『遡上する羊』~2022年12月15日(木):目先想創
掃除を始めると止まらないよね。
料理も始めると、あれやこれや。
ただ自分の傾向を知っている。
掃除や片づけや料理が止まらないときは、心に何かしらの問題がある時なのだ。
自覚しつつ、リフレッシュしつつ、そんなことを想い。
さらに思う。
抜本的な解決をした方がいいな、と。
抜本的な解決には、戻らなきゃならない。
始まりだったり元だったり、そこを変えなきゃ変わらないのだから。
表層を変えてもすぐ戻る。
さて?
はて?
うむう。
性根と性格と人格が人間を創っている。
別な言い方をすれば、人間の心(脳)の構造を大きく三つに分けると、性根と性格と人格に分けられる。
性根は生来持っているモノ。
性格は(性根をベースに)環境で作られるモノ。
人格は(性格をベースに)自分で創るべきモノ。
一般的には人格はその人の全てを表すけれど、人格とはやはり己で創られるものであると思う。
そもそも心理学、教育学では成長の過程において形成されていく、とされることが多いし。
辞書的には「個人としての人間性」であったり「広義な個人すべての性格や思考や心理を含めたもの」で、一般的な流通の解釈と同じ。
でもそもそも〈人格〉って、明治時代に哲学者の井上哲次郎が英語やドイツ語を訳する時に創った造語だから。
哲学的な始まりの〈人格〉。
人格は結果である。
結果が人格として判断されることがほとんどで。
「いい人でした」けど人を殺す人格を持った人であると判断され。
「ガラが悪い人」でも人を助けるヒーローにも成れる。
さて自分はどんな〈人格〉を目指すのか。
目指せるのか。
その問いの答えを導き出すためには先ず、性格を経由して性根を目指すように、己のクロニクルを遡れなければならない。
ふと思い出す。
前にある女優さんが仲間の俳優に言った。
「夢や希望があれば頑張れるよ」
と。
素敵な未来を夢見る。
希望を未来に想像する。
理想でも、憧れでも、野望でも、野心でも。
ふむふむ。
ならばきっと自分の中にあるはずだ。
よし自分が心動かされるものに照準を合わせるのだ。
自分は野望や野心は長続かない自覚あるので、やはり夢や希望や、何より求めているモノが、よろしかろう。
ああ、そうか、そうだった。
ここ数ヶ月で気づいたことがあったのでした。
ずっと求めているモノ。
あるんだなって。
それは〈仲間〉それも本物の。
仲間とは能動×能動で、同じ目標を共有し創り共に目指す者。
しかしそれを未来のビジョンに据えるって……。
うむう。
うむう。
だって一人じゃ無理だからね。
だから一人で辿り着けるものが、よろしかろう。
しかし。
はて?
そもそも、それが掃除や片付けや料理が止まらない理由なの?
そもそも、いいじゃん掃除や片付けや料理。
そうだね、うん。
他に優先順位がなければ、うん。
考えろ。
そのために感じろ。
さて。
さて?
はて?
抜本的な解決のために、人格→性格→性根と、己を遡ってみようアプローチは、結局、果てがないまま「はて?」と終ってしまいました。
(もう眠ります、が)
終わりは続いている。
はて。
さて。
まだまだ、掃除と片づけと料理(は限界ありますが~ああ、料理ふるまいたい、パーティーしたい思い)からは逃れられなさそうである。
とほほ。
愛川武博

