移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

最近あった終わりについて書こうと思う

目が覚めたら世界が終わっていた。

そんな感じだった。

その日、あまりに突然、彼女はいなくなった。とても遠くの方で「終わり」は終わりを迎えた。僕が知ることの出来ることは、「終わり」が残した、残り香だけだ。それは笑顔や。声や。優しさ。つまり、ささやかな日常。そうして僕は自転車に乗るたびに、エスカレーターで立っている時に、走っている間中絶えず、稽古中にある台詞が役者から語られる一瞬に、彼女を思い出して、ただ上を見上げて息をつく。その瞬間、頭に浮かぶ彼女はいつも、犬とじゃれあう少女のままだ。


彼は2週間、誰にも発見されずに「終わり」の中を生き続けていた。変な表現だけど、発見されるまで彼の「終わり」は終わらなかったのだと思う。人と接することが好きな彼が、孤独の中で「終わり」を迎える。勿論、人は基本的には孤独だ。だからこそ人とツナガッタ瞬間に奇跡を感じ、永遠の意味を知るのかもしれない。僕はその話を聞いて、遠い昔、居酒屋に行くエレベーターの中で、彼と笑いあった、たわいもない瞬間を思い出した。「あいちゃんは面白いなー」いえ、僕はただの愚か者ですよ。それを聞いて彼は優しく笑う。それはささやかな会話。だけど鮮烈に残っている日常だ。

たて続けだった。

まるで『世界が終わらなかったかわりに僕らは終わった』と呼応するように、現実世界の「終わり」の物語は、僕の所にやってきたのだ。

そして思う。

なんのマエブレもなく「終わり」はやってくることがあるんだなって。

僕はずっと思っていた。終わりは緩やかにやってくるものだって。
突然、出現するから、突然終わったように感じるだけで、終わりはいつもゆっくりやってくる、はずだった。

奇跡がゆっくりやってきて、突然、出現するように。
狂気が静かにやってきて、ある日一瞬で一線を越えるように。

でもそんなことなかったよ。あったんだよ。すべての順番を無視してやってくる圧倒的「終わり」っていうものが。

繰り返し、繰り返し、僕らは小さな「死」を迎え、いくつもの「終わり」を経験してゆく。

僕らは今、稽古場で終わりと始まりを繰り返している。

彼女と彼の笑顔に背中を押されながら。


そんなこんなで、今日も僕らは終らない 。
by moving_sheep | 2010-09-16 10:32 | 世界が終わらなかったかわりに | Trackback