いよいよ (ゾク / 愛川 武博 )

『ゾク』
サイト開設。とはいえ、ずっとコンテンツとして今の場所にいたんです。
『ゾク』の景色だけはアップされていたのです。
長いこと、そのあらゆる景色を移動しながら、アップ公開されるのを待っていたのですよ。
是非ご覧下さい。

僕は奄美大島生まれでして。



奄美は亜熱帯性気候に属する島で、島の八割ちょいが山におおわれているため、人々は島のへりにくっつくように住んでいます。マングローブもあります。
島には日本で最も危険なヘビと言われる『ハブ』が住んでます。
ハブは人々の生命を脅かす生物であると同時に、森の守神としても存在してきました。ハブがいるために安易に森へ立ち入れないことが、森を開発から守ったともよく言われます。

というか、愛川家は奄美で代々炭焼きの家系ですが。
森の木を切ってきました、てへ(勿論植林しますよ)
おまけに父親は、ハブを捕ってきてハブ酒にしてました。
小さい頃の記憶は、山と川と海で遊んだのがほとんどですね。
ちなみに母は、大島紬を織っていました。
愛川もたまに、母の織った着物を着ます。


奄美の名が、歴史書にあらわれるのは、七世紀後半から八世紀の頃です。海見、菴美などと書かれ、大和朝廷に方物(地方でできた産物)を献上したりします。この頃から朝廷は沖縄を含む南の島々の経営にのりだしたようです。
あとは、大宰府跡より出土、「美」(注)は「あまみ」と読み、奄美大島を指すものと考えられているかな。『日本書紀』に「海見嶋」(斉明三年七月)や「阿麻弥人」(天武十一年七月)、『続日本紀』には「菴美」(文武三年七月)や「奄美」(和銅七年十二月)などがあるらしく、7世紀の中頃から大和朝廷と交流があったみたい。

そしてよくあります!!平家伝説。
壇ノ浦の戦い(1185)で源氏に敗れた平氏の残党が落ち延びてきた、という伝説が奄美各地に数多く残っています。平行盛(たいらのゆきもり)、平有盛(たいらのありもり)、平資盛(たいらのすけもり)だそうで。

母の家系は結構裕福だったと聞きました。多少関係あるかも。
これもよくありますが・・・。

さらに琉球王朝時代
奄美が再び史書に現れるのは、沖縄の歴史書です。それには1266年琉球王に入貢したとあります。以来奄美と琉球王朝は親しい関係を続けますが、1429年尚巴志が沖縄全島を統一して権力を握ると、その関係は服従関係に変わっていきます。

来ました薩摩!
1609年、薩摩藩は琉球を征討し、以後奄美は薩摩藩の領土となりました。1830年に藩の財政立て直しが始まり、大島・徳之島・喜界島の三島の黒糖は藩が総買い上げを行ないます。農民は無理やりの増産を強いられ、苦しい生活をしてたみたい。

そして戦後、アメリカ軍の占領とともに日本から切り離されて米軍の統治下に置かれたのです。2003年は奄美返還50周年でした。

サンシン(ヘビの皮で作った三味線)弾きだった父は沖縄民謡と奄美民謡をよく弾いて唄っていた。父と母は沖縄で出会いました。
僕は妹と、森を見ながら聞いていました。
ビールを飲みタバコをふかす父の、サンシンと唄を。



歴史が、僕の中に流れていると思います。
いえ、歴史を知っているからという訳ではなく、ずっと昔から属性と抑圧と解放を感じています。奄美にあるんです。
奄美には、いつも不思議な力を受けます。


脚本や演出や作品に、影響はあるだろうな~と、すご~く思っています。

きっと。

そんな、『ゾク』

by moving_sheep | 2005-02-01 23:14 | ゾク | Trackback
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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び


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