今だからこそ言える、「太陽の緑」徒然 part3じゃぞじゃろマロ
出会いの季節だ。
恋の予感が満載だ。
毎年、マボロシと消えるケド。
いいのさ、物語に恋するさ。
愛川です。
統計を、データを出すために久しぶりにアンケートを読み返した。
そしたらさ、意外なことに気がついた。
細野美也が、「そんなに否がないじゃないですか~」と言ったと書きましたが、その通り、そんなに否が書いてなかった。
あれ?
様々な人から感想を聞き、一番後ろでお客様の反応を観て、喜んで欲しい人に喜んでもらえなかったことで、過剰に敏感になっていたみたいだ。
しかし実際は聞いた感想は偏ったものじゃなく、賛も、否も、それなりに貰う、後で観て辛そうにしていたのは一割、あっても二割ないくらい、喜んで欲しい人には、それなりにちゃんと喜んでもらえていたのに、どうやら数人のお客様の圧倒的否に、僕自身が否に対して過剰になっていたみたいだ。
それなりのアンケートの数も貰えていたので、自問自答してしまう。
僕ってネガティブなのかしら?
楽天家だけどね~。
オカシイな。
よし。
今度から、楽天ネガティブと呼ぼう。
それでも、賛否には変わりあるまい、と思うケド。
さてて、お客様の一人に「太陽の緑」の感想をブログで最近書かれている方を見つけた。
読んでみると面白かった様が書いてあるのは、それはそれで嬉しいのだが、その後、なかなか興味深い感想を書いていたので、公演の徒然に引っ張ってこようと、思う。
ソコにはだいたいこう書かれていた。
「ハナシの構造が複雑なのに、観客にオハナシの内容が伝わっていて、スゴイ脚本だ」
これ、実は脚本がスゴイのじゃなく、役者が凄いのである。
(いえ勿論、脚本の狙いとか、目指しているモノは明確にありますよ、それでも)
伝わるとか、物語が立ち現れるのは、役者たちの力なのだ。
役者だけが褒められるのは、実は演出がある意味成功していると書いたが、実は脚本が褒められたりするのは、役者が成功しているのだ。
勿論、すべてに当てはまるワケではないが、少なくとも僕の脚本はソレが強い。
これは、是非みんなに伝えたい。
つまり俳優たちは手にしていたのだ。
みんな頑張った甲斐があったのだ。
いやいや、ネガティブ(細野美也の言うと通りでしたわ)で、理想が高い(と言われる。そうかな、理想なのか?と思うが、ま、でも言われるので、そんな両方を抱えた)メンドクサイ僕は、この感想には背中を押されたのですじゃ。
人は様々、想いも様々、感想も様々。
どんな意見も聞くのは、次に繋がるのでアリガタイ。
感謝感謝の日々ですなー。

