夏色(彼は太古の空気を纏う)

彼がチリから帰ってきて、1ヶ月ほどたった頃だ。彼はちょっとしたバイトで、外国人学校の子供たちに折り紙を教えにいっていた。彼は手先が器用で、かなりの種類の折り紙を折れた。自分のオリジナルな作品もあるほどだった。その日も折り紙の師匠の紹介で行ったバイトだったのだ。その学校には小学校に上がる前の子供たちがたくさんいた。あらゆる国の子供たちだ。その中にいたフランス人の女の子が彼を見るやいなや走ってやってきた。そうして彼に手をさしのべた。彼は彼女の両手をとってしゃがんで彼女の瞳を見つめた。その瞳はマリンブルーで怖いくらい透きとおっていた。すると彼女はカタコトの日本語でこう言った。「今日の朝、夢にお兄ちゃんが出てきたよ。顔が違うけど、お兄ちゃんだった。わかる。絶対だよ。ワタシをずっとずっと昔に助けてくれたの。それで、いつか、また会おうって。だから、きっと、今日会えたんだね」ずっと昔?彼女はどう見ても五歳か六歳かそんなものなのに、遥か昔?奇妙なハナシだ。でも彼は子供の言うことだと思って気にしなかった。そもそも彼は誰も助けてなどいないのだから。でもその奇妙な“再会”は続いた。次の日、同じように、彼は老人ホームへ折り紙を教えるバイトを紹介して貰った。認知症のためのセラピーぺーバーという活動の一貫だった。認知症には子供の頃にやっていた遊びが有効だからだというのだ。その中に、ずば抜けて高齢の男性の老人が一人いた。その老人はもうすでにかなりの認知症が進んでいて、彼が訪問した時はすでに、突然怒りだしたり叫んだり、独り言を言っていたりした。でも彼の姿を見るやいなや、その老人は立ち上がり、ふらふらと近寄って手を握った。そうしてこう言ったのだ。「やっと会えた。会えると思っていたんだ。君が僕に語ってくれた年代記が僕を救ってくれたんだよ。魂に刻まれた。それから僕はずっと救われ続けてきたんだよ。ありがとう。ありがとう。もう一度君に会って、そのことを伝えたかったんだ。僕は長い長い旅をしてきた。君にもう一度会うために。そして一言伝えるために。ありがとう。これで僕は、終わる」その老人はそう言うと優しい顔になってスヤスヤと眠りはじめた。「“また”だ。知らない誰かが自分を知っている。僕は彼らが誰だかをまったく知らない」彼はこの奇妙な“再会”はでも、なんだか必要なことなのだと言わんばかりに受け入れた。少し考えて、笑って、「まあ、こんなことも、あるよ」と。そうして、彼の周りの空気が『太古の空気』みたいなものを纏い始めたのはこの頃からだ。

トリプルサマー「夏色」からの抜粋14。

稽古は日々、夏休みの宿題をやっているみたいだ。
僕らの夏は始まったばかりだ。

by moving_sheep | 2010-07-21 09:14 | 夏 夏 夏(トリプルサマー) | Trackback
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移動する羊による稽古場の一つであり、呟きの場であり、表現の場所 物語・小説・詩・遊び


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