僕は稽古場を移動し続ける、儚い刹那の蒼なのだ

日々毎日、色々な現場に顔を出しています。

メンバーによって作り出す音楽が違うバンドのように、稽古場で立ち上がる物語は、メンバーの構成によってまったく違う物語が現れます。
僕はそれを時に観て、時に参加して、ひたすらに人間が作り出す物語を感じています。
ああ、なんと大変で楽しい日々だろう。

世界はいつも、残酷なほど様々なリアルに溢れている。

時に目をそらしたくもなるけれど、僕は見える限り、観える限り、視える限り、それに向き合いたいと思う。
そこには痛みも怒りも悲しみもセツナサもあるけれど、きっと楽しい。

いや、楽しみたい。

例えそれで死んでしまうことがあったとしても、楽しんで死ぬのなら、また本望だろう。

きっとその瞬間、僕は鳥になっている。

僕は痛みや怒りや悲しみやセツナサを引き受けながら、上からそれらを眺めてる。
鳥瞰。
俯瞰。
その時僕は、ユーモアだ。
その時僕は、鳥だ。

そうして瞬間空になり、僕は刹那の蒼になる。


そんなこんなで今日も劇団からくりありあの稽古に行ってきます。

翔ぶぞー。

タケケ

by moving_sheep | 2010-11-14 09:34 | takeke | Trackback
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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び


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