移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

書いているのはあくまで俳優が表現する形が前提の舞台脚本であることを忘れないでくれ

坊主に憧れていた。
長髪に憧れていた。
しかしその両方が似合わないことに気付いていた。
このまま長髪へ。
イッキに坊主へ。
やってみる価値はある。
アイカワです。



ある時期から小説を書いてみたらどうだと、言われるようになった。

また脚本を読んだ感想で、愛川さんのやりたいことは小説じゃないとデキナイんじゃないのか、みたいなことを言われたこともあった(その作品は実は芝居にしていて、舞台女優たちがこぞってやりたがった作品なのだが)

ある公演はいくつかの短編小説を読んでいるようだとも言われた(それはあえて小説の文語体を芝居にしながらやっていたので狙い通りの反応だ)

ある人は小説を読むのが好きな人が観ると好きかもね、と言った人もいた。

しかし舞台で俳優が体現した時に面白くなるような脚本を(つまりより密な演劇的な脚本を)書くとクエスチョンマークを発動する人もいる。
大抵そういう人は作品が出来上がると、面白がる。

しまいには脚本を読んでシカメツラをして、私やりたくないわよ、俺好きじゃないかもなーという俳優が、やりはじめて、「あっなんだ楽しいじゃんコレ」と楽しんでいる様を見ると、なんだか腹立たしい(ちなみに加田斎がたまにコレをやる。うまくなって帰ってきた加田斎「昔と違うとこは、まずはすべて肯定し、引き受けるところだよ」と言ってたクセにすぐ引き受けないで決めつける。腹立たしい。まあでも俳優はこれぐらいが良いのだろう)

同じ意味を違う角度から捉えているという点で、脚本を口に出した時に何も使わないで読んでいる俳優を見ても、ナンデヤネンと思う。「初めは色をつけないように読もうと思います」ナンデヤネン。色をつけないのと解釈とか感受とかを使わない、というのは一緒じゃないぜー(ちなみに加田斎は本読みの段階からガシガシ色々なものを使ってくる。解釈、感受、コミュニケーション。稽古中もガシガシ色々使いながら、表現の領域にいる。素晴らしい。俳優はこうでなくっちゃ)

肯定するのは難しい。
でも肯定して引き受けてタカミを目指すつもりじゃないと大抵失敗する。
何人もそういう俳優を見てきた。
まず、肯定し引き受けて、それから全力で選択して否定すればイイ。
むしろそうして選択したモノは強い。

選択は大事だ。
表現の初めの一歩だから。

あっ小説の話からナンカそれた。
ムフー!
つまり何が言いたいかと言うと、脚本は読み物じゃない。

読みとる物だ。

しかし、俳優をその気にさせる脚本を書かねばならぬとも、思う。

単純に読んで面白く、上演して楽しく、観て素晴らしい脚本を書くべきだ。

入り口も、中身も、出口も、面白い脚本を書くべく、日々ガンバレっ、話、どすぇ〜。

むはー!

ラブリバー
by moving_sheep | 2011-01-27 10:12 | aikawa takehiro | Trackback