2011年羊稽古場 六十二日目、朝から晩までまるで稽古場立ち上げの頃のような実験の稽古
結婚について、考えた。
許せない、許されない誰かの想いについて考えた。
愛することに、ついて考えた。
愛されることについて考えた。
一人で歩く覚悟が、ソコにあった。
そこから、先に行く。
愛川です。
7月17日の稽古場六十二日目。
諸々の体調の悪い人、予定のある人だらけで、結局加田斎、ヨーコ、愛川の三人稽古再び。
しかし、ここぞとばかりに、新しいアプローチを楽しむ。
これが面白いほど、効果を発揮する。
もともと、ヨーコには言っていたのだ。
「もっと、ヨーコが様々なアプローチや意味を見出せるように、ミッシングウォークでの新しい、ヨーコの為の稽古方法をを考える」と。
『世界が終わらなかったかわりに僕らは終わった』前後、しかり。
『太陽の緑』前後、しかり。
もう一回くらい言ったけれど、なかなか見つけられず、ずっと探していた。
そして気付いたのだ。
これだ、と。
ヨーコは言葉が(つまり台詞が)身体に連動して、見事な表現を出来る女優である。
(それは台詞を喋っていなくても、言語が身体の中にありさえすれば、彼女は見事に雄弁だ)
それを手がかりに、音を、響きを使った稽古。
それはつまり、音を出す。
音は様々な音。
音を遊ぶ。
まるで、子供が歌を作って遊んでいるように。
子供は音、色、発想、夢想、シナプスの連鎖、感受、まさに芸術家だ。
まさに、太陽の子供。
ヨーコ。
イッキにバリエーションが増える。
まるで、真夏に咲き続ける花火のようだ。
面白い。
加田斎がついていけない。
(ま、あることが気になっていたとは、いえ)
それが午前中のハナシ。
やっと約束を果たし、午後もその延長と言いながらも、ちょっと違うことをやる。
ある、台詞を言ってもらう。
ここまでは、普通のミッシングウォークだ。
しかし、ソコから僕は口立てで(あらかじめ書いた台詞を言ってもらうのでなく、その場で作った台詞を口で伝え。その場で覚えシーンを作ってゆく方法)、設定を変え、関係性の意味を変え、人間が作り出す運動を変え、移動しながら様々な物語の世界観を作ってゆく。
そんな稽古をしたのである。
これが、また、面白い。
同じ台詞なのに、状況が変わるだけで、キャラクターが変わり、意味が変わり、世界観が変わり、物語が変わってゆく。
僕は、どんどん台詞を追加してゆく。
物語も変容してゆく。
抜群に面白い。
普通の芝居でなく、ミッシングウォークで様々な表現の移動の中で行われるから、その面白さは抜群に、バリエーションに富み、物語に富む。
やはり、挑戦なくして、新しい地平は見えない。
そして、ヨーコが残り一時間半を残し、帰宅。
残りの時間は、久しぶりにガッツリ加田斎のフィードバックをした。
僕は加田斎になった。
たまに、加田まさしになった。
楽しかったが、後半は僕を痩せさせるために、それはそれはキツイ歩きをする加田斎であった。
そんなこんなの、六十二日目は、飛びぬけての面白さ。
ああ、稽古だけでも、面白い。
作品作りはもっと面白い。

