2011年羊稽古場 八十日目/
それが、ささやかに届く。
それはまるで、シズクのような小さな種だ。
その想いの種が発芽して、孤独を養分に成長を始める。
孤独だけじゃ足りなくて、怒りや喜びや絶望や希望も。
そうして君の中に花が咲き、花は果実を実らせる。
その果実は誰のモノでもない、君だけのモノだ。
君だけが味わう、豊穣の味。
だからどうだろう。
その果実を実らせに来ないかい?
愛川です。
10月22日。
役者スタッフ、みんな集まっての大人数稽古。
身体を動かし、フォルムをその身体にオトシ、様々な動きをみんなで訓練する。
そして最初から脚本を通して読む。
コミュニケーションが成立しないと、場が立ち上がらない。
物語が動かない。
使っていない役者と使おうとする役者、使っている役者と使い過ぎている役者。
どちらにせよ、何も使わない役者は基本的に面白くない。
使わないから台詞が生きない。
生きていないから眠くなる。
勿論使っている役者も、何を使うのかが重要になってくる。
つまり努力の方向性。
それでも何か感じ考え、心と身体と頭を使い表現しようとアガク役者と、そうじゃない役者と、明暗を分けた。
僕は口を出さなかったので、使うキッカケが出来なかったのも事実だ。
使い方においても。
実際、後半は、我慢出来ずに、口を出した。
変化する。
アタリマエだにぇ〜。
それが僕の仕事なのだから。
刺激を与え、役者の能力を引っ張りだす。
(だからこそ、あえて何も言わない選択をすることもあるのだ。けれど、あんまり無い)
その中で抜群に良かったのは、飯塚美雪であった。
かなり久しぶりの稽古参加。
面白い。
生きている。
終始、自分の役がシンタイにオチテイル。
中盤、さらに良くしたく演出を一言。
しかし馴染まない。
それでも彼女は考え感じ、台詞を読まない間も使っていたのだ。
そして次のシーンでは見事に面白く、演出をシンタイにおとして関係性を構築していた。
他者を感じ、自分の意思と意味を持ち、相手に向き合う。
そこにコミュニケーションがあり、人間がいる。
重要なことは、まず使うことだ。
それがないと始まらない。
そうして、何を使う、か。
しかし安心して飯塚美雪の台詞を聞いていたが、残念なことが一つ。
彼女は漢字が読めない。
え、何故そんな読み方を?
ということも、シバシバ。
なんで、なんで、なんで〜!
と思いつつ、次からは平仮名に(あっ、ひらがな、に)しようと思うのであった。
にゃんにゃん。

