2011年羊稽古場 百十日目/大切な想いの為に己の矜持を捨てることが矜持みたいだ
窮まった時にこそワカル。
僕はそれを忘れない。
一人一人のその瞬間の佇まいを忘れない。
冷静に取捨選択をする。
熱く取捨選択をする。
矜持がゆえ、己の矜持に従ったまでじゃ。
愛川です。
11月24日/6年2組のクラスにしかない、サチ先生がやったコミュニケーションゲームってなんだろう?ってことを中根道治と考えてみたけれど、パッとは思いつかないからとりあえず、様々なコミュニケーションゲームをして遊ぶ。
個性的な6年2組の仲間たち。
その様々な樹木は、どんな森を創るのだろうか。
楽しみでゴザル。
さて稽古場で流した涙も、こみ上げる笑いも、(例えそれがお芝居に直接関係なくても)全てが意味のあることになる(正確には意味のあるものにすることが出来る)と思っている僕は、その想いのために奔走する。
今まで選択しなかった行動。
決意や矜持を捨ててまでも、その想いのために奔走する。
いいのさ。
ギリギリまで悪戦苦闘しながら、それがダメなら違う悪戦苦闘を選択しようと思ってたけど、大切なモノのために、ギリギリすらも超え、またまったく違う悪戦苦闘を選んでも。
いいのさ。
いやーすべてをかなぐり捨てて、右往左往。
決めていたことを全てひっくり返し。
でもそれで分かったこともある。
とても分かったことがある。
それもまた財産なのかもしれない。
そうして稽古が終わり1日が終わり、意識がなくなる寸前に僕は夢をミタ。
そんなことはないはずなのに、オチル前に夢をミタ。
いつも笑顔のあの人の夢を。
大変な時でも、やっぱり笑っているあの人を。
なんだか抽象的なハナシだらけになってもうた…。
ちゅうわけで、とりあえず笑っていようと誓うのだった。

