2011年羊稽古場、二十一日目、ちょっと厳しいこというよ
花粉めー!
負けてなるものか。
そう思いながらも、負けている。
子孫を残そうとする本能に勝つためには?
さらなる本能で立ち向かう。
おいら喰らう、眠る、子供を作る。
愛川です。
二十一日目は一昨日、役者全員集合。
久しぶりにミッシングウォークをやる。
僕は見学者と話をしていたので、ほぼ外的指示を与えず歩いていた。
一つのスタイルの歩きをしながらも、やっぱり表現を移動しているので、やっている人たちはどんどん楽しくなってくる。
かつ僕が指摘しないので、楽な気持ちで表現を移動する。
それは単純に楽しんでいる人を観て、楽しくなる、面白さだ。
これはこれでミッシングウォークの良さだ。
しかし勘違いしてイケナイ。
自分が楽しいだけでは、ダメなのだ。
自分が気持ち良いだけじゃダメなのだ。
げんによく自分だけの気持ちよさや、楽しさだけになって、しばしば表現にならない竹中勇貴が、帰り際にヤリキッタ感満載でミッシングウォークを語り、他の役者の、謙虚にバリエーションを増やそうと様々ものを盗み、フィードバックする様(もともとそういうメソッドなのだ)を、さも自分の影響力みたいな感じで語っていた、上に、バリエーションを増やさない自分を“頑固”だと言ってはばからない発言には、情けなくなってきた。
彼の自信は大切だ。
素晴らしいと思う。
役者には必要だ。
しかし表現になっていない自分に気づかなくてならない。
稽古中に何度も同じ注意をされることの意味に気づかなくてはならない。
謙虚さにまさる上達スタンスはなかなか、ない。
同時に持つ。
自信と謙虚さと、自問自答を携えてタカミを目指さないことにはクオリティーは上がらない。
これはどの役者にも言えることだ。
もっともミッシングウォークの最後に僕が少しだけ指示を出した時の俳優たちの佇まいや反応や表現は素晴らしいものがあった。
かくいう竹中勇貴も素晴らしい。
こんだけ言っておいてなんだが、良い俳優だ。
ちなみに言っておくが、普段は謙虚に頑張り屋だよ。
つまりシンタイに意味をオトすことは大変だってことだ。
すぐ忘れる。
すぐ謙虚じゃなくなる。
だから積み重ねてゆくしかない。
この僕の発言も積み重ねになる、といいな。
そして僕が何も言わないミッシングウォークの果てにワカルことは、楽しむこと。
楽しむことは、すべてを凌駕してクオリティーを上げる。
だから僕らは、シンドイ思いをしながら表現を楽しむのだ。
その後は、みんなバラバラにチームごとに脚本稽古をした。
火曜日はTAKEsのガッツリ稽古なので、竹中勇貴を中心に稽古。
なんだかんだとやはり竹中勇貴は、面白い俳優さんである。
課題はいっぱいだけど。
それは、みんなにも言えるけど。
つまり、さらなるタカミを期待している。
事実を。
そしてそれを認識して引き受ける強さを。
覚悟を。
そこから生まれる表現を期待してやまない。
みんな、、、、がんばれ~。
それにしても本当にみんな楽しそうである。
僕は演出が細かいから、要求が高い(多いと言ったほうが正しいか)から、大変な思いを役者はしているだろうに、それでもやっぱり楽しそうだ。
良いこっちゃ。
素晴らしい。
そんなこんなで二十一日目は終わった。

