移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

WRITINGらぶっち我武者羅に!

部屋に潤いが欲しい。
加湿器を買うべきか。
もともと乾燥に弱い僕は、心まで干からびていくようだ。
そのせいか数枚しかない年賀状を書けていない。
いや、それは明らかに関係ないよ。
潤いだ。今、僕に必要なのは潤いだ!
アイカワです。



最近どうにもこうにも、右手が素晴らしい活躍をしている。
僕の右手が紡ぎだす台詞やキャラはなんだか、愛川の想いにしっくりくるようだ。
物語を反映させる能力が素晴らしい。

僕の右手の名前は「ラブッチ」という。

つまり何が言いたいかというと、最近、手書きのほうが断然執筆が進むし、面白いモノが生まれやすいということなのだ。
もともと手書きで書いていて、しかしパソコンで作品を作るようになり、それでも、たまに手書きで書き、やっぱり後々楽だからパソコンで書いたりしていたが、もう最近はラブッチに頼ってばかりいるのである。

ラブッチ最高ー!

これは原点回帰なのか?
前にも何度か、ラブッチの良さを書いて、実際は迷っているみたいなことを書いた。
「シトラスちゃん」はパソコンでそのほとんどを書いていた。
この作品はパソコンで書く、そう決めていたのだ。
しかしラブッチと共に「シトラスちゃん」書いてみたら、やっぱりなんだか素敵じゃないかいっ。

紙一重だがなんだか決定的な差のように感じる。
勿論、パソコンはパソコン、携帯執筆は携帯執筆の良さがあるので、平行するが、この最近のラブッチの活躍は、今後の執筆活動を決定づける程の「手応え」なのだ。
まさに手だけに、ラブッチは応えてくれるぜ!

ラブッチLOVEだ。

あるいはだが、ラブッチはなんだか役者のような感受性を持っているのではないかと思うようになった。
僕は、脚本家、演出家、俳優をやる時にはアタリマエながらそれぞれモードが変わる。
発想も変わる。
お互い連動しているから、お互いがお互いに影響を与えるけれど。

つまりラブッチは俳優的思考、発想が強いのかもしれない。

あるいは演出家的思考、発想か。

なにはともあれ、現場的思考、発想が強くなるようだ。

僕は俳優さんが好きだ。
俳優さんが作り出す物語が好きだ。

現場の創作活動がとても好きだ。

勿論物書きの時間も楽しいし、ずっと書いていたいと思うことも多々ある。
そこから、「もう、現場なんか行きたくない、みんな嫌いだっ」という状態にもなったりする。
身勝手な口だけの気付けない俳優たちにさんに腹をたてたりもする。
自分がそうなってしまうかもしれない、そうなってしまった瞬間がある創作現場から、遠く遠くに逃げだしたくなることも、ある。
んが、やっぱり現場が好きだ。
現場で俳優、スタッフと作品を作るのが好きだ。

まあ、でも言われる。
「愛川君はいったいどうすれば人を好きになるのかい?もう少し、人に優しくしたらどうだい」

僕にとっては好きも嫌いも痛みも喜びも。等価なので。対等なので。そうありたいので。どちらも大事にしているし。選択するし。区別するし。細分化するし。乱暴な言葉を使うこともある。

つまり簡単に心をユルサナケレバ良いんじゃないですかね?

いやいや開いてなんぼ、でしょ。

そうっすかねー?

まま、ここはそんなマジメにならなくても。

がむしゃらすぎるんじゃね?

君にはいったい誰、だー!

なんてことが心の中でツイートされてゆくのであった。
そういえば、僕「がむしゃら」なんですって。

なんだか良いイメージがないなーと思って調べみたら、語源の由来は、「我が強いわがままな武士」
我武者羅(どっかの暴走チームの名前みたい)
一つの目的に向かって、勢い込んで向こう見ずにする・こと(さま)。
DAREDEVIL(ヒーロー映画であったねデアデビル。ベン・アフレック主演の。あまり面白くなかった記憶が)

だってさ。
俳優さんに言われたんだけどね。
言われた時に微妙な気持になったけれど、調べみてさらに微妙な気持になった。

まあ、こんな微妙な気持も、ラブッチならば台詞にしてくれる、はず、だ、と、イイナ。

さてさて、執筆。

ラブリバー
by moving_sheep | 2011-01-17 18:45 | aikawa takehiro | Trackback