僕という個人は其処にいない
掴まえることはしない。
ただ、見て観て視て、僕はまだまだ掴まえることのデキナイ言葉や想いや物語を、いつかこの手にするぞと誓うだけ。
アイカワです。
最高の孤独を楽しんだ。
それは23日の昼過ぎ、上野キャンディハウスに8人で乗り込む前のことだ。
僕らは朝イチで稽古したあと、そのまま上野に移動して、上野のマクドナルド3Fで食事をした。
僕はササッと食事を済ませると、ブログに書く役者紹介を携帯で打っていた。
しかし睡眠不足と疲れで、少しうつらうつらとする。
でも半分起きている。
たまに覚醒してブログを書く。
しかしすぐ半分朦朧とする。
その中で声が聞こえた。
それは各ユニットたちの稽古する声だ。
いやランブル羊は音響の海老原さんと劇団スクランブルのハナシをしている。
でも、それぞれがそれぞれの熱をもって演劇のハナシをしている。
僕は一人だ。
なんという素敵な孤独だ。
僕はこの瞬間が好きだ。
そこには僕はいない。
演出家の愛川武博も脚本家の愛川武博もいない。
あるのはただ作品に向かうエネルギーだけだ。
ただ演劇だけがそこにある。
僕は集団の中で書いて演出をして、それが俳優のものになり、お客様のものになる瞬間が好きだ。
そこに愛川武博はいない。
いるのにいない。
なんて孤独なのだろう。
なんて素敵なのだろう。
なんて素晴らしいことだろう。
僕はブログや脚本など、書くものは実は、かなりの距離を持って書く。
個人的なことを書いているフリをしてかなり距離を置いて書いている。
正確に言えば、ソコに立ちながら俯瞰する。
ある時に決めた。
変わることもあるかもしれない。
距離をゼロにするかもしれない。
俯瞰だけしかしないかもしれない。
あまりうまく書けてないかもしれない。
それでも様々な同時性で書きたいと思う。
それは孤立する様々な想いだ。
個人的で一般的で。
リアリはリアルである以上、限定的なものだ。
誰も分かち合えない。
でもその孤独がツナガル瞬間がある。
伝わる瞬間がある。
ワカチアウ一瞬がある。
そして孤独じゃない時間がある。
僕らはそれを演劇と呼んだりする。
だから僕は集団の中で孤独になるのが大好きだ。
作品に、演劇に向かう孤独が大好きだ。
そんなこんなを思いながら、年末を過ごしているけれど、8ヵ月ぶりのノンビリはなんだか落ち着かない。
まあ、もっともすぐ執筆活動の日々がやってくるのだけれど。
いやもう来てる。
なにはともあれ、僕にとって、とてもとても意味のある年になった2010年が、あと少しで終わる。
来年はどんな孤独が待っているだろう。
楽しみだ。
ラブリバー