彼は空から降りてきた
いや、ほぼ、そうであったと言うべきか?
それは秋の終わり、少年のクラスに転校してきた、緑の瞳をしている少年との出逢いだった。
「はじめまして、九龍真といいます。日本に帰ってくるのは5年ぶりです」
真はニコリと笑顔になった。
その瞬間、クラスの女子は悲鳴をあげた。
小学4年生にしては、なんだか大人びた少年だった。海外を父親の仕事の都合で、転々としている彼は、同年代の子供に比べて、経験値が明らかに違った。彼は必ずしも、治安の良い、安全な場所で生活していたわけではなかったからだ。彼は、中東にいたときに、いくつかの死とも直面していた。10メートル先で自爆テロが行われた事だってある。その彼が大人びてしまうのは、むしろ自然なことだったのかもしれない。
勿論、クラスの女子はそんな背景など知らない。
女子たちにとって、色白で美形で笑顔が素敵で、ちょっと大人びた頼りになりそうな少年が目の前にいる、だけだ。
そして彼女たちはそれだけで、良かった。
背景などむしろ関係なかった。
何故、彼がここまで美しくあれるのかは、関係なかった。
目の前のフォルム。
それだけだ。
そうなると、やっかみが出てくる、男子との付き合い。
しかし、九龍真は、むしろ男子のほうに圧倒的に支持された。
彼は物知りだったし、勉強をみんなに教えてくれたし、何より付き合いが良かった。誰とでも遊ぶし、話題も豊富だったし、よく冗談を言っては皆の笑いを誘っていた。
そして何より決定的だったのは、6年生のちょっとガラの悪いグループが、~少し緑の入った瞳のイケメンが幅を利かせてるらしい~、との噂を聞きつけて4年生のクラスに乗り込んできた時だ。
真は胸ぐらを掴んできた上級生の腕を、ひねり、ねじ伏せこう言った。
「僕はブラジルのリオデジャネイロにいた時に、ストリートチルドレンのあるチームにいたことがあるんです。知ってますか、ストリートチルドレン?家なき子です。路上で暮らす子供たちです。生きるためには何でも、やる。まあ、いわゆる少年ギャングに出入りしてたワケですよ。そう、裕福で、日本人の僕がですよ?何故かって?それは、知るためですよ。そう、僕は知るために、そこに、いた。なにはさておき、僕が言いたいことは、先輩は死を身近に置くことができない。僕はむしろ、死のソバにいた。言っている意味、ワカリますか?」
もの静かな優しい口調。
でも、リオの風が彼の背後から吹く。
それは混沌の闇。
闇から放たれる、恐怖。
上級生は捨て台詞すら言えずに、帰っていた。
その瞬間、クラス中に歓声が上がった。
「真すごいじゃないか!」
「そうだよ九龍君、あいつらにはカツアゲされたりして、みんな困ってたんだ」
「私なんか、スカートめくられたりして」
「おい、あいつら、これから俺らのクラスに頭上がらないぜ」
「なんせ、俺らには九龍くんがついてる」
「ねえ、さっきの話ホントなの?」
「まさか。確かにリオにはいたけど、僕がそんな集団に入るワケないじゃないか。かなり、危ないやつらなんだよ。それを束ねるなんて。勿論、父親の方針で、いくつかの格闘技は習ってるんだ。まあ、護身術程度だけどね」
そうして彼はクラスの人気者になった。
いや、噂が広がり、学校で一目置かれる存在になった。
でも彼はそんな状況にも惑わされず、いつも謙虚だった。
それがますます彼の人気度をあげた。
誰もが、彼と友達になりたがった。
しかし、九龍真が選んだのは、秋津和人だった。
つまり、真は、和人のことを気に入っていた。話しかけ、誘い、共に遊んだ。二人で一緒に居る時間も増えた。いや、むしろある時期から、ずっと二人は一緒だった。誰もが認める、仲良しだった。
真は、和人のいつも自然体な自由な気質を尊敬していたし、和人は真の、何物にも揺るがない生き方を尊敬していた。
二人はお互いの家にも行き来するようになった。
週末はそれぞれお互いの家に交互に泊まるのが、恒例になった。
まるで双子の兄弟のように二人は一緒だった。
両家の親たちも、それぞれを、まるで自分の息子のように可愛がっていた。
でも、ある時から、和人の父親の気持ちの歯車が、ズレた。
もともと、和人の両親は、和人に対して少し恐怖みたいなものを感じていた。
『この子は本当に、自分の子供なのか?』
その違和感が、あまりにも完璧なもう一人の息子に接することで、噴出したのだ。
少しずつ、何かがズレて、きた。
始まりは些細な出来事だった。
