移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

稽古場情報 人は思い出だけでは生きてゆけない

人の声が聞こえたような気がして、僕はカーテンを引き、ドア窓を開けて外を確認した。

でもアパートの共通の中庭的な場所であるソコに、勿論誰も居るワケもなく、念のために玄関から誰かが呼んだのかもしれないと、玄関のドアも開けた。

誰も居ない。

僕は最近頻繁に“声”を聞く。



この部屋はたまにこんなことがある。

いや、そもそも僕はある時期からあらゆる場所で、そのような幻聴(と果たして呼んで良いのかワカラナイけれど、でも聞こえたような気がする感覚)を発動させる。
その時にいつも思うのだ。

その“声”は僕に大切な何かを伝えようとしているのかもシレナイ。

だが一度としてその声を捉えたことはない。

そして幻聴を聞いて必ず思い出す日々がある。
幻聴の始まりかもしれない1週間の旅路。
その旅の一分間。

それはまさに“声”だった。

鹿児島から東京に向かう車での旅路の途中に、四国に寄ったその時に“声”を聞いたのだ。

僕は友人と二人で交互に車を運転しながら、1週間くらいで鹿児島から東京を目指したのだが、僕らはその途中、岡山から橋を渡り、四国に入り、真夜中に、山の中で迷ってしまった。

それは圧倒的恐怖と睡魔と爆笑の繰り返しの夜だった。

怖い、と同時に、眠い。

人はその二つを同時に持つことが出来るのだ。
怖く、眠く、しかしまた一瞬の睡魔で山道から転げ落ちるかもしれない恐怖。

そして頻繁にミエル、街灯や電柱の下にいる人間の、ような、気がする白い影。
僕らはそれをミテ、何度も目を覚ます。

そしてその事実を笑いながら叫ぶのだ。

「また幽霊見えたー!」

笑いながら、怖いコワイと叫びながら、暗闇の外に出て、車の運転をかわるのだ。

その真夜中に、ある場所を通った瞬間に、僕はハッキリと声を聞く。
それはまるで歌っているかのような声。
いやまさに歌だったように思う。

運転している僕の右側の後ろ(勿論そこは車の外になるワケなのだが、そこ)から、普段僕が言う、幻聴モドキではなくハッキリと歌が聞こえてきたのだ。

僕は友人に言う。

「声が聞こえない?いや、聞こえてくる」

友人は聞こえてくるかのような、聞こえてこないかのような曖昧。

それはまるで日常と異世界の狭間にいるかのような、歌と曖昧。

一分間の幽玄。

そういえばあれ以来なのかもしれないと、1、2年してふと気づく。
そうなのだ。

声が聞こえたような気がする感覚は、あの日々からなのだ。

いや確かじゃない。
でもそれ以前の“声”の記憶がないのも確かだ。

あのたった1週間の旅。

熊本のパーキングエリアの夜。
福岡の美人たち。
下関の海底の道。
山口の温泉。
広島の脚本を食べる鹿。
岡山のビジョンのある青年。
愛媛の幽霊。
高知から見た太平洋。
香川のウドン。
静岡で僕らを泊め、海と滝に案内してくれた女性。
東京についた時の誰もいない空白の街。

あの時僕は、この瞬間の特殊な感覚を、二度と手にすることはないだろうと感じていた。

きっと、この日々は唯一だ、と。

僕は最近頻繁に“声”を聞く。

それはまるで誰かが何かを語りかけているかのように響き、でも決して僕はその意味を知ることはない。

それは記憶の欠片が語りだす、明日へ向かうための響きなのかもしれない。

僕はただヒタスラに、その響きに耳を傾ける。

愛川です。


来週の稽古時間です。

★2月14日夜東長崎/17時30分〜21時30分

★2月15日夜東池袋/17時30分〜21時30分

★2月18日夜東長崎/17時30分〜21時30分

4月本番に向けての稽古中心ですが、ミッシングウォークもやりますし、見学でも良いですし、来る人にテキスト(希望制)も用意して稽古しますので、気軽においでくださいませ。

いつもだいたい池袋周辺で稽古。

興味のある方は愛川武博(loveriver@di.pdx.ne.jp)まで『稽古場参加希望』とタイトルに書いてメールください。
by moving_sheep | 2011-02-14 03:10 | 稽古場レポート | Trackback