移動する羊 是楽日

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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び

夏に出逢い、夏に別れる

中根道治と竹内もみが加速を始める。僕らは歩いていた。まるで世界中を旅をするかのように歩いていた。たくさんの様々な無駄話をし、笑い、主張し、歩いていた。そして少しずつお互いのことを知っていった。そうしていつの間にか僕らは走っている。でも多くのことを、お互いに僕らはまだ、全然知らない。例えば稽古の時に去来している中根道治の無反応や違和感の正体を僕は知らない。(勿論、立場上、想像は出来る)。例えば演出をつけて心に沸き上がる竹内もみの情感の揺れや悲しみの正体を僕は知らない。(勿論、経験上、共感は出来る)。それぞれ、個人的で作品的で。それぞれ、優先順位や矜持は違うわけで。それは稽古場に同時に現れて。違う道を歩いてきた僕らなんだから、それはごくアタリマエで。だから僕は二人の想いを知らない。そして二人は知らない。僕の絶対的孤独を知らない。僕らはまだまだ知らないことばかりだ。だけど稽古場には笑いが溢れている。楽しさが溢れている。きっと意味のある無駄話が溢れている。僕らは演劇で繋がっている。劇団やぶさかの海老原さんが「それでも僕らは荒野を歩く」から「世界が終わらなかったかわりに僕らは終わった」今回の「夏夏夏(トリプルサマー)」の音響をやって貰っているのだが、「夏夏夏(トリプルサマー)」の稽古場に来ての感想は、『「荒野を歩く」の稽古場と、こんなにも違うものかと思った』と言っていた。ランブル羊はなんだか楽しそうな座組だ、と言っていた。3作品とも二人芝居で、1時間45分の「荒野を歩く」と負けず劣らず「世界が終わらなかった」も「夏夏夏(トリプルサマー)」も世界観を支える情報やイメージや物語は膨大だ。だから中根道治も竹内もみも、体現するのは大変な想いでやっている。でも、海老原さんの言う通りだと思う。なんだかドコか明るい。いや「荒野を歩く」も、本番が近づくにつれて、みやちゃんと金野くんはどんどん明るくなっていったのだけど。僕も基本的にスタンスは変わらないのだが。なんか根本的に違う。それは二人には翼があるからかもしれない(これを言うと二人は微妙な顔するかもしれないが。でも僕はそう思う。まあ、もっとも中根道治はかなりナイーブな人だと思うけれど。竹内もみはかなり大地に根をはった樹木のようだし。それでも二人は翼を持っている、のだ)そうして僕らは今、走っている。あとはひたすらに加速してゆくだけだ。助走して加速して、翔ぶ。高く、翔ぶ。そうして日々の稽古で、僕らはどんどん夏になってゆく。

明日本番です。
いよいよやってきました。
その前に今日の夜に公開ゲネだ。
ドキドキ。
とにかく今日の昼からまた三人は集合して、明日の夕方まで突っ走るのだ。
なにはともあれ、僕らはただひたすらにランブル羊を謳歌する。
だって夏だもの。


僕らの夏は始まったばかりだ。
by moving_sheep | 2010-07-23 05:54 | 夏 夏 夏(トリプルサマー) | Trackback