和人はよく考え事をする。色々なことを頭に描く。すると、あまりに集中して、まわりの音が聞こえなくなることがしばしばあった。逆に、聴覚が異常に鋭くなることもあったのだが。それは一流のアスリートがたまに見せるソレだった。タイミングが悪いことに、その時は聞こえなくなってしまうほうだったのだ。だから、父親の呼び声に気づかなかった。そして、彼は初めての痛みを味わう。鈍い痛みが、左耳の奥のほうに走った。
その突然の痛みに顔を上げると、父親の顔を真っ赤にして睨みつける姿を確認した。
それからだ。
彼は、日々エスカレートしてゆく父親の暴力を、甘んじて受けることになる。
このことは、真にも話せなかった。
何故なら父親は、ソレを『教育』と呼んだ。『躾』と言った。
和人は、頭が良かったが、それと同時にすべてを受け入れようとする、覚悟みたいなものがあった。だから、これは、きっと自分にとって必要なことなのだと、思ったのだ。父親との関係が正常な判断を鈍らせたのかもしれない。普段はもっと自己判断と自己主張がしっかりできる子だった。そして和人は同時に思っていた。いつか父親の『教育』の形も変わるだろうと。しかし実際はどんどん酷くなってゆく。
4年生の終わる頃には、顔以外の身体のいたるところに痣があった。
そんなある日、真がまた日本を離れることが決まった。
5年生に上がるのと同時に、日本を離れることになった。
和人の心は疲れていた。
その唯一の支えが、九龍真の友情だけだったのに、その彼が遠くへ行ってしまう。
だが、勿論、子供である和人達は甘んじてソレを受け入れるしかない。
真が日本を離れる前日、二人は和人のお気に入りの川べりの樹の下で、川を見ながら話していた。
「いよいよお別れだな、和人」
「ノルウェーか、遠いね」
「またいつか会えるさ」
「そうかな?」
「必ずだよ。何故なら僕らは出会うべくして出会ったのだから」
「うん。そうかもしれない」
「なあ、和人」
「なに?」
「最後に」
「うん」
「君、お父さんになぐられてる、よね?」
「え?」
「僕が気づかないワケないだろう」
「それは、そうかもしれない、とは、思ってた」
「気づかないワケない」
「うまく隠したつもりだけど」
「ワカルよ。何故なら、それ、僕がそうするようにしむけたんだ」
「え?」
「君のお父さんが、『どうやったら和人は真君みたいな良い子に育つんだろう。爪の垢でも煎じて飲ませたいよ』って言うから、言ってあげたんだ。“殴れば、いいんですよ”。『え?』。“簡単です。殴ってちゃんと教育してあげれば、大抵の人間は良い子になりますよ”って言ってあげたんだ」
「真、おまえ、何を言ってる」
「意外と簡単に、殴るようになった。もうちょっと時間かかるかなって思ってたけど、ね」
「何故だ」
「ん?」
「何故、お前がそんなことをするんだ」
「うん」
「なんだ」
「知りたかったんだ」
「知りたかった?」
「この世で一番大好きな人が、大切な人が、壊れてゆく様は、どんな気持ちがするんだろうって」
「そんなことで?」
「そんなこと?とても大切だよ。僕にはとても大切なことだ」
「どうだった」
「え?」
「それで、俺が壊れてゆく様は、どうだった」
「痛かった」
「痛かった?」
「セツナカッタ」
「セツナカッタ?」
「苦しくて、悲しくてそして、美しいと思った」
「美、し、い?」
「壊れてゆく君は美しいと思った。思ったとおりだ。やっぱり君は美しい心を持ってる。そして僕の心は痛みと同時に満たされてゆく。意味を持ってくる。なんて素晴らしいんだ。君は美しさだ。僕はおぞましさだ。二人でまさに世界そのものだ」
「いや、むしろ逆だ」
「逆?」
「おまえのほうこそ、美しい。おぞましいのは俺のほうだ。この心の中の闇こそ、まさに、おぞましい」
「こんなことをした僕を、美しいと言うのか」
「尊敬してよ。そのゆるぎない姿を」
「やっぱり、君は、素敵だ」
「なあ。ブラジルのリオの話。本当だろう?」
「なんで?」
「お前はあの時、“束ねる”って言ったんだ」
「へえ」
「組織に出入りしているって言っておいて。でもポロッと、“束ねる”って。ああ、これはきっと、本当のことなんだ。と、思った。こいつはブラジルで悪事をしてきた。いや、それこそ、人を殺したのかもしれない。お前は、死のソバに、いる」
「それでも、僕と付き合ったんだ」
「言ったろ。尊敬してんだよ」
「奇遇だ。僕も本当に、大好きだよ」
「気色悪い、会話だ」
「そうだね」
二人はクスクスと笑った。もうすぐ完全な春がやってくる。
「ねえ、和人」
「なんだ」
「また、逢おう」
「ああ。また逢おう」
二人の上には、透きとおるほどの蒼。ほんの一瞬だけ未来が映る。
そして金木犀の香りがした。
とにかく、あがいて、あがいて、たどり着くしかないベ。
なにはともあれ、僕らはひたすら妄想収集中。

