移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

【加田担当】2011年羊稽古場 五十一日目――羊たちは草原で歌い、小道で自分を見つめる

 この日は午後から愛川氏が劇団スクランブルの稽古に行ったため、ブログ報告はアタクシ、加田が担当いたします。

 午前の参加者は愛川氏、私に、遠藤径至さんとヨーコにゃを入れた4人。





 さっそく、柔軟からはじめる。
 が、今日の参加者は、身体の柔軟性があり、可動領域も広いメンバーばかり(愛川氏は多少、身体が硬いが、動きは鋭い方だ。もっとも、昔はもっと機敏だったけど。うーん、ダイエットすればなぁ)。羊の“ストレッチマン”としては、「あー、これできねー」「ココはまだ動かねーよー」的な個々の叫びが欲しいところ。なんて考えながら、ぼんやりやっていたら、愛川氏から「準備運動にならんから、ちゃんとやれ」とお叱りが。ごもっとも。「いつも通りでいこう」と言われたが、それもつまんないんで、今日は体幹トレーニングを実施。体育会系部活とかでやる、筋力とバランス感覚を鍛える、知っている人はよく知っているが、文化系の人にはあまり縁がないアレである。ダンサー竹中勇さんによれば、単に腹筋・背筋だけでなく、インナーマッスルの鍛錬にもなるという。軽く2、3の体幹メニューをやったが、今後、コレ増やしていきたいなぁ……と、思ってヨーコをみると、「また、ハードなレパートリーが加わるのではないか」と、怪訝そうな顔をしている。

 今日のミッシングウォークは、最近、愛川氏が凝っている、歩き・動きにセリフを乗せる稽古だ。そして今日は、セリフではなく歌である。
 まず、径至さんが、歌わせられる。一応、知っていそうな曲をかけて、それに合わせて歌うわけだが、うろ覚えの歌を思い出しながら、動きと中身(内面)を伴い、かつ変化させていくのは容易ではない。しかも、径至さんは、このとき私のフィードバックをしながら歌い動いている。つまり、私は径至さんの歌とコラボしながら動き、その動きを歌っている径至さんが身体に取り込んで自分の動きにするというなかなかやっかいなメカニズムだ。
 同様にして、私もヨーコも歌いながらやるわけだが、乗ってくるまでにはかなりの時間を要する。すぐにはそこにいけない。

 歌といえば、羊の創設時、よく稽古場で歌の練習をした。私は小さいときから相当の音痴で、昔はカラオケ文化を普及させた人間を心の底から憎んでいたのだが(ちなみに、カラオケを開発した井上大佑の半生を描いた『KARAOKE~人生紙一重』という映画がある。私はこの作品で、「映画館に1人」状態を初体験した。主演は“人生紙一重”を体現した男、押尾学……もう二度と地上波では放送されないだろう)、羊の稽古で歌うようになってから、不思議と躊躇なく歌えるようになった。念のためにいうが、音痴が治ったわけではない。断じて。ある意味、音のはずし方は、前よりひどくなっているかもしれない。ただ、そういう細かいことが気にならなくなった。羊の稽古を通し、身体につながるあらゆるものが連動すると、自然と口から歌がポワーンと出て、表現につながるのだ。
 全然関係ないが、みんな私の音痴がイヤなのか、ここ5年くらい、カラオケというものに誘われたことがない。と、ここでブログを通してアピールしておく。

 さて、歩いて動いて歌って午前の稽古は終了。
 稽古場に来た当初、歩きの稽古に戸惑っていたヨーコが、最近はやけに楽しくやっている。ヨーコちょー大好っ子な私からすると、ヨーコが楽しければ当然、アタシも楽しい。一方、径至さんは、壁にぶち当たってちょっと悩んでいるようである。もともと身体は柔軟で、さまざまなバリエーションをもって動ける径至さんは、羊の稽古の目的や方向性をすぐに受け入れ、楽しみ方も悟ったようだった。だが、ここにきて、自分の限界をこの稽古で打破しようと模索しはじめている様子。とても真摯で真面目な人なのだ。
 午後から径至さんにそのあたりの話を少しはだけうかがってみた。径至さんは、かつて大学で専門的な勉強をしていたのだが、そこでぶつかった問題と、芝居の稽古で出てきた自らの欠点がリンクしたことがあったとか。以後、仕事やプライベート、芝居の練習が密接に重なり、結びつく感覚を覚えたという。たぶん、自分の表現力やコミュニケーション能力、受容性などの限界を、あらゆる局面で感じたということなのだろうと思う。そこで出くわしたのが、羊の稽古場だったというわけだ。径至さんにとっては、まさに人生の「径(こみち)に至った」ところなのかもしれない。羊での稽古が、問題を解決する一助になるかどうかは分からないが、少なくとも径至さんは、稽古場で、その克服のために試行錯誤していくつもりのようだ。
 ミッシングウォークではあらゆることの同時性が要求されるが、径至さんは、「すぐに全部やろうとすると失敗しそうなので、ひとつひとつやれるようにしたいですけど。でもそれじゃ、ミッシングウォークにならないかもしれませんね」と笑っていた。すごい。というか、おもしろい。ひょっとしたら、ミッシングウォークは、稽古と本番の間を埋めるだけでなく、プライベートと仕事、日常と非日常、ハレとケ、あらゆるものを結びつけるカギになるのかもしれない。そうなるためには、まだまだこのメソッドを進化させる必要があろう。

 愛川氏が抜けたあとの午後は、用意された『シトラスちゃん/エピソード』のテキストを3人で読む。1回読んでみて、3人で世界観の認識が共有されていないようなので、あらためて、「シトラスちゃん」ワールドを確認しながら、セリフ一つ一つの解釈を試みる。作家がいないので、好き勝手に自由に読み解き、それをもとにあらためて読む。……まったく別物になっている。さらに3人で解釈を加える。うわー、また全然、変わってる。そういえば、久しくこういう稽古をやってなかったなぁ、と思いつつ……今日も羊たちは、草原を一歩一歩、歩いていくのだった。
by moving_sheep | 2011-06-16 16:57 | 稽古場レポート | Trackback