移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

2011年羊稽古場、ははははー八日めーだぜー

走りたい。
走って走って、思考したい。
走って走って、無になりたい。
ランニングを必ず脚本がひと段落したら、する。
そう心に誓う日々を過ごしている。
愛川です。



一昨日、2月7日の稽古。

TAKEsの脚本の第一稿を渡す。

情報が多すぎる。
少し削らなければならない。
それは逆に無駄を増やす作業。

1時間30分くらいにして上演したいくらい面白いテキスト。

しかし4月は「シトラスちゃんと6年2組の仲間たち」のエピソード公演。
これだけをガッツリやるワケにもいかず。
それはみーみーみーの脚本においても言えることで。
面白いが故に、さらっと。

どちらもガッツリやりたいけれど、時間的にやれないので、抽出する。

つまり目指すは密度があるのに、さらっと。

とにかく出来た作品を読みあわせをしてみる。
しかし、どうにも良くない。

加田斎の良さである、心を使う読みを最近しない。
それは他のメンバーにも連鎖する。
もともと、読みあわせではあまり「使わない」クセがついている役者が多い。

過剰にやれと言っているのでは、ない。
「使う」ことが重要なのだ。
さらっとやっても、何かを使っていると次に必ず繋がる。
次に繋げないと意味がない。

勿論、読み合わせだからと言えば、それまでだが、僕はなるべく先に行きたい。

そのために、ミッシングウォークも、すぐに表現の領域に行けるよう訓練している。

そしてその為には、『使う』ことが必須なのだ。

読みあわせでも『表現を遊ぶ』ことをして欲しい。

なんのためにミッシングウォークをしているのだ。

あまりの使わなさに少し腹立たしくなり、指示を出す。
「テンポをあげて」
しかし、台詞の中身が早くなるだけで、反射や反応がない。
大切なのは身体で台詞を言うことだ。
心を使って身体と連動させることだ。
台詞はまさに身体性なのだから。
言葉の選択を間違えた。
言い直す。

「早くではなく、台詞に反応してくれ」

しかし、ほとんど変わらず。

つまり、ツマラナイ。
面白くない。
それに気付かず、ダラダラとやる。

いったい君達は何を稽古していたのだ?
ミッシングウォークはこういうことにこそ、意味が出るのだ。

移動しろ、表現を遊べ、第六感を使え。

読みあわせが終わって、みんなに言う。

「読み合わせの時点でも、出来うることをやってくれないだろうか?僕はそれを観て、聴いて、作品に反映してゆくのだから。その為に、もっと使ってください」

竹内もみが真剣に聞く。
頷く。
意味を身体に落とそうとする。

加田斎は聞いているのかどうかワカラナイ。
反応がない。
もともとそんな傾向があるが、聞いていたりすることがあるので、何も言わない。
こりゃーダメだなと思うが、耳は傾けているかもしれないと思い、何も言わない。

しかし、翌日にその覚悟のなさ、耳を傾けないゆえの結果、使わないラクをする姿勢の意味が立ち現れることに、なる。

竹内もみ、加田斎の明暗を分ける。

そのようにして、八日目が、終わった。
by moving_sheep | 2011-02-09 11:32 | 稽古場レポート | Trackback