リリー羊
作品を観る前に、劇団やぶさかの海老原あいさんが移動する羊のブログを紹介してくれて読んでくれていたらしい。
それを劇団やぶさかの『犬神』を観て、打ち上げに顔を出した時に聞いた。
その後「世界が終わらなかったかわりに僕らは終わった」を観に来てくれた。
そして稽古場に参加したいと言ってくれた。
羊の稽古は基礎訓練とミッシングウォークと作品作り(発表に向かうのが一番良いが、まずは作品を作るという純粋な作業)を三本柱にしている。
作品を作る作業が一番モチベーションが上がり、演劇の意味を知ることが出来るからだ。
だからここ最近はワンフレーズテキスト(ミッシングウォークをベースに表現を移動しながら作品モドキを演じるためのモノ)から、完成脚本に近いテキストをなるべく用意するようにしている。
だから羊ユニット合同ワークショップ3日目が終わったあとに、聞いた。
「作品発表する?」
このようにしてリリー羊は始動した。
幸いなことに加田斎が役者復帰をするキッカケにもなったということだ。
10ヶ月のブランクの末、役者として成長して帰ってきた加田斎、と中島玲奈。
この二人で出来ることを、この二人でしか語れない物語を僕は作りださなくてはならない。
絶対的イメージで相対的に。
中島玲奈の期待はプレッシャーであり、それ以上に力になった。
そんな二人の物語の始まりはこうだ。
萩尾隆人が唯一、仕事で人間を撮った写真がかなり話題になった。
いやそれは問題なったと言ったほうが良いのか。
それは彼の大学時代の恩師の教授が監修していた雑誌『プラトン』の表紙を頼まれたからだ。
科学系の雑誌には珍しく、35万部を発行するかなりの固定読者を持つ雑誌だった。
その雑誌の表紙には有名な写真家を起用したり、人気画家に依頼した作品を表紙に使ったりして、それが一つのウリにもなっていた。
勿論内容も素晴らしく科学的専門性だけに留まらず、精神世界や芸術世界の科学との“共演”をコンセプトにしていた。
その雑誌に写真家、萩尾隆人の写真が載るというだけでも話題だったのだが、風景や建物といったモノしか撮っていなかった彼が“人間”を撮ったらしいという噂が掲載前から広がっていた。
そしてその雑誌が発売されると、あっという間に書店から雑誌が消えた。
でもそれはコアな『プラトン』読者でなく、萩尾隆人のファンでもなく、写真に目をとめた、まるで雑誌に興味のないごく一般の人々によるものだった。むしろ『プラトン』読者はその号を手にすることが出来ないものさえ、いた。
その写真には一人の少年が写っていた。
少年が荒野の中で、何かの動物を生のまま食べながら、ふと何かを上空に確認したように空を見ている。
その少年の透きとおった瞳。
まるで笑っているかのように見える口元。
鮮やかな血がかすかについてる。
でも表情は泣いているようにも見えるし不敵に笑っているようにも見える。
後ろには果てしない、荒野。
美しくて、おぞましい。
圧倒的に魂を揺さぶる写真だった。
そして噂が広まった。
その少年が食べている肉は、“人間の子供”では、ない、のか?
そんな噂がとびかった。
確かに子供の指にも見えないモノが足元には写っていた。
ネット上で噂が広まり、メディアにも取り上げられ、バッシングにあい、そして彼の写真集は爆発的に売れた。
もともと一部のファンには圧倒的人気があった写真家だったが、彼の才能はこの掲載を機に、広く一般的に認められるようになった。
そして人々は彼がまた“人間”を撮ってくれること望んだ。
しかし彼はそれ以降二度と人間の写真を撮ることはなかった。
その彼が“死んだ”という噂が流れた。
自殺をしたという噂。
理由があった。
その写真の掲載を機に、売れっ子になった彼がある時期から次々に仕事を断っていた。
そして決まっていた膨大な仕事を、驚異的なスピードで終わらせたのだ。
それもいままで以上に、素晴らしい仕事だった。
まるで、飛ぶ鳥があとを濁さないように。
そうして、それから彼は音信不通になった。
家族も親友も誰一人として彼の行方を知る者はいない。
そうして彼がこの世界からいなくなって数ヵ月後、彼は伝説になった。
それは彼が行方不明になり噂が流れ始めた10ヶ月後。彼の写真。最後の仕事。樹海の先に高くそびえたつ神々しい山の写真が表紙に飾られている『プラトン』だった。その雑誌で、萩尾隆人のまるで走り書きのような一つの言葉が書かれた手記を、恩師である大学教授が、自分のコラムに発表したことで、完成した。
その手記にはこう書かれていた。
『進化の先に行きます』
まるで生命が受胎し、ゆっくりと母親の胎内で進化をとげ、人間になってゆくように、まさにその10ヶ月をかけて彼は、世界にあらゆる憶測や想像を与えながら伝説になった。
それが始まりだった。
『砂の歌が聞こえる』
まさに始まりはココからなのだ。
例えでもなく、前提でもなく、ここから物語は始まる。
今日も僕らはひたすらに稽古場で、砂の歌を聞いている

