を知らない?”
〈ごめんよ。私は君に力をかせない。なぜなら私はもう体をあまり動かせないんだ。もうすぐ死んでしまう。百年近く生きた。十分に生きた。でも、いやだからこそ、もう体を動かす力はないんだ。出来るのは、ちょっと歩いて家から出て、君に顔を見せることくらいだ。〉
そう言うと、ツキは草むらの中の小さな岩の下から出てきました。
茶色の耳がだらんとたれています。目も細くなって、見えているかどうか分からないようなウサギが、月の明りの下に出てきたのでした。
「“君がツキさん、かい?”」
頭と口で翔が言いました。
〈そうだよ。〉
「“君はとても小さな、でもとてもかわいいウサギなんだね。”」
〈ありがとう。〉
翔とツキは、小さくうなずき合いました。
一人と一匹は、それからたくさんのお話をしました。
翔は学校のこと、お父さんお母さんのこと妹のこと。
ツキはこれまで会ったたくさんの動物、人間のこと。
「“ねぇツキ?”」
〈なんだい。〉
「“子どもはいつから大人になるんだろう?先生もお父さんもお母さんも、前は子どもだったんだよね。でも、なんだかぼくらのことを分かってくれないんだ。”」
〈わすれてしまうんだよ。〉
「“わすれる?子どもだった時のことを?”」
〈使うことをさ〉
「“つかうこと?”」
〈そうさ。見ることを。聞くことを。あじわうことも、かぐことも、ふれることも。いつしか全力で使うことを止めるんだ。何より心を使うことをね〉
「“どうして?”」
〈使いつづけるとツライからさ。ツライから、上手に使っているフリをする。そのフリをずっとつづけてそうして…。〉
「“使うことをわすれる?”」
〈そうだ。〉
「“ぼくはわすれたくない”」
〈でも君もわすれるかもしれない。〉
「“そうかもしれないけど、それでもわすれたくない。だって大切なことなんでしょ?”」
〈とても大切さ。〉
「“なら、やっぱりがんばりたい。”」
〈翔、もしわすれそうになったら…。〉
「“なったら?”」
ツキは空を見上げました。
翔も同じように顔を上げました。
空には少し欠けた月がいます。
ツキはその月を見ながら言いました。
〈もしわすれそうになったら月を見上げるといい。そして今日のことを思い出すといい。もし空がくもって月が見えない時は、月と同じ名前の私を思い出すといい。つきは君と共にいるよ?〉
翔は強くうなずいて言いました。
「“うん、きっと、必ず思い出すよ。”」
〈ステキな大人になることを、いのっているよ。〉
「“うん!でも、いつから大人の始まりが始まるんだろう?”」
〈カンタンだよ。〉
「“かんたん?”」
〈そうカンタンさ。子どもが大人になる始まりは、感謝をもった時さ。〉
「“カンシャってなに?”」
〈ありがとうって気もちを、ぎゅぎゅギュッと小さくして、心の中に入れて、ぐるぐるグルッとたくさんの気もちとまぜ合わせて、そうして出てくる、本当の“ありがとう”のことさ。〉
「“本当の、ありがとう。”」
〈そうだよ。たくさんの気持ちといっしょになっても消えなくて、むしろまざり合ってより強くなる気もちをもてるようになったら、それが大人への始まりが始まったってことなんだよ。〉
翔は考えてみました。
でもまるで分からなかったのです。
するとツキわらうように、小さな目をさらに細めて言いました。
〈ダイジョウブ、いつかきっと分かるよ。そして分かった時から大切に、その感謝を使いつづけることなんだ。じゃないと、その感謝もいつしかわすれてしまう。本当をわすれてしまうんだ。〉
「“大人ってヘンだね。”」
〈ヘンさ。〉
翔とツキはうなずき合い、そうしてフフフフフフとわらい合いました。
その時に風がビュッとふきました。
翔は体をブルブルとさせ、小さくクシャミをしました。
〈翔、さむいのかい?〉
心配そうに聞くツキに、翔はガタガタとふるえながら言いました。
“うん、さむい。”
〈いつからゴハンを食べていないんだい?〉
「“きのうの夜から。朝、キャンプ場でゴハンを食べる前に、ウサギを見つけて追いかけたら道にまよったから。”」
〈そうか。それで体を温める力が足りないだね。〉
「“あたためる、力?”」
〈そうだよ。うん、分かった。ならば私が何とか力をふりしぼって火をおこそう。なに、百年も生きていると、それくらいなら出来るんだ。とても力を使うけどね。小えだを集めてきておくれ。〉
翔はツキにそう言われると、月明かりの下、おそるおそる森の方に行き、なんとか両手でかかえるくらいの小えだを集めてきました。
それをツキの言う通りに一つにまとめました。
ツキはフーっと息をはき、大きく息をすうと空に向かって顔を上げました。
ピョウォウワーン。
なき声がひびくと、なんと小えだに小さな火がともりました。
「すごいよ、火だ。あたたかい。」
小さな火はどんどん大きな火になっていきます。
ツキはぐったりとして息が少し早くなっていました。
でも、大きく息をすってやさしく言いました。
〈あたたかいかい?〉
「“うん、ありがとう。”」
〈よかった。これで夜をこせる。消えないようにもっと大きなえだも集めておこう。ダイジョウブ。私が見ているから、森のほんの少し先まで行って集めてこよう。そして火にくべるといい。〉
言われた通りに翔はたくさんの大きめのえだを集めてきました。
ツキが見ていてくれると思うと、夜の森を前よりコワイとは思いませんでした。
もえているたき火の中に大えだをくべました。
火は大きなたき火になりました。
残りのえだをそばにおいて、いつでもつぎたせるようにしました。
〈これで、翔のお父さんがいつ来てもダイジョウブだ。私はもうほとんど動けない。さがしに来てくれるまで、ここを動かないほうがいい。葉っぱに夜つゆがたまるから、それを飲むといい。〉
「“うん、ありがとう。おなかはすごく空いているけど、水だけでもなんとかなるって前にお父さんから聞いたことがある。”」
〈そうだな。まずは水だ。今日はもう、ねむるといい。明日の朝には私がためておいた食べ物を分けてあげるから。〉
「“うん。”」
そう言って翔はえだをマクラにしてねむりました。
よく朝、目ざめると、ツキはいなくなっていました。
「ツキ?どこ?」
もちろん答えは返ってきません。
翔はあわてて頭の中で言いました。
“どこに行ったの?ツキ?どこ?”
やはり答えは返ってきません。
ひょっとしたらツキがためていると言っていた、食べ物を取りに行っているのかな?と思った時、たき火の中に小さな肉がやけているのを見つけました。
「肉がやけてる。そうか、ツキが自分のゴハンを分けてくれたんだ。ありがとうツキ。」
そう言って、おなかがペコペコだった翔はその肉を食べました。
それはとても美味しくて、まるで命そのものを食べているみたいでした。
その時、翔は気がついたのです。
そしてポロポロとなみだを流したのです。
「この肉はツキだ。」
翔はつぶやきました。
そして自分の中に生まれた〈ありがとう〉を、ぎゅぎゅギュッと小さくして、なきたい気もちと、ぽかぽかの気もちと、あついあついよく分からない気もちをぐるぐるグルッとまぜ合わせて、そうして出てくる、本当の“ありがとう”を、心の中に入れました。
その時、遠くの方から声が聞こえてきました。
「おーい翔!」
お父さんです。
たくさんの大人たちとやって来ました。
そうして翔をだきしめました。
「よかった。本当によかった。とても心配したんだ。」
お父さんの言葉を聞いてうなずく大人たち。
その大人の中の一人があることに気がついて、感心したように翔に言いました。
「この肉はウサギだね?君がつかまえて、やいたのかい?すごいじゃないか。」
「ちがうよ。ちがうんだ。」
「ちがう?どういうことだい?ほかにだれかいたのかい?だれか大人の人が?」
「ツキといっしょだったんだ。」
「月と?」
お父さんがそう言うと、大人たちはみんな空を見上げました。
そこには水色とあわい黄色の空にうかんでいる、白くて少し欠けた月がいました。
「ちがうんだ。その月じゃなくて、ツキなんだ。」
しかし大人たちは首をかしげます。
それを聞いていたお父さんは、やさしい声で言いました。
「大変だったんだよな、翔。ゴメンな。お前がいなくなったことに気がつかなくて。しかしエライぞ。一人でよくがんばった。火も教えた通りに自分でおこしたんだな。それにしても、よくウサギをつかまえられたもんだ。」
「息子さんはスゴイですよ。ここいらは野ウサギがたくさんいるけど、みんなすばしっこくてね、なかなかつかまえられないのですよ。」
「そうなんですね?翔、本当にスゴイな。」
“ぼくはスゴクない、本当にスゴイのはツキなんだ。”
心の中でみんなに話しかけたけれど、翔のその言葉は、だれにもとどきませんでした。
「とにかくよかった。心配したんだよ?さあ家に帰ろう、翔。」
そう言うお父さんに、翔は答えました。
「まって。これを全部食べてから。」
「そんなものはもう食べなくていいんだ。おなかが空いているなら、もっとちゃんとしたモノを…。」
「ちゃんと食べたいんだ!それが、それが大人になるってことなんだ!ぼくは、大人の始まりを始めたんだ!だから…。」
それを聞いてみんなビックリしました。
何も言えませんでした。
翔の力強い言葉に、何を言っていいのか分からないようでした。
そしてだれ一人として、翔の言っている本当の意味は分からないのです。
「“ツキ、ぼくは始まりを始めるよ。でもきっとわすれない。ずっとわすれない。わすれそうになったら空を見上げる。空がくもっている時は自分の心を見上げるよ。そうしてツキを思いだす。きっと。ずっと。やくそくだ。”」
翔は手を合わせて言いました。
「ありがとう。」
空にはもう星はなく、太陽が森の一日の始まりを、てらしていました。
その太陽の横にいる白い少し欠けた月は、まるでわらっているようでした。
fin

