2011年羊稽古場 四十四日目〜アイカワは語り、女優は語り、ほんの少しだけ何かを共有す
いや、むしろ何かにトリツカレテしまったかのように。
焦点が定まらないと言っていた時代のような日々。
つまり単なる注意力散漫なだけ。
愛川です。
5月28日土曜日の午前中は、女優二人だけの稽古になった。
俳優としての課題や想い、ミッシングウォークで届かないけれど、届きたい先のビジョンや意味を三人で話し合った。
最近は久しく、詳しく話すこともなくの稽古が続いていたので、重要な話し合いになる。
俳優の持つ力。
俳優一人ヒトリが持っている、“個”がとても重要になると思う。
それは誰もが持っている人間としての力。
俳優は、人間であれば誰でも出来ると思っている。
誰でも、なれる。
だからこそ、選ばなければならない。
だからこそ、何をやるのかが重要になってくる。
細野美也の一年が話題に出た。
彼女の成長。
彼女の女優力。
細野美也が劇団やぶさかの看板で、彼女が劇団やぶさかを愛し、その演技形態がベースにあり(そして何より、細野美也が自分自身で培った莫大な想いがあって)初めて、移動する羊のミッシングウォークが意味を持つ。
つまり、彼女が劇団やぶさかであることが重要なのだ。
つまり、彼女が彼女自身であることが大切なのだ。
僕らは“コ”だ。
その上に立ち、僕らは様々な移動をする。
それぞれの、“こ”を持ち移動する。
高く、遠く、深く、行くのだ。
そして僕らは集まった。
彼女は一年をかけて、女優として素晴らしい上達をしてきた。
おそらくコレからもそうだろう。
それは、自分の大切なモノをを大切のしようとしてきたからだ。
あがいた。
使い続けた。
心と頭と身体を、使い、生まれてきたものを刻んできた。
それに勝るものは、ない。
僕らは“コ”だ。
そして目指している。
まだまだ、手に入れるべく、ソレゾレの道は続いている。
そんな道を、少し共有した稽古、話し合いになった。
そういえば、そんな決して終わることのないサラナル道を加田斎は迷っているようだ。
手に入れなければナラナイものを、届いたと思ったのか、諦めたのか、目指すべき先があるのに、見えていないのか、その全てか。
あるいは、何かが、消えたか。
そのハナシはまた、いつか。
移動する羊は、いつも一匹だ。
そして、また、群れだ。
一匹の大群だ。