2010年 07月 18日
公演です! マドロミから物語にアクセスする。睡眠不足で視る幻覚をカッコ良く言うと、こんな感じ
僕は立ちながらマドロミの中にいる。僕は歩きながら夢を見る。自分と世界の狭間にいて、物語を受信し続ける。昔からそうだったけれど、昔はなんだか、白黒だった。それがいつの間にか色がついてカラフルになった。最近では世のデジタル化に呼応するように僕の物語もドットが増え、より鮮明になってきたようだ。だからたまに現実なのか物語なのか、それともマドロミなのかが分からなくなってきたりする。僕は電車に乗りながら、意識を現実に集中させるために目薬をさした。上を向いて目を開け、数滴、目薬を瞳の上に落とした。瞬間、僕の目の前に海が見える。波うち水平まで続く水面が見える。その先から言葉が降ってきた。「運命の出会いってあるけれど、それ以上の出会いが世の中にはあるのです」言葉だけがダイレクトに僕の脳みそに届く。脳のある部分を刺激して、幻覚をひきおこす。なんだか、この広告、宗教法人のキャッチコピーみたいだ。“神はあなたの運命すら凌駕する”あるいは自己啓発のセミナーか本のフレーズなのだろうか。“生まれる以前から存在していた、本当の自分に出会う”それともただたんに洋服の広告かもしれない。しかし果たして、運命すら超える一着に出会えるなんてことがあるのだろうか?それはもう魂の服、民族衣装レベルの発見じゃないだろうか。それこそ魂のルーツを着る。みたいな。どちらにせよ僕にはすべて意味があるように思える。何故なら「運命を凌駕する、出会うべき魂のルーツと対面する」ことは本当にあると思うから。つまり運命を作る出会いがある。それは革命にも似ているのかもしれない。ある時代のある革命が、今日という自分を運命付けてしまうことがあるような、そんな感じ。僕たちはたくさんの出会いのもとに運命を生きている。まるで卵が先か?的な話になってきた。けれど、どっちが先でも構わない。いつも、この瞬間が始まりなんだから。いつも始まっていて、たえずその瞬間が僕たちの生みの親なのだ。そうして新しい道をゆく。僕はヒトシキリそんなことを考えて、マドロミから現実に舞い降りた。いや登ってきた、のか?そのようにして広告を見ると、文章はまるっきり違う意味を放っていた。内容が全然違うのだ。つまり僕はマドロミの中、夢を見て、世界に漂う物語と夢を結合させてしまったみたいだ。そのまるっきり関係無い文章の中に「運命」と「超える」と「奇跡」というワードが書いてあるのを確認した。僕はどうやら「奇跡」を「出会い」と訳したらしい。どうにも僕らしい。僕は頭の中にビートルズのトゥモローネバーノウズが流れた。彼らがストロベリーフィールドで出会い、音楽を奏で、その音楽が壮大な運命を生み出したことを考えた。運命を作る出会いのことについて考えた。というころで僕は夢から覚めた。まわりを見てみると人々が音楽を聞き、本を読み、携帯をいじり、会話をしている。窓からは風景が流れているのが見える。地面は揺れ、僕を何処かへと運んでいる。一瞬、自分の方向を忘れ、ふと思い出す。そうだ僕はひたすらに出会いを移動している途中だっのだのだ。僕はたくさんの人々に出会う。たくさんの音楽に出会う。たくさんの物語に出会う。僕は電車に乗りながら、意識を現実に集中させるために目薬をさした。上を向いて目を開け、数滴、目薬を瞳の上に落とした。瞬間、僕の目の前に海が見える。波うち水平まで続く水面が見える。それは子供の頃に見た、太平洋だ。目指すべき海だ。抑圧と解放を抱えた街から旅立った大海だ。そうして僕は今、立ちながらマドロミ、歩きながら夢を見る。愛川です。
公演をやります!
公演をやります!
by moving_sheep
| 2010-07-18 11:07
| 夏 夏 夏(トリプルサマー)
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