『子性の女男』~2022年12月13日(火):目先想創
人が話す仕事場の〈人のハナシ〉が面白い。
顔は知らないけれど、ハナシを聴いてその人を想像する。
身長や顔や佇まいや。
まるで小説を読むのと似ている。
自分なりの登場人物の想像と解釈。
その話しの流れで画像を見る機会があった。
百聞は一見に如かず。
わくわくと見せて貰った。
入社二年目の、画像の中の彼と彼女はイメージとは違っていた。
面白い。
答え合わせな感じであり、出逢いの片りん(一方通行ですが)であり。
実際に会ってみたいなと思うのは、一見は一経(験)に如かず、だから、だけれど、さすがにね(+_+)
なかなか会い相手を経て関係を体験する機会はさすがに出来ないよね。
その時にハッと思った。
ああ「男の子」と「男子」と「男性」/「女の子」「女子」「女性」は違うのだと。
言語や一般性では、当たり前のコトだけど。
女の子(男の子)は年少。
女子(男子)は幅広い成長期~学生年齢時期かな。
女性(男性)は大人で。
これが一般的なのかな?
年齢的な区別。
でも僕にとっては「思いとして」のニュアンスが有るのだ。
年齢的な意味ではなく。
自分の中で発動する、相手への気持ち心持ちの区分。
例えば44歳の彼女の恋の話を聞くと僕は「可愛いな」女の子なのだなと、純粋に可愛さに、モフモフカワイイスキダナ~と思うことだったりすること。
自分の中にある判断基準に「女の子」「女子」「女性」があるのだと気が付いた。
もちろん「男の子」「男子」「男性」もまた。
ちなみに自分は大体の場合は「男子女子」と思い、使う。
そうなのです。
ハッと気づいて、納得したのです。
僕は女の子、女子と思うことがほとんどで。
あまり女性と思うこと(便宜上女性と使ったり、“女性”という思考で関係を保ったりするけれど、この個人的な女性と思うこと)が多くないのである。
つまり女性(男性)だと思う人は特別な人なのだと。
その名の通り。
性。
そう女性(男性)と思うのは恋愛対象に近い存在なのだな、と気がついたのです。
個人的な思考言語。
言語思考。
驚く。
合点がいく。
女の子や女子が女性になるように(男の子や男子が男性になるように)、女性の中に女の子や女子を見るように(男性の中に男の子や男子を見るように)、移動と共存と変化と消失と獲得と同時を持ちながら、在る。
あるいは100%女性(男性)なら、逆に恋愛対象にならないのかも。
ひょっとしたら人々は、理想的な子と性の配合を求めているのかもしれない。
そりゃ100%女性(男性)好きは、居るもんね。
逆もまた。
なるほど。
すごく合点がいく。
とても個人的な、でも目から鱗でささやかで圧倒的な理解でありました。
愛川武博

