稽古場情報 昔は「3年目の浮気」が好きでよく歌っていた

ふと執筆の途中で、昔の日記を読む機会があった。
調べものついでに、目に入ったのだ。

「3年待ってください」



3年と半年前に奄美大島に帰った時に、兄や妹や母親に実家に帰ってこいと散々言われた。
僕は実際迷っていた。
かなり本気で実家に帰ろうとさえ、思った。
何故ならその時期の僕は、それほど身体の調子が良くなかったからだ。

しかし僕は帰らなかった。

ただ兄と約束をした。

もし3年踏んばってみて、自分の“帰らない意味”がやはり届かないものだとしたら、その時は躊躇なく、帰るから、と。 

何故3年なのかはワカラナイ。
特に意味もない。
世間一般的なヒトクギリを言っただけだった。

それでもやはり3年には意味があった。

僕は十何年かぶりに奄美大島に帰ったことで、ギリギリ3年を踏んばるエネルギーを、奄美の海と空から貰ってきた。
残念ながら、山までは行く時間はなかった。
僕にとって山は、森は、圧倒的な意味を持っている。

その時行っていれば、さらなるエネルギーを貰えていたかもしれない。
それほど僕の心は森に身を寄せている。

何はともあれ、僕は島から貰った力をタズサエテ、また東京に戻ってきた。

そう深海へ。

5年前から僕にとって東京は深海だった。
島から船出した僕はいつの間にか“遠く”ではなく、“深く”へ向かっていた。

そこに再び、戻る。
そして奄美から持ち帰った力を少しずつ大切に使いながら、ずっと海の底を歩いていた。
いつ浮上するともいえないその場所は、ある意味において、楽園のような場所だったと思う。

たくさんの欲望から切りはなされた、無痛覚の楽園。

そこにあまり痛みはなかった。
あらゆることを忘れていった。
たまに生きていることに気づかないくらいに。

そしてその時期僕はたくさんのモノを失った。

面白い程失ったと思う。
笑えるくらいだ。
実際よく笑っていたと思う。
つまりイマとあまり変わらない。
それでも僕は深海を歩いていた。

でも僕は浮上してきた。

楽園から出てきた。

地上は竜宮城から帰ってきた太郎のように、変わり果てた場所ではなかった。
僕の知っている、おぞましくて美しい世界だった。

そこで僕は再び感じ、思考し、刻み、なるべく日々を忘れないように生きている。

それは圧倒的に日常だった。

それがちょうど昨年の春だ。

『自分の“帰らない意味”がやはり届かないものだとしたら、その時は躊躇なく、帰るから』 

残念ながら僕は届いていない。
でも届かないものじゃないと思った。
むしろ届くと思った。

指先が触れているのがワカル。

それを掴めるかどうかはワカラナイ。

でも楽園では感じることの出来なかった指先の“何か”を、僕は信じてみようと思っている。
そう思える“出逢い”を3年目にした。


久しぶりに日記を読んで、僕は3年と半年前に言った自分の言葉の意味を知る。
愛川です。



来週の稽古時間です。


★2月7日夜東長崎/17時30分〜21時30分


★2月8日夜要町和室/17時30分〜21時30分

★2月11日夜東長崎/17時30分〜21時30分

4月本番に向けての稽古中心ですが、ミッシングウォークもやりますし、見学でも良いですし、来る人にテキストも用意して稽古しますので、気軽においでくださいませ。

いつもだいたい池袋周辺で稽古。

興味のある方は愛川武博(loveriver@di.pdx.ne.jp)まで『稽古場参加希望』とタイトルに書いてメールください。

by moving_sheep | 2011-02-06 16:28 | 稽古場レポート | Trackback
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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び


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