移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

『過去に逢う』~2023年5月28日(日):目先想創


僕はひょんなことから過去に出逢う。

出逢った。

連鎖連動して過去がよみがえる。



昨日は車で買い物に行って、結構遅くなり、帰ってきた日もくれた夜。

何故か無性に散歩したくなって散歩に出かける。

近所の知らない道路事情を確認しながら(車で通れる場所とか?を探しながら)歩く。

楽しい。

短い散歩だけれど、楽しい。

それで酒屋でお酒を買って帰って、作ってあったおでんを食べるという。

旨しでした。


という訳で、眠るのがかなり遅くなってしまった僕は、ねむねむ状態で起きる。

不覚。

早起きしたかったのに。

結局、早起きは出来ずに、ふらふらいそいそと観劇へと向かうのでした。

とはいえ、長い事住んでいた小金井市での上演で、久しぶりだったので開演前に、周辺をぶらぶらと、のんびり散歩はしていたのですけどね。

散歩、込みの時間が欲しかった、という。


地元の武蔵野台を題材にした作品だったので、自分が長いこと住んだゆえの地元感もあいまって、なかなか感動する作品でした。

歴史を題材にした作品って、人が大きな時代の流れで出逢い、動き、動かされ、創る、ことに焦点が自ずと合うものだから「やっぱり観ている人を動かす力が生まれやすいよね」と思い、ヒントにしながら楽しみました。


観劇後、二階の資料室的な場所で、ソファーに座って長い事、演者とおハナシをさせていただけたことは、とてもありがたく、とても楽しい時間になりました。


その中で、ハジメマシテの方とハナシをしていたら、過去に関わった人たちの名前が幾つかあがって、僕は、そこから帰宅し帰ってからも過去の様々なことを連鎖連動して思い出すことになったのです。


出会って別れ何をしているかも具体的には知らないような関係になって、でも、こうして昔に邂逅した人々の断片に触れて思ったのです。

「過去に出逢ったのだな、僕は」

と。

そして奇妙な虚しさを覚えたのです。

どうしてだろう?

ずっとずっと考えて。

ふと「それは虚しさではなく寂しさなのかもしれない。そうか僕は、きっと、寂しいんだ」と気がついたのです。


自分は時間や回数、関係なく、人に気持ち心持ちを寄せる方だと思う。

一回しか会っていなくても覚えていたりする。

長いこと会っていなくても、自分の中には在る。

だから思い出すし、ずっと関わっていられるなら、ずっと関わっていたいと思う程に、忘れない。

会いたくもなる。

でも同時に難しい気持ち心持ちが生まれるのも事実で。

自分の想いは自分だけ。

相手の想いは相手ので。

だから難しいよね、実際は。

失望したり合わないと思ったりどうでもいいと思ったり。


だからきっと虚しいんじゃなく、寂しいのだなって思った。


同窓会に(昔の仲間の集まりに)なかなか行かない僕が、実はよっぽどみんなに会いたいのだなと気がついた。


肯し。

なのであろう。

これできっとヨシなのだ。

同じ時代を、別々な場所で生きている僕らもまた、残らなくてもいつかは歴史になる。

歴史には動がある。

今、今日、過去に逢って、動いた僕も肯しと笑って、未来と逢おう。

何よりいつかまた未来で逢おう。


そういうことも、きっと、ある。




今日の武博の呟き。

「人生ってなんだろうね」


呟きに軽くさらっと言われた言葉。

「人生ってなんでもないよ」



愛川武博



by moving_sheep | 2023-05-28 23:24 | 目先そうそう | Trackback