『不自由に自由を考える』~2023年4月29日(土):目先想創
NHK朝ドラ『らんまん』を一週間分観る。
僕はNHK朝の連続ドラマを、しっかりちゃんと観るのは人生、初なのです。
面白い。
今までの朝ドラも、こんなに面白かったのかな?
そう思うと、今まで観てこなかったことが勿体ないと思うくらいで。
何がいいって15分だってとこ。
凄いね。
15分で半年。
程よい気がする。
素晴らしい。
舞台は高知。
昨年旅した高知にて、龍河洞を案成してくれた人が「高知を舞台にした朝ドラが始まる」と教えてくれた。
だから観た訳ではないけれど、見始めて、思い出して、縁だなと思った。
そしてドラマの中で出てきた『自由』という言葉について、今さらながらに考えた。
僕は不自由の自由を口にしてきたけれど、それは現代だからであって。
圧倒的に搾取される不自由の中で求める自由は違うよね。
形式や制度や法律で守られた自由。
本当の自由。
とはいえ例えば、奴隷制が廃止になり、自由を与えられたら何をして良いか解らずに、結局、奴隷のような位置に戻る人たちもいる。
楽だから。
自由は疲れるから。
ならば自由はやはり不自由の中にある?
そうかな。
どうかな。
考えて、思う。
「そうか、自由を貰っても、自由という生き方や考え方に対する教育がないと自由には生きられない、自由は育たない、ってことなのかもしれない」
「自由とは好きを、好きなように生きられること」
しかし、そう考えるとやっぱり不自由の自由はもう、幾重にも構成された逃れられない構造なのかもしれないとも考える。
仮に。
人殺しの欲望を、叶えられない、ことがある、としたら。
不自由だと感じる人も居る。
その不自由さにもきっと自由があるのだと、これもまた、教育することなのかもしれない。
教え教えられ育て育てられ。
でも本来、この世界に善悪はないから。
人の世にあっても、世界にはないから。
まっさらに先ずは自由であるべきである。
自由に奪い。
自由に殺し。
自由に救い。
自由に生かし。
自由に生きる。
ん?
でもそれが出来るのって強者だけ?
ん?
(。´・ω・)ん?
自由って……。
……なんかよく分からなくなってきた。
今さら自由について考えた、青年カムバックな時間でした。
愛川武博